悪役令嬢と引っ越しと者々と(3)
裏口近くの塀へと跳躍して猫のようにしなやかに飛び乗ると、珍しく裏口の門の横に馬車が横付けされて停まっていた。
来客や業者だったら正面玄関から入ってくるはずなのに、裏口に付けているのは怪しい。
「よっ」
「ぐわっ!」
馬車を警戒しながら塀から飛び降りると、まさか下に人がいたとは知らず馬乗りする形になってしまった。
「あ、ご、ごめんなさい怪我は……ってなぁんだフィリップじゃん」
下敷きにした人の安否を確かめようとしたら、知り合いだったので一先ず安堵する。
「人を下敷きにしておいて、なんだとはどういう言い草だいグウェン」
不満げな声をあげて冷たい瞳のフィリップ。
「あはは、ごめんごめんって、でもあたしに馬乗りされて満更でもないんでしょ?」
「っ! ………馬鹿な事を言っていないで、早く退いてくれ、君を支えるのとは訳が違う」
なんて冗談を言ってもフィリップ君には響かないみたいで、冷たく返された。
「へいへい」
馬乗りという征服感を手放して立ち上がると、フィリップもため息をつきながら立ち上がって、土埃を払った。つーかあたしは支えて貰ったこと一回もないっちゅうの。
舞踏会後、フィリップとの許嫁関係は白紙になった。それはシャルルとの婚姻を受け入れたからもあるが、フィリップ自身が白紙にしてほしいと願い出てきたのだ。フィリップの父であるヴァロウヌ卿は渋っていたが、シュザンヌが実家に帰って影響力を及ばさなくなったことで、フィリップの願いは叶うことになった。
あたしの事を慮って身を引いてくれたのか、権力に目移りする尻軽女と呆れられたのかは知らない。ただあたしへの接し方が、前よりも冷たくなっているために後者よりなんじゃないかとは思っている。
あの後カップルに戻ることもなかった。グウェンも願い下げだと怒りを前面に出して言うし、カミーユが寂しそうにするし、カミーユとフィリップを天秤にかけたあたしは逡巡することなくカミーユを選んだ。そもそもフィリップ自身もカップルに戻ろうとも提案してこない。お互いに愛想がついたみたいだ。
あたしのフィリップの評価は別に悪いやつではないんじゃないかといった具合だ。あの寒気のする愛の囁きがあると、気持ち悪いやつではある。が、ダンスや勝負事においては、等身大で立ち向かってくるので好感はある。
グウェンに説明すると、普段は暴力的なのに、ふと見せる自分だけに向けられた優しさで毒牙にかかる奴と指摘された。前世のあんただろそれ。って鋭いツッコミを入れたら三日は口をきいてくれなかった。反省。
まぁあたしからすれば良い友人関係の男に治まっている。
「どさくさに紛れて、殴ってやっても良かったのですのよ?」
まだ恨み辛みが募っているグウェンは物騒な事を言う。やっぱり前世で裏切っているので、ちょっとやそっとのことじゃ評価は変わらないみたい。
「グウェン………」
土埃を払い終わったフィリップはあたしを下から上へと観察する。
「な、なに?」
「君、太ったかい?」
「殴りなさいモモカ! 私が許しますから! 殴りなさいな!」
犬のように歯を剥き出しにして指さすグウェンは無視しておこう。
「あんた体重計か何か?」
「僕が君の重さを忘れる訳ないだろう?」
うわぁ寒気した。しかし慧眼であったために感心してしまう。
「そりゃ凄いですね。確かにあたしは太りましたよ」
「モモカ……だからあれだけ食べる量を抑えなさいと言っていたのに! 言いなさい! どれだけ贅肉をつけたのですか! 懺悔なさいな!」
元から贅肉あった奴に懺悔がどうとか言われたくない。
「でも全部筋肉だから。ほら、これ見てよ」
袖を巻くって二の腕に力こぶを作る。一か月前はぷるぷるのお肉だったのが、今ではちょっと柔らかいこぶになった。グウェンの身体は太りやすくて、筋肉がつきにくい体質である。だから一か月ではこの程度なのだ。
「なっ! はしたないぞ、グウェン」
紳士ぶって顔を背けるフィリップ。
「照れてんの? らしくないね」
「公然の場で柔肌を晒す君に注意しているんだ!」
「公然の場て、あたしとフィリップしかいないんだし別にいいじゃん」
「きっ……君という奴は………」
顔を真っ赤にして呆れられてしまった。礼儀礼節にはしっかりと厳しいんだからもう。
ダンスをする時の衣装の方が露出しまくりなんだけど、どういう違いだ? なんて疑問を言葉にすることはなく、巻くっていた袖を戻すと、視線が戻って来た。
「そういえば、あれフィリップの馬車なんでしょ? なんで裏口に停めてあるの?」
と言うと、裏口に停めてある馬車を一瞥してからフィリップは口を開いた。
「裏口に停めたかったからね」
「………ごめん。意味が分からないんだけど」
「今日は裏口に停めたい気分だったんだよ」
気分で出入り口を客側が変えるのは、礼儀礼節に厳しいフィリップに対して疑惑を生むのは簡単だった。また善からぬことを企てているんじゃないの? なーんて。
「そんな君は、どうして塀から飛び降りてきたんだい」
刺すような視線でフィリップを見つめると、慌てて話を振ってきて余計に怪しかった。
「あたしは気ままな猫ちゃんだから」
「ふっ、君が猫で治まるのかい?」
悪戯な笑顔で言うフィリップを虎になって引き裂いてやろうかと思ったが、気ままな猫ちゃんを気取っておくことにした。
「どうせ君の事だ。おいたをしたのだろう?」
「し、してないし。散歩に行こうとしていただけだし」
「そうかい? では君を呼んでいるあの声はなんだい?」
「呼んでる?」
耳を澄ましてみると、遠くの方から「お~じょ~う~さ~ま~」とヨランダがあたしを探している声が聞こえてきた。きっと鬼の形相で徘徊しているに違いない。
「やっば、そろそろ行くね」
「あぁ君がここへはやってきていないことにしてあげるよ」
「助かる! じゃあまたね」
フィリップに軽い御辞儀をしてからあたしは裏山へと続く道を急いで登って行くのであった。グウェンだけが別れ際に唾を吐くようにけっと罵りを込めていた。
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