お嬢様お嬢様お嬢様
グウェンドリンお嬢様はとても面白いお方だ。
突然だが、私の右目は呪われている。
誰にどう何をもって呪われたのかは分からない。ただ右目で見た異性は不幸に見舞われるというのは生まれた時から定められていた。
私を産湯につけた乳母は、疲れでよろけた際に火鉢に触れてしまい火傷を負って破風傷で亡くなった。
二人目の乳母は毒蛇に噛まれて亡くなった。三人目は叔母で、落石に巻き込まれて亡くなった。
相次いで私に関わった人間が亡くなっていくので、私は忌み子との扱いを受けた。母は次が自分かもしれないと恐れて半狂乱に陥って衰弱していた。見兼ねた父は、私を山へと捨てた。まだ首も座っていない赤子だった私は山の獣の餌になるはずだった。
そこで育ての父に助けられた。父は山の中で一人で暮らす元魔術兵士だった。朴念仁で厳格で仕事人気質だった。食事をする為の食料の狩り方から、語学や薬学の知識を叩きこまれた。その中で私には魔術の才能があると知った。それがまさかこの呪われた目の恩恵だと理解するのは、好奇心に溺れた私が魔法を制御できずに父を殺してしまった時だ。
私の魔法は山を全て焼き尽くした。死の間際に父が右目の力を封印してくれなければ被害は街まで広がっていたはずだろう。
一人になった時、私は十二歳だった。そこから右目を魔術が施された眼帯で隠して、その日暮らしの生活が始まった。
街へ繰り出して仕事を貰って食いつないでいき、農家から間借りした家畜小屋で寝る生活。
ある日私は熱中症で倒れた。その時偶々通りがかって助けてくれた同世代の心優しい娘が、治療の為に私の眼帯を取って目を見たのだ。私を介抱している最中に、暑さにやられた馬と馬車に轢かれて亡くなった。
またある日は無理な生活が身体に祟って病に倒れた。当時、私に惚れていた宿屋の娘が付きっ切りで介抱してくれた。眼帯だけは外すなと言ったのに、好奇心に負けて彼女は目を見たのだろう。違う流行り病に罹って、二度と陽の元で会うことはなかった。
私の噂を訊きつけた素封家の女性が養子にしたいと願い出てきた。断ったが、半ば拉致のような形で養子になることになった。女は私を子供と見ていなかった。男と見ていた。身体の自由を奪われて、全てを奪われそうになった。女も右目を見た。その瞬間に奇声を上げて狂った。私はその家から逃げ出した。噂話で女は次第に幻覚と幻聴を訴えるようになり、家の金を全て遣って裸一貫になり、一家全員がこの世を去った。
街では疫病神や死神と忌み嫌われていた。私の居場所はこの世にはないようだ。誰も私を愛さないし、この世に私が求める愛はないのだ。父の教えで自死だけはしてこなかったが、一人ではもう限界だった。
最後の晩餐を食べていると、噂を耳にしたある女が訪ねてきた。
なんでもこの呪われた右目で不幸にしてほしい女がいるらしい。ふざけた奴だ。他人の不幸を幸せとして呪う。この女はさぞ不幸な女なのだ。しかしその他責思考は見習うべきなのかもしれないと思った。
私が生きているから悪いのか? 呪われた目があるから悪いのか? 愛を与えなかった母が悪いのか? 慈愛の心が悪いのか? 好奇心が悪いのか? この世界が悪いのか?
私がこんなにも苛まれているのに対して、この女はかくも醜く存在し続けているのだと思えば、苛まれているのが馬鹿らしくなった。
だからある意味この方、シュザンヌ・ド・ラインバッハには引き留めて貰ったと言えよう。
救われたのではない。私を救ったのは私であり、グウェンドリンお嬢様でもあるのだ。
仕事を引き受けた私は、何度もグウェンドリンお嬢様を右目で見たことがある。
彼女は呪われた右目で見ても、身に降りかかる不幸は死ではなく、服の裾がほつれる程度の不幸にしか見舞われない。
なぜその程度で済んでいるかは未だに理解できないが、私が思うに彼女は愛されているのだ。
何に? この右目を呪った存在と同じようなものだ。そう感じる。
不幸じゃないといっても、彼女は不幸に毅然と立ち向かう。何度挫かれそうになろうとも、抵抗して立ち上がる。父との約束を守っていた過去の私のようにだ。
だからお嬢様に興味が湧いた。
お嬢様も何かに呪われているのではないか。私と同じ境遇にあるのではないかと。
見届けたくなったのだ、呪われたお嬢様が行きつく先を。
お嬢様は私の未来だ。
未来とはかくにも面白いものなのかと、光りあるものなのだと、グウェンドリンお嬢様は示してくれた。
お嬢様を最後まで面白おかしく見届けます。例えその未来の行きつく終着点が死だとしてもお供しましょう。