小娘グウェン姉上
「フィリップ様……」
ミミが僕になんと声をかけていいのか戸惑っている。
分かっていた。グウェンに追いつけないのは僕自身が大いに分かっていた。彼女は常に前を向いていて、前を行く者だ。そんな彼女が欲しかった。彼女の手を引っ張って引き戻してでも僕の物にしたかった。
シュザンヌが引き戻す手伝いをしてくれるはずだった、あの女の計略通りに事を進めていれば、グウェンは僕の物になっていた。
許さなかったんだ。僕のプライドが。
彼女とずっとカップルとして踊ってきていたからこそ、彼女を屈服させるのはダンスで真っ向勝負して勝たないといけないと分かっていた。
あんな茶番でグウェンを手に入れても、普段のつまらない女に成り下がって、飼い殺しにしてしまうだろう。そしたら僕は飽きて次の女を求めるに違いない。僕は僕を理解できているから断言できる。この目の前にいる馬鹿な女が次の女かもしれないな。
この女はダンスの腕前はそこそこの癖にグウェンをライバル視していて、僕に心底惚れている。ハッキリ言ってダンスのセンスはない。だがこの女の中にある反骨精神に少し興味が湧いた。だからカップルを組んでやっただけだ。
振り向いてもくれない惚れた男に尽くして、身を削る女は馬鹿な女だ。
………馬鹿な奴だ。
何をしたところで、振り向いてもらえないのだ。惚れた時点で負けなのだ。
「ミミ、来い」
「にゃっ……あの……どこへ?」
「けじめをつけに行く」
―――――――――――――――
小娘小娘小娘小娘小娘小娘小娘小娘!
グウェンドリングウェンドリングウェンドリングウェンドリングウェンドリングウェンドリン!
許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない!!!!!
私を注目の的に変えて、敗北宣言をさせて、公然の場で恥をかかせたな。
お前がその立場に陥るはずだったのに! お前が嫉み笑われて、惨めに涙を流して悔しがるはずだったのに! どうしてどうしてどうしてお前が皇子に求婚されて、ダンスでも勝利を収めている! こんなはずじゃなかった! 私はどこも間違っていない! 計画は順調だったはずなのに!
私の力を使って、下級貴族共を取り込んだのに………あの金は、あの時間はなんだったの!? 下手にでて笑っていたのは、腹の底の本性と変わりないのでしたのね。
ヴィクトルもあの小娘と踊っていましたわね。拾ってやった恩を仇で返すとは、あの男も結局、仕事内の関係なのですわね。個人的に仕置きが必要ですわね。
フィリップの小僧も、私の完璧な計画を無視しましたわね。勝利は確実なはずでしたのに、矮小な自尊心で行動する馬鹿な男ですわ。最初から期待などしていませんでした。いませんでしたが、私を裏切ったらどうなるか教えて差し上げますわ。
カミーユの小僧も、もっと抑制しないといけませんわね。そうですわね。二度と小娘と顔を合わせることのできないようにしてあげましょう。そうすれば小娘も笑えなくなりますわね。
「シュザンヌ殿」
今後の展開を考えていると裏切り者の使えない男が、小間使いの女を連れて来た。
「どの面下げてやってこれるのかしら、見なくても分かるわ敗色濃厚な顔よねぇ」
小間使いの女が顔を青ざめさせて裏切り者の男の陰に縋るように隠れた。一人の足で立てもしない言われたこともできない小娘が。まぁ、酒をかけたことだけは評価してあげましょう。
「それにしても残念でしたわね。あの子をシャルル様に盗られてしまって、貴方あの子のこと好きでしたものね。せっかく私が許嫁にしてあげましたのに、早く縁談を結ばないから横恋慕されますのよ」
ここまで言ってたやったのに、表情一つも変えず澄ましている。負けたせいで感情が死んだのね。つまらない男。
「それで、負け犬がなんの用ですの?」
「………謝罪をしに来たのさ」
「謝罪? そうですわね。先ずは謝罪が先ですものね」
私を裏切ったことを謝罪するのは当然。まぁ謝罪をしたところで受け入れるわけありませんわ。お前の家はこれから格落ちしていくでしょうね。
「僕はもう貴女とは金輪際関わるつもりはない」
「なっ……何を? そ、それは謝罪ではありませんわ」
「いいや謝罪さ。貴女の口車に乗ってしまった僕が馬鹿だったのさ。間違いは正さなければならない。だから、これからは僕の力で、僕として、グウェンを必ず振り向かせて見せる。だから貴女の助力はもう必要ない」
