舞踏会と謀と第三皇子と(7)
会場はダンスホール以外が薄暗くなっていた。
先に入場したフィリップ達を照らしていた、おそらく魔術で作った光があたし達に向けられた。
「続いてはカミーユ・ド・ラインバッハ、グウェンドリン・ド・ラインバッハペアです」
どこかにいる司会進行役があたし達の名前を呼んだので、歓待の拍手のアーチを抜けて、ダンスホールの真ん中まで歩き始める。
フィリップとミミが、スタート位置に辿り着いたあたし達を一瞥してから周りに愛想を振りまいた。
あたしも包み込んでいる観衆たちを見回す。
目が合うと小さく頷いてくれるイザーク。冷たく微笑むヴィクトル。期待に満ちたような目で小さく手を振るネェル。蔑んだ表情のシュザンヌ。
隣にいるカミーユは胸も背中も預けていい程に頼もしく、男らしい笑顔になっていた。
「モモカ、楽しみなさいな」
グウェンがあたしの背中を叩いて活を入れてくれた。幽霊の癖によくやるよ。
あたしの心臓が高鳴っている。程よい緊張と、体の隅々まで行き渡った高揚。浮ついた気持もプレッシャーと混ざり合い重りとなって、しっかりと地に足ついている。膨らんだ闘争心で掛かることもないと、豪語できる。これはベストコンディションだ。
どちらの組もその時を待っていた。
拍手が鳴りやんで、会場中に緊張の糸が張り詰めている。
ダンスホールの奥にある檀上。その上にいる楽団の指揮者が指揮棒を振った。
曲名:月から流るわ乙女の涙のワルツ
前奏でゆっくりと基本姿勢になって、あたし達とフィリップ達は反対方向へと踊り始めた。
『先ずは会場の半分を魅了してやりなさいな』
ダンス界隈を圧巻していたグウェンがたてた最初の作戦である。グウェンとカップルであったフィリップも同じ作戦のようだ。だが、これは予想の範疇だ。
あたし達は踊りだしの予備歩きで、大きく動き出してダンスホールの真ん中へと向かうのではなく、観衆が最も多く密集している場所へと向かう。
『観客達はどちらかに注目していますわ。これが競技ダンスの決勝戦でしたら、ただ真ん中で優雅に踊ったり審査員にアピールをしたりとできますが、カップル同士の対決ですわ。どう注目させるかが勝敗の肝ですわよ』
ステップを踏んで体の動きを一つ一つ大きく、かつ優雅に回って、あたし達側の観衆の目を釘付けにさせる。
『コントラチェック。この中にある止めの動作の時に観客達を世界に落とし込むのですわ』
大胆な回転の動きをした後に慣性でゆっくりと止まって、緩急をつける。
次の動作の動き出しの時には、あたしたちの動きだけを目で追っている観衆達。
この一連の動きで既に曲は半分終わっている。だが目論見通りに半分は味方につけたと言えよう。
ステップも、あたし史上に最高だ。カミーユの力強いリードのおかげだろう。安心して次のステップに移行できる。
世界が目まぐるしく回る。ワルツは円舞曲の名を冠する曲だ。回転で三半規管がダメージを受けるのは下手くそだからだ。一番辛いのは回転に合わせて首を移動させることだ。右回転、左回転するごとに首を移動させるのが、もう本当に辛い。脚より辛い。
『モモカは首の動きを直せば、より良くなりますわね』
ワルツでの女役は首を外側へと倒しているので、より回転の影響を受ける。人間の頭は重くて七キロもある。それを傾けて、なおかつ移動して回転してとの運動をしていると、首も脳もダメージは深刻だ。更に言うと、あたし達の振り付けは大振りなので、受ける影響が段違いだ。
常人ならば途中で自分がどこにいるかは分からなくなる。
どうして素人のあたしが耐えられているのか。それはあたしの目が良いのと、グウェンが培ったダンスに適応できる身体能力があり、カミーユのスタミナを根こそぎ奪わなくなったからだ。
今までは魔力が循環することなく、際限なくカミーユの魔力を奪って不調に落としていたので、リードがしっかりできなくて、あたしが個人的にそこを補っていた。でも今はカミーユとの魔力は循環していて不調になることもなくリードしてくれている。これにより、あたしが割く問題が無くなり、首の動きに集中できるようになった。
首の動きと眼球の動きを連結させ、グウェンの身体に染みついた癖で脳を揺らすことを最小限に留められている。だから成立している。
『最後は中央に戻ってフィニッシュですわ』
観客達の目を引き連れて、あたし達は終わりの場の中央へと、更に身体を大きく波のように動かして移動する。
反対側で踊っていたフィリップ達も、同様の作戦なので中央へと帰ってきている最中だった。
あたしは目が良いので、フィリップ達の様子を一瞬でも目に入ったら理解できる。最初は違和感だった。何かがおかしいと違和感を覚えた。だけど次に近づいて来ている彼らを瞳に映らせた時に、違和感の正体が分かった。
ミミの目があらぬ方向を向いている。
常人でないならば成立しない動きだ。フィリップももしも同じ動きをしていたならば、その相手であるミミはあたしと同じ立場にあったはずだ。いくら背が小さいからって、かかる負荷はそこまで変わらないのだ。
ミミは自分を見失ってしまっている。ステップだけはしっかりと熟しているが、首の動きがぎこちなく、目を回している。
フィリップは分かっているはずだ。なのにも関わらず大胆な演出を止めない。ミミを気遣わない。
同じ作戦を実行しているからこそ、このまま中央へと辿り着いてフィニッシュを決める時、中央に立てるのは一組だけだ。
そうか。それが分かっているからこそ、フィリップは譲らない気か。
あたし達とフィリップ達の距離が近づいて来る。曲も終わりに差し掛かっている。
ダンスではカップルとカップルがダンス中にぶつかることもある。そこでの対応も紳士でなければならない。しかしこれはその前提の問題だ。ぶつかると分かっていながらも譲らない。勝ちに貪欲になっている。
あたしだって負ける気はない。紳士淑女の教義だと言われても、勝負の世界に教義を持ち込んでいられない………。
『モモカ、もしもフィリップが同じ作戦をとって、もしも中央の譲り合いになったのなら………』
既にグウェンに予想されていた出来事。
負けたくない。
負けられない。
互いに最後の見せ場である大味な回転で中央へと距離を詰める。
ここで譲れば負けるかもしれない。
譲らなければ絶対に勝てるんだ。でも大きな事故が発生することは間違いない。
譲れない思いは誰にも負けないのに! 譲れない約束があるのに!
曲が終わった。
中央に立ってポージングをしているのはフィリップとミミだった。
あたし達はグウェンの指示通りに中央を譲って、中央から外れた位置でダンスを終えていた。
拍手の雨に打たれながら、フィリップ達はお辞儀をして、ミミだけが勝ちを誇ったような顔をして控室へと戻って行った。
カミーユが何も言わずにあたしの手を笑顔を崩さずに引っ張ってくれた。
たった一分半もないワルツ勝負は、結果を残すだけになった。




