紅茶と勝負と眼帯執事と(2)
「ヴィクトルは、どうしてあたしを誘ったの?」
紅茶を飲んだ後の反応を見ていたヴィクトルに問うと、小首を傾げられた。
「グウェンドリンお嬢様は、私の事が好きなのでしょう?」
二口目を口に含んだ瞬間だったので噴き出しそうになった。噴き出すのを我慢して飲み込んだら咽てしまう。
「っけほ、大丈夫、大丈夫だから」
ヴィクトルが立ち上がって介抱しようとしてきたので、大ぶりのジェスチャーで遠慮しておいた。
「あれは言葉の弾みって言うか、ヴィクトルに対して言ったものじゃないって言うか」
「私の部屋の窓の前までやってきて、窓の前の私と目が合った後に無理やり開けて言い放ったのにですか?」
そうだったのか。グウェンが陰になって窓の奥にいたヴィクトルの存在に気がつけなかった。
マズイ、このままではヴィクトルに好意を寄せている事になってしまう。そうなればシュザンヌへの弱みになってしまうし、呪いとやらが発動するかもしれない。
グウェンに助けを求める視線を向けるも、空中浮遊しながら寝ていた。このお子ちゃま令嬢!
「れ、練習?」
頭の中をぐるぐるとかき混ぜて咄嗟に出てきた言葉がこれだった。
「練習? とは?」
言葉の熱が入っていない返しだった。また必死に続く言葉を探して、思い立った。
「ほ、ほら、あたし舞踏会でフィリップと対決することになっているじゃん。それで負けたら縁談が確定しちゃうから、その時の練習?」
我ながら下手な言い訳だし、負けた時の練習をしているとか恥ずかしすぎる。
「………グウェンドリンお嬢様は、負ける前提で勝負事に臨まれるのですか?」
急所に鋭い一撃である。
あたしを傷つけたつけたヴィクトルはどこか不快そうだった。
「もちろん勝つ気でいるよ。負ける気はさらさらない。もしもの話だよ。世の中に百パーセントの出来事はないからね」
今のままじゃフィリップには勝てないだろう。あたしがグウェンを超える、もしくは同等ぐらいに巧くならない限りは勝てないと思っている。
それにカミーユは体力不足なだけで、技術はあたしよりもあるように素人目ながらにも見えた。いつかグウェンと踊れるように、部屋の中とかで昔から練習していたのかもしれない。
だから完全な足手纏いはあたしなのだと実感している。
「どうしてそこまで抗おうとするのですか?」
ヴィクトルの眼はいやに真剣だ。別に抗っているつもりは無いんだけどな。傍から見ると、今の現状がそう見えてもおかしくないか。
あたしが客観的に見て抗っている理由か。
「自分を殺してまで生きたくない……から」
逡巡して答えを導き出した。
転生する前から我に蓋をして生きるのを良しとしなかった。そりゃあまぁ我がままに肩肘張って過ごしていた訳じゃないけど、譲れない思いを踏みつけられてまで私生活を過ごせなかった。
だから異世界転生を信じきれた。
あたしの発言にヴィクトルは驚きの体を隠せていなかった。
ほぼ初対面の人に、自分の内心を曝け出してしまって、今になって恥ずかしくなってくる。
人間、火を見ると中てられて興奮してしまい、要らぬことまで話してしまうのだろう。あたしは魔術や魔法でも興奮してしまっているので、相乗効果で物凄く要らぬことを、口を滑らせてしまった気がする。
「お嬢様」
「は、はい」
神妙な顔だったので、緊張を乗せて返答した。
「私とも勝負しませんか?」
「はい……………はいぃ!? 」
「私とも勝負しませんか?」
「いやいや言い直さなくても聞こえてるから、ちょっと待ってね………勝負ってなんの?」
「お嬢様がフィリップ様に勝つか、負けるかの賭け勝負です」
カッチーンときた。
だってこれって、あたしが勝つって信じてくれていないってことだもの。しかもそれを賭けの対象にしようなんて、馬鹿にしているのにも程がある。
「やるとしたらあたしはもちろん勝ちに賭けるんだけど、ヴィクトルはどうするの」
「私は負けに賭けますよ。勝負になりませんからね」
賭けの勝負にならないのと、そもそもフィリップとの勝負がお話にならないとの、二重の意味で言われているんだと思って更に頭にきた。
程よい熱さになっていた紅茶を一気に飲み干して、内に秘める熱さと混同させた。
この眼帯イケメンにぎゃふんと言わせてやる。
「いいよ。やる」
「流石はお嬢様です。して、賭け事には報酬は付き物です。お嬢様は私に望むものはありますか?」
「ヴィクトルに? うーん」
ぎゃふんと言ってくれなんては流石に言えないしな。唸っているとヴィクトルが口を開いた。
「では私がお嬢様の味方になる。のはどうでしょうか?」
「あたしの味方になるって、オカアサマから庇ってくれるってこと?」
「シュザンヌ奥様だけではなく、あらゆる脅威からの味方になりましょう」
報酬の内容が重すぎるのだが? それだとあたしが負けた時の報酬は同じくらいの重さになってしまうんじゃないか。例えば……一生尽くすとか? この何を考えているか分からない眼帯イケメンに? ………いや過ぎる。
「あ、あたしが負けた場合は?」
嫌悪を顔に出さずに訊ねると、ヴィクトルは顎に指を当てて考える仕草をした。もしかして考えていなかったのか? 考えていることが読めなさ過ぎて、やっぱり怖い。
思いついたのか、あたしと視線を合わせた。
「頬に口付けをする。というのは如何でしょうか」
真顔で何を言ってるのだこの使用人。如何でしょうか、じゃないよ。お嬢様が使用人で、しかも異性の頬にキスなんてふしだらだし、シュザンヌに見られたらそれこそ絞首台の上まで秒読みになってしまうでしょうに。
ま、まさか、それを考慮した上での提案ってこと!? 抜け目のない程にシュザンヌに尽くしているって訳だ。
「そ、それは公衆の面前でしなきゃいけないの」
「お嬢様がなさりたいなら、そうしますが」
「やだ! 隠れてする!」
口にして気がついたけど余計にふしだらな発言だった。
ま、まぁ? キスくらいなんだって話だ。口と口でする訳でも無し、人前でする訳でも無し、頬に親愛の気持ちを込めてするくらいは熟して行かないと、異世界転生の世界では生きていけない。そうだ。これは次の異世界転生の為の試練だ。そう思えばなんだか俄然いける気がしてきた。
そもそも負けなければいい話だった。
負けたらフィリップとの縁談と、ヴィクトルの頬にキス。………改めてみると、負けたら死の回避が詰みに近いんじゃないか?
まだ第三皇子様とも会ってもいないのに、詰みかけてるのは一体誰のせいなのか。
あたしだよね。
「では報酬は、お嬢様が勝てば、私がお嬢様の味方になる。と、お嬢様が負ければ、お嬢様が私の頬に口付けをする。でよろしいですね?」
注文を繰り返す店員のように言ってきたので、小さく頷いた。
「私がこのことを外部に漏らすことはありません。ここだけの、二人だけの秘密です」
口角を上げて言われても、口約束だと信用に値しないと思ってしまうのが元社会人である。
まぁでもこの情報を漏らせば、お互いに不利益を被るので一応は信用できるか。
はぁ、また面倒な事が増えてしまった。
心の中でため息をつきながら、そろそろお暇するいい時間になってきたかなと席を立とうとすると、先にヴィクトルが席を立った。
そして長い手をこちらに伸ばして。
「ではお嬢様。特訓をしましょう」
また莞爾に微笑むのだった。




