風呂と危うさと異母妹と(3)
「御姉様、準備万端ですわよ。ご着席なさってくださいな」
ネェルはタオルを泡立てて待っていた。
もう身体は洗ったけど心遣いを無碍にする訳にもいかないので座った。あたしって一人っ子だったから、こういうの憧れていたんだよね。
うんしょうんしょと言いながら背中を洗ってくれるネェル。
なんて健気で可愛いんだろうか、こんなに可愛いのにどうして虐められるんだ。……もしかして可愛いからつい虐めちゃうのか、だとすればそれは好意を上手く伝えられない子供がやることだ。十七歳のグウェンがやっていいことじゃない。
だがカミーユとあそこまですれ違っていたのだから、不器用なグウェンのことだから、本当に可愛いから虐めているのかもしれない。だとしたら説教してやる。
「御姉様、前を向いてくださいな」
「えぇ、前は大丈夫だよ。それよりネェルが座りなよ」
「私は大丈夫ですわ。御姉様の手を汚すことなんて恐れ多いですわ」
「汚すってこれから綺麗にするんでしょ、あたしだけネェルに綺麗にしてもらったら洗いっこにならないじゃない。ほら座った座った」
「え、ちょっと、お待ちに」
人を椅子に座らせる技を知っているので抵抗しても無駄なのです。
「はいごしごしー」
一瞬にしてネェルを座らせて背中を洗う。ネェルは何がされたのかを理解しないままに背中を洗われて動揺していた。
「お、御姉様、も、もっと強くしてもいいですわよ?」
観念したのか洗いやすいように、少し背中を丸めてくれた後に注文をしてきた。
「これくらい?」
シミもない小さな背中を羨みつつ、ちょっと強くする。別に嫉妬で強くしている訳じゃないと弁明しておく。
「もっとですわ」
また強くする。
「もっともっとですわ」
「これ以上やると赤くなっちゃうよ」
「いいのですわ。もっと強くしないと意味がないのですわ。だから遠慮なくやってくださいまして」
ネェルがそれを望んでいたとしても、あたしとしてはこれ以上擦ると皮膚を傷つけてしまうのが分かっているので、幼気な女の子にそんな非道なことはできない。
「使用人の人にはもっと強く洗ってもらっているの?」
「いいえ。御姉様だからですわ」
その言い方だとこうやって洗いっこするのは初めてじゃないと聞こえるけど、グウェンはネェルと一緒に入ったりする…訳ないか。絶対にシュザンヌが許さない。
グウェンだからこそ、痛い程強く洗う理由って、それはもう虐めなのだけど、虐めと解釈するとネェルは自ら虐めを望んでいることになる。そんなことあるの?
「えい」
あたしにはそれ以上擦る事は出来ないので、桶に入った湯をかけた。
「え、あの、御姉様? まだ足りませんわ」
「じゃあ次は髪の毛洗おっか」
「私の話をきっぷっ」
ネェルのお願いは呑めないので、口や鼻に大量に入らない程度に頭から湯をかけて黙らせておく。
「み、水責め…そういうことですのね御姉様。私が勘違いしていましたわ。流石御姉様ですわ」
目の前で身体をくねくねと捻らせながら一人で納得して、あたしを褒め称えてくる。何を考えているかが分かりづらい子だ。まぁ傷害行為を要求されないならいいか。
ネェルの髪の毛は黒や赤茶で均等に別れたりしていて、意図的に毛染めでもしていないとこうならない程にお洒落だった。
わしゃわしゃと泡立てて洗って、痒いところもないかと検めて丁寧に二回洗ってあげた。
「よーし浸かろっか」
「え、終わりですの?」
あたしの身体に付着した泡を落として、ネェルを洗っている間に浸っていた余分な水分が抜けた髪の毛をまたタオルの中にまとめていると、丸い目を更に丸くさせてネェルが言う。
「洗い足りなかった?」
「そういうことではないのですが…」
「じゃあ浸かろうよ」
「は、はい…」
不服そうなネェルを不思議に思いながら、冷え始めていた身体をまた湯船の中につけた。
湯船から心配そうに見ていた、拗ねているグウェンは端の方へと寄った。
「はー生き返る」
「…ぬるいですわね」
肩までとっぷりと浸かりながら幸せを再度享受していると、対面に入ってきたネェルも同じように肩まで浸かって何かを呟いていた。
「ん? 何か言った?」
「はい。御姉様と同じ感想を言ったのですわ」
チャーミングなえくぼを作って言うネェルは無茶苦茶に可愛い。
「お風呂は命の洗濯だもんね」
「そうですわね。そう言えば御姉様、フィリップ様とカップルを解消し、ダンス勝負をなさるお噂を耳に挟んだのですが、本当ですか?」
「本当だよ。あ、もしかしてオカアサマから何か言われた?」
「いいえ。お母様は関係ありませんわ。私、いずれこうなるだろうとは思っていましたから」
グウェンは一周しているから、フィリップに裏切られて嫌悪感満載だけど、何も知らなかった頃はフィリップのことはどう思い、どういう感じで応対していたのかと気にはなっていたが、第三者のネェルがこう言うならば、あたしと何ら変わらない興味なしなのだろうな。
「ネェルは対決には賛成派?」
「大きな声では言えませんが賛成ですわ。私は御姉様を応援していますわ」
本当に虐めていたのか怪しくなるほどにネェルはあたしに対して好感触な対応をしてくる。それがシュザンヌから刷り込まれた上辺の対応だとすると末恐ろしい子だけど、あたし的には腹の底でほくそ笑むような感じはしない。
「ですが、カップルはどうしますの?」
「心配しなくてもカップルはカミーユと組むって決まったよ」
「お、御兄様と? 先日御兄様を拉致なさったって……」
あたしがした蛮行はそりゃ屋敷中に伝わっているんだから、ネェルにも伝わっているよね。
だからネェルの大猿が美女を攫ったみたいな反応は正しい。あたし大猿なの?
「拉致じゃないよ、二人の一時的な逃避行だよ。おかげでカミーユとカップルも組めるようになったしね」
ものはいいようである。咄嗟にこんな詩的なものいいができるあたしは絶対野蛮な大猿じゃない。
「……それはカミーユ御兄様は快諾していますの?」
「うん。カミーユからも要望されたよ。まぁ最初は断られたんだけどね」
イザークが口添えしてくれたからこそカミーユが組む気になてくれたのは秘密にしておこう。なんにせよ、カミーユ自身が組むと言っているのだから、どんな心境の変化があったところで関係は無い。
「それは…それは………」
ネェルは俯いてしまって、濁った湯に反射する朧げな自分と見つめ合っている。こちらからは表情は見受けられない。
あまりに顔をあげないので、熱に中てられてしまったんじゃないかと心配になってきたところで、ネェルは顔を上げた。
「楽しみですわね」
水滴か汗かどちらかは分からない雫を火照って赤くなった頬に伝わせながら、えくぼを作って言った。
「それでは私はお先に失礼しますわ」
「え、もう? のぼせた? 大丈夫?」
「大丈夫ですわ。脱衣所にはアンネがおりますもの」
そういえばネェルにも専属のメイドがいるんだったか。
ふらついた足取りでもないが、一応心配なので脱衣所までは送っておいた。ネェルは拒絶するようにすごく遠慮していたのが気掛かりではあった。