紅茶と勝負と眼帯執事と
「グウェンドリンお嬢様、こちらです」
夜の帳もとっぷりと落ちた中、中庭のさらに奥にある月明りを反射して光る小池、そこに設置された避暑場のテラスにまでやってくると、先に来て待っていた闇と同化したようなヴィクトルがお辞儀をした。
休憩する為のテーブルの上にはティーカップとポットが置かれていた。ヴィクトルが椅子を引いてくれたので、あたしは椅子に座った。なんでこんなことになってんだっけ。
時間は、間違ってヴィクトルの部屋の窓を開けてしまって、部屋にいたヴィクトルの厚い胸板に顔面から突っ込んだ時に戻る。
ゾゾゾと寒気が下から上へと昇っていった。だってヴィクトルは微笑んでいるけど、冷笑のような笑顔で、目もそんなに笑っていない。この男に恐怖しているのに、そんな言葉を笑顔で言われたらそりゃあ怖い。怖い超えて畏怖。おかげで蛇に睨まれた蛙状態だ。
「な、何やってますのモモカ」
目を瞑っていたグウェンがようやく目を開けたのか、あたしの惨状を訊ねてくる。グウェンの声で硬直していた身体が解けたので、直ぐに体制を立て直して、完全に身体を部屋の中から出した。
グウェンを揶揄ったせいで、こうなったんだけど、とりあえず金縛りにあっていた気分だったので感謝しておこう。
「ご、ごめんなさい。ダンスの練習していたらよろけちゃって、開けちゃった」
「……そうですか。失礼しますね」
ヴィクトルが窓辺へと寄ってきて、手を取ろうとしてきたので、身体が勝手に拒絶反応を示して手を払ってしまった。
乾いた音が鳴って、何やってんだあたしと自責の念に狩られた。
「あ、ご、ごめんなさい。怪我とかしてないからさ、本当にごめんなさい」
人の心配を無碍にした罪悪感に平謝りして、居た堪れなくなってその場を後にしようとする。
踵を返して離れようと一歩踏み出すと、手首に蛇が巻き付いたような生暖かい感覚がして、身体が静止する。
「お食事の後、中庭の池でお待ちしています」
そう風に乗って背後から聞こえてきた。あたしは怖いので振りむこうとはせずに、どうし対応しようかと考えていると、手首を掴まれた手が離されたので、振り向かず汗を流しに風呂へと向かった。
風呂から上がって、ヨランダにマナー講習をしてもらって、自室で夕食を食べ終えたら、約束の時間になってしまった。もしかしたらシュザンヌの謀略であって、それが裏で進行されても困るので行くことにした。
一応グウェンに話しておいたけど、どこか心在らずの生返事だったし、グウェンは美容と健康の為にかなり早く寝る習慣があるせいで、もう眠い目を擦っていた。とても頼りなさそうだ。
ヴィクトルはティーポットを持って、手の上でワインをスワリングするように回した。
突然ヴィクトルの掌から赤黄色い炎が出現して、ティーポットの底を包み込んだ。
数秒ほどで炎は消えた。ティーポットはアンティーク調な模様に焦げ一つつけていなかった。
何で焦げていないのよりも、どう見ても上級魔術をヴィクトルが目の前で使ったことに興奮していた。
「魔術が珍しいですか?」
目を輝かせていたように見えたのか、また手の上でティーポットを回しているヴィクトルに訊ねられる。
「うん。屋敷の中で見ないもん」
転生してから自分以外の魔術を見たことがない。だから物珍しいのはその通りだ。
「皆さん裏では使っていたりするものですよ」
「へぇ、ヴィクトルが使ったのってファイア?」
「よくご存じで。ファイアの魔術ですよ」
「上級魔術ってやつだよね。他に使えたりするの? よかったら見せてくれない?」
表向きの言い訳として敵情視察も兼ねている。本音はどんな魔術があるのか見たいだけ。
「私の扱える魔術は火に関するものだけです。危険ですので見せられません」
二つ名は紅蓮の執事といったところかな。隻眼の炎とかもありかな。か、カッコイイ。
「ちょっとだけ、ちょっとだけでいいから見せて」
初めて目の当たりにした魔術に興奮が隠すことができなくなった。
手を合わせて頼み込むと、ヴィクトルはティーポットをテーブルに置いた。
右手の人差し指を強調すると、先っぽから青い火を灯してみせた。
手首をこちらへと倒すと、人差し指の先にあった火が広げた掌へと移動していく。
掌の真ん中に移動した火は、揺らめきながら形を変えた。
小鳥だった。火なのに小鳥のように動いている。ちょんちょんと飛び跳ねて移動するのも、首を少し傾げるような動きの機微まで再現していて、まるで本物かと見間違うほどであった。
唐突にそれを勢いよく左手で押しつぶした。
可哀そうな事をするものだなと感傷気味になっていると、ヴィクトルは池の方に身体を向けた。
両の手を肩幅大に広げると、火でできた小鳥たちが飛び立っていった。赤、黄、青、紫、様々な火の色の小鳥達。水面に反射した小鳥たちは解放された喜びを体現しているようで、とても自由に見えた。
小鳥たちは池より奥に行こうとすると、火の粉になって水面へと落ちる前に消えてしまった。
あたしは拍手をしていた。現代では絶対に見られないファイアーショーを見せて貰ったのだ、チップをたんまりと払わないと気が済まないが、無一文である為に拍手しか送れない。
ただちょっと寂しい演出だったかなとは思う。花火を見た後の儚い喪失感に近い。
「凄いよ! めっちゃ感動した! 」
精密な魔術を見て興奮し過ぎて、稚拙な感想しか出てこなかった。
「ありがとうございます。ここで魔術を使ったのは二人だけの秘密ですよ」
「うんうん秘密にする! だからまた今度も見せて」
こんなところに上級魔術を使える人間がいるのだ。秘密にして何度も見せてもらおう、そしてあたしもいつか使えるようになる。で、勝負してもらおう。ふっふっふ、異能バトルのルートも着々と固まってきているじゃない。
「お嬢様が夜更かしをして頂ければ、いつでもお見せしますよ」
ヴィクトルはちょっと楽しそうに言いつつ、ティーカップに紅茶を注いだ。
紅茶の種類は分からないけど、爽やかな匂いがした。
「どうぞ、お召し上がりください」
「い、いただきます」
飲むと、やっぱり爽やかでちょっと甘酸っぱい味がした。おかげで頭の中の興奮が微熱になって、ヴィクトルの怖い印象を少し取り戻した。