姉上姉上姉上
あの時逃げたのは怖かったからもあるが、理想を失う怖さもあったからだ。
ずっと元気で、溌剌とした笑顔が似合う人。女性でしかも子供。僕からすればそれはハンデをものともしない大きな背中に見えていた。
そんな姉上が好きで好きで堪らなかったし、幼過ぎた俺は英雄視していた。
姉上は勉学も音楽もダンスもマナーも何でもできるスーパー人間だと思っていた。家族なのに表面だけしか見つめていなくて、姉上が裏でどんなに辛い思いをしているかなんて、溌剌とした笑顔の裏では涙を流していたなんて考えもしなかった。それ程までに幼稚だったと言える。
母上は俺を生んで亡くなった。全くと言って覚えていないけど、姉上が使用人と共に率先して俺を構ってくれていたらしい。後々、父上が再婚し、今の母上が姉上を世話しながら、俺の面倒も見てくれた。
それからなぜか母上の事が苦手だったので、姉上に付いていくようになった。今の母上は何と表現したらいいか・・・そう、月のような人だ。だから太陽のような姉上のことを、毛嫌いしているんだと思う。姉上の光は、月には眩しすぎるんだ。
お日様の温もりが残った布団で寝るのが至高のように、温もりには引き寄せられる。姉上のはちょっと暑苦しい時もあったけど、心地良かったんだと薄っすらと記憶している。
いつか姉上が教えてくれたけど、姉上が野山を散策するのは、亡き母上との楽しい思い出をずっと思い出せるようにする為だって。そうなんだ。と軽薄に答えていた気がする。
言い直せるならば、言い直したい。だってそれって姉上の心が前を向いていないってことだから。野山を散策している時は、嫌な現実から逃げているってことなんだ。やっぱり俺はそんなことにも気がつけなかった。
姉上は過労で倒れた。いや心労もたたっていたに違いない。
俺は目の前で事切れたかのように倒れた姉上を目撃した。いくら揺さぶっても起きない。声をかけても起きない。さっきまで笑顔だった姉上の顔が苦しそうに段々と青ざめていくにつれて、俺の顔も青ざめていった。
完全無欠な姉上が倒れる訳がない。太陽のように指針を示してくれる姉上が倒れる訳がない。大好きな姉上がいなくなるなんてあり合えない。
現実は容赦なく否定してきている気がした。
姉上は弱く脆く、完全無欠を装っている人間で、いとも容易く温もりが消えて、そのまま還らぬ人になるんだ。そう突き付けられた。
だから俺は逃げた。
認めるのが怖くて、先に進むのが怖くて、全てが乖離してしまった為に逃げた。
姉上が何度か俺との仲を取り戻そうとしてくれたけど、強く拒絶した。
本当は姉上と前のように一緒にいたかった。だけど、俺が弱いからそうはいかなかった。
これ以上姉上に負担をかけないようにし、父上の跡を継いで、俺が姉上のような完全無欠な英雄になってみせる。そう言い聞かせて、姉上と関わることを拒んだ。
建前はこんなところだ、本当は姉上の中に太陽を見いだせなくなったのに絶望していた。
だが窓ガラスを割って強引に入って来た姉上は太陽を背負っていた。
誰かが頬を撫でてくれた気がした。多分亡き母上だ。
今が変わる瞬間だと言ってくれたんだ。
俺は姉上の温もりに触れて、より決心した。
姉上を幸せにしよう。と。
母上との問題も、許嫁問題も、そしてこれから姉上に降りかかる問題も共に解決していこう。
これは家族愛であって、恋愛じゃない。
そう言い聞かせないと、俺は姉上を幸せになんてできない。