何を言っているのこの男、振られて頭が狂ったのでしょうね。哀れな男ですわ。
「貴方一人の力で何ができると? たかがボンボン侯爵の分際で、何ができると? 私の庇護無しに何ができると!? 貴方は自分で手にしたものなんてない、空虚な人間でしてよ。そんな男が、自分の力で何を掴み取れるのです! 思い込みも甚だしいですわね!」
ヴァロウヌ家の七光りと、私の助力の元に地位と力があるだけの矮小な男が私に意見するなど死んでもまかり通りませんわ。
「………僕はなんだってできる。持たざる者になったとしても、いずれ全てを手にする。それが僕、フィリップ・ド・ヴァロウヌだ」
この男も………この男もまたあの小娘の光に惹きつけられた蛾のような男だったか。
昔からそうだ。あの女の眩しい程の光は、男女関係なく惹きつける。目障りで鬱陶しくて、できるならば遮光カーテンを頭に巻いて首を絞めてやりたい。あの光は毒だ。全員が毒に中てられて狂いだす。ずっと見てきた。
させないわ。二度と同じ過ちはしないわ。
「では失礼させてもらう」
私が沈黙を貫いていると、哀れな男は背中を向けて行ってしまう。小間使いの女も目を泳がせてから、私に会釈をして男の後を追った。
所詮はこの結果しか生めない程度の男、私の手中からいなくなったところで大したことはありませんわ。
次こそは、次こそは、あの小娘を不幸のどん底に叩き落としてやりますわ。
だって私、今、不幸ですもの!
「シュザンヌ」
忘れるはずもない渋いお声でイザーク様が私を呼んだ。
あぁこの凛々しいお声を聴けるだけで、有り余る幸せ。
「どうかしましたか? あなた」
受けた幸せを内々に秘めて、柔らかい笑顔でイザーク様へと振り向いた。
イザーク様はとても思い詰めた表情でしたが、決意したお顔に変わった。
「………君は暫く実家に帰ってもらうことにしたよ」
「………………は?」
―――――――――――――――
姉上と一緒にワルツをミスなく踊り切れたのは初めてだった。
練習の時でさえ、どこかしらで明確なミスをしていた。
俺はいつか姉上と踊れるようにダンスの練習をしていた。初めてじゃないんだ。だからヨランダに褒められても素直に喜べなかった。
そんな素人同然の俺をカップルとして選んでくれて、あまつさえ昔のように仲を取り持ってくれた姉上に醜態を見せたくなった。だからこそ最初は断りを入れた。
姉上の蛮行の報告義務で父上に呼び出された時『ここでグウェンが負ければ、時期も良い頃合いなので、フィリップ君に嫁いでもらいます』と言われたのだ。望まない結婚なんてありきたりだし、それが家の繁栄になるんだから、強情で恋愛をしない姉上には丁度いい機会だったのかもしれない。
だけど、やっとまた姉上に太陽が宿ったのに、柵に包まれてしまったら陰ってしまう。
そんなのは………嫌だ。
もう二度と姉上から光を奪わせはしない。
カップルになることを了承すると、父上は目元に皺を作って喜んでくれた。
ただ俺は姉上を守り、奪わせない為に父上に提案した。
もしも姉上が勝てば、母上を更迭してほしい。と、あまりにも目に余る行為もだが、どちらかを物理的に離さないと、この家は崩壊する。父上も分かっていたが、どちらも愛しているから易々と踏み切れないんだ。
殆どは姉上を想っての事だったが、今後、俺がこの家の家長になった時、父上が勇退でなく、なんらかの不幸に見舞われた時。その時に、この関係が継続していた場合収拾がつかなくなる。恐らく死人がでる。もしかしたらそこに辿り着く前に、状況が悪化して死人が出る可能性がある。
俺が考えつけるのだから、聡明な父上も危惧していた。だから俺の提案は、無骨な父上の手で柔らかくされて、暫く実家へ戻って反省してもらうという形で了承された。
しかし勝てばの話。
勝たなければいけなかった。
姉上が着替えに行った後に、控室で崩れ落ちるように倒れた時、情けなくて涙が出た。
あれだけ姉上を守ると誓っておきながら、ダンス一つ共に踊っただけで昏倒寸前になってしまうんだから。俺にはまだまだ力が足りなくて、姉上に届かない。
まさかこの後に踊る必要があったのは、目が覚めてから聞かされて、余計無力感が身体を支配した。
でも………姉上とのダンスは楽しかったし、心地良かった。踊っている時は上も下も関係なかったな。
ただ純粋に二人で踊りを楽しむだけ。幸せだった。
また姉上と踊れるなら、俺は何にでもなれる。
だから絶対に姉上を幸せにしてみせますからね。