舞踏会と謀と第三皇子と(8)
「グウェン! どうして中央を譲った!」
控室に戻ったら、フィリップが掴みかかる勢いで叫んで迫ってきた。
「どうしてって、フィリップが一番わかってるでしょ」
自分たちの事だけを考えるならば、上々以上の出来のダンスを踊れて楽しさの余韻に浸っているあたしは、見え透いた事を言うフィリップに辟易として答えた。
「僕は見たぞ! 君はミミが平常ではないことを見抜いていただろ!」
「で? だったらどうなの?」
フィリップの顔に怒りの色が濃く反映されていく。
「勝負だぞ! 君の生涯がかかっているんだぞ! なのに相手に情けをかけるとは、グウェン、僕は君を過大評価していたようだね! 君は愚かだ!」
言いたいことを言ってくれちゃってまぁ。
あたしは勝負を挑んだ時と同じくらいの距離まで肉薄する。
「情けをかける? 過大評価? はっ、見当違いも甚だしいわ」
「なっなに?」
「確かにあたしはミミが平常ではないことに気がついていたよ。だけどあんた達に情をかけたんじゃない、もしも同じ構成になって、あそこで中央の取り合いになれば、あたし達は中央を譲るって決めていた」
カミーユも首に縦に振る。
「最初から決めていたって、それで負けに繋がるんだぞ! 君達はそれでいいのか!?」
当初はフィリップの言うように、あたしは良くなかった。だって負ければ死んでお終いの勝負で、負ける要素を入れてしまうのは、気が狂っているとしか思えない。それにやるからには勝ちに拘るのがあたしの性格。でなければ相手に失礼というものだ。
グウェンはフィリップのやることを読んでいた。そしてあたしの性格も把握した上で、命令した。
『もしも、中央の譲り合いになったのなら譲りなさい』
何故かと見解を訊ねると、グウェンは当然だと頭に入れてから発言した。
「いいのよ」
「何故だ!」
「だってぶつかったら観ている人たちが楽しめないじゃない」
言われた言葉をそのまま言うと、フィリップは虚を衝かれたのか言葉を続けられなかった。
グウェンの発言は置かれている状況からすれば正しくはない。同じ構成、同じ技術で勝負に挑めば、僅かな綻びで勝敗が喫する。譲るのは敗北を意味する。あたしだってそう思っていたけど、これはグウェンがダンスをするに当たっての矜持なのだ。
自分が楽しむのは当たり前で、人を楽しませるのも当たり前。どちらかを捨ててなければならない時、グウェンは前者を選択する。
あたしはグウェンを尊重した。
勝負事はあたしの世界だ。でもダンスはグウェンの世界だ。
あたしはグウェンと一緒の世界で共に生きたいんだ。
「つまり………君は観客が愉しめないから、勝ちを譲った、と?」
「勝ちを譲る? なんでその発想になるの?」
「あの場で中央を譲るのは負けを意味するのは君でも分かるだろ!」
「………あたし中央を譲ったから負けたなんて思っていないんだけど?」
「は?」
声を荒げるフィリップとは対照的に粛々と事実を告げると、眉根を顰められた。
「ね、カミーユ」
「はい。それだけで勝ち負けが決まるとは思えません」
「なにを………」
混乱状態のフィリップに更に事実を告げておく。
「フィリップ、あんたが負けたと思っているから、あたし達が勝ちを譲ったと思い込んでいるんじゃないの?」
「ま、まさか、そんな事は………」
「そもそもミミが、平常じゃなかったのならば、それまでの動きが完璧では無くなっている訳だよね。そこで差がつくとは思わない訳?」
「認めたくないですが、フィリップのダンス力は逸品ですわ。だから気付いていないはずはありませんわね。逆にモモカは、よく気が付けましたわね」
フィリップはグウェンと同等に踊れる相手だ。しかも魔力を吸われながらでもだ。そんな実力のある男がこんな些細な事実に気がつかないはずがない。性根が腐った奴だけど、そこらへんの部分を信頼した結果、あたしでも気が付けるのだ。
「僕が負けを認めている? ………ありえない。負けていない。僕はまだ負けていない」
自分の心に隠していた思いを引きずり出されてフィリップは呼吸を荒くする。
「………負けたとしても、ミミのせいだ。そうだ。僕のセンスに付いて来れなかったミミが――」
あたしはフィリップの白い胸倉を掴んで、それ以上の言葉を言わせなかった。本来ならばぶん殴っていたけど抑えた。
「まだ次があるから、ここで止めるけど、あんたの為に一緒に踊ってくれた人を労りもせずに傷つけるようなら、あたしは躊躇しないよ」
フィリップの虚ろだった目に、次と訊いて闘争の火が灯ったのを見た。
バシャ! っとあたしに向けられて果実水をかけられた。
その行動をしたのはミミだ。果実水が入ったグラスを持って、大粒の涙を流しながら、ふーふーと息を荒立てて肩で呼吸をしていた。
「ミミ………なにを」
「ふざけんなぁ! ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんな~~~~!」
ミミの金切り声のような叫びはこの場にいる誰もを黙らせた。
「私がどんな思いで練習したかも知らない癖に! 私がどんな思いでフィリップ様とカップルを組んだのかも知らない癖に! 私の事を知らない癖に、私を語るな~~~~!」
ミミは力強く叫んでから控室を走って出て行ってしまった。
誰も彼もに向けられていた言葉に諫められて、他人の気持ちを勝手に汲んで驕っていたあたしは、掴んでいた胸倉を離すと、フィリップは舌打ちをしてミミを追った。
「あ、姉上、お召し物が」
「いいよどうせ着替えないといけないから」
カミーユからハンカチを貰って、滴った果実水をある程度拭き終わる。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫。そういえばカミーユ、楽しかった?」
「ええ姉上とのダンスは楽しかったです。今度はオナーダンスで踊りましょう」
もう勝った後の事を考えている。本当に頼もしくなったよ。
「そうだね」
あたしも次の衣装に着替える為に控室を後にした。