弟と確執とシュークリームと(3)
穏やかでも山道を成長期の男の子を担いで登るのは疲れるものだ。脚に溜まった乳酸君も産声を上げている。
「姉上……逃げませんから降ろしてください」
あたしの疲れを感じ取ったのか不貞腐れたように言うカミーユ。これ以上登り続けると限界が来そうなので、あたしは言葉を信じて降ろした。
「どうして……どうしてあんなことしたんですか。そこまですることですか」
「うん」
思いつめたように言うカミーユとは対照的に気楽に返す。
「うんって……父上に叱られますよ。母上にまた嫌な事を言われますよ。立場を悪くなさいますよ!」
「あははーそうかもね」
「笑い事じゃ――」
「そ、笑い事じゃない」
一瞬崩したあたしの笑顔に反駁しようとしたが、真顔で言うとカミーユはたじろいだ。
「だっ、だったらなんで」
「カミーユとこのままでいるのが笑い事にならないからかな」
カミーユは痛いところを突かれて顔を伏せた。
「……だ、だとしてもやり過ぎですよ」
「カミーユが話し合いに応じてくれないから仕方ないじゃない」
「と、扉越しでも話はできます」
「帰ってって言ってました。それにね、あたしはカミーユの顔を見て話したかったの」
カミーユへと近づいて下を向いている顎を軽く指で持ち上げて、強制的に目を合わせる。しかしカミーユは目を逸らす。
「そ、そんな我儘な」
「我儘結構。我を通さないコミュニケーションはお仕事だけで充分。あたしとカミーユは家族だしね」
お姉ちゃんぶってウインクしてみたり。
「家族でも触れていいのと悪いのがありますわよ……」
「親しき中にも礼儀ありといいますよ……」
冷たい目で二人に同じことを言われた。このナイーブ姉弟め。
うん? あたしががさつなのか? あとで泣いて大声だそ。
「だぁ!もう! あたしはこのままカミーユと笑って話もできない間柄は嫌なの!」
「それは勝手じゃないですか」
「そうですわ!」
あたしまでもがナイーブになってしまうところだったので、振り払ってからカミーユの両肩に手を置いて、今度こそ目を合わせた。
つーかグウェンはどっちの味方なのよ。
「じゃあカミーユはもうあたしと一生会話しなくても良かったの?」
「………それは」
「もう一回言うけど、あたしはカミーユと話し合いたいの。それで昔みたいに戻りたいの。それだけだよ」
たったそれだけの事だ。それだけの事なんだから、イザークに叱られようが、シュザンヌに小言言われようが、立場を貶めようが、後ろ指差されようが些細な事だ。埒が明かないくらい話し合って、それでもカミーユがグウェンと接したくないんだったら、もう仕方ない諦めよう。
あたしは出来ることがあるのに、最初から無理と決めつけてやらないのだけはしたくない。やらない後悔よりも、やって後悔だ。
「まだ…歩けますか?」
赤い瞳同士で見つめ合っていたら、カミーユが申し訳なさそうに呟いた。
「え、うーん。少しなら歩けそう」
「じゃああそこに行きましょう」
乳酸君と相談してから言うと、先導するようにカミーユは歩き出した。
しおらしくしていたグウェンと顔を見合わせると、グウェンは泣きそうになりながらも嬉しそうに何度も頷いた。心を開いてくれたのだとしたら、それは会話の兆しが見えたってことだ。
でもどこに行くんだろう。
山道を歩いて二分ほど、獣道のような道へと入って行くカミーユ。草葉まみれになりながらも、突出した枝を折ったり、後続のあたしが歩きやすいようによく踏み鳴らして先導を続けてくれた。その行為にグウェンが「立派な紳士になって」なんて言って涙ぐんでいた。
暫く歩いていると開けた平らな場所へと出た。
そこからは山下が一望出来て、ラインバッハ家はおろか、遠くのミニチュアハウスのような家々や町の明かりも見えた。木々の晴れ間がある場所だから、空を見上げると、陽も落ち切ったので、より一層煌びやかな一番星が輝いていた。
「綺麗……」
意図せずに漏れ出た言葉だった。
いつもいつも都会の喧騒にまみれて、ビル群の光かモニターの光しか浴びていない蛾のようなあたしには、この自然と存分に一心一体になれる場所と風景は感動するには容易だった。
「座りましょうか、姉上」
目に景色を焼き付けていたあたしを誘導するように、カミーユはちょうど二人が座れそうな切り株へとハンカチを敷いていた。
切り株に座ると、カミーユも隣に腰掛けた。肩がくっつく程の距離で、夜景に映えるカミーユの顔は美麗だった。
本当にグウェンを男の子にしたような感じだな。少年時代でこのポテンシャルなんだから、これでもっと男らしくなってしまったら、絶世の美男子になっちゃうんじゃないか。そうなったらモテモテだろうな。
「ごめんなさい姉上」
横顔を見ていると急に謝罪された。
「急にどうしたの? あたしを邪険に扱ったのは、こうして話してくれている訳だし別に気にしていないよ」
「それもありますが、わた…俺は姉上にずっと謝りたかったんです」
カミーユが箱を強く握った。
ほれみろグウェン。カミーユだって優しいあんたの弟なんだよ。あんたが謝りたかったように、カミーユだって謝りたかったんだよ。ただ互いに勇気と余裕がなかっただけだよ。
「俺、あの時姉上が倒れて、どうしていいか分からなくて、それで人を呼ぶために離れちゃった。本当は一緒にいなきゃいけなかったのに!」
「そ、それは違いますわよ。カミーユがこの場から離れたからこそ、ヨランダと出会えたのですわ」
グウェンの言葉をそのままカミーユに伝える。ここにあたしの言葉が入る余地はない。
「違う、俺は逃げたんだ。苦しんでいる姉上を置き去りにして逃げたんだ!」
「そんな、そんなことは」
グウェンは心のどこかで置き去りにされたと思っているからこそ否定できずにいて、あたし達から少し距離をとろうとした。
仕方ないな手助けするか。
「それで、ずっと逃げ続けるつもりなの? あんたはそんな卑怯な人間なの?」
この言葉はあたし達の間の背後にいるグウェンに対しても言った。
グウェンは逃げだされたことを心のしこりにし、カミーユは逃げてしまったという事実を恐れている。そして時間が経ってしまって、大きな確執になって、二人を分け隔ててしまった。隔たりが、互いが真実に触れ合うことから逃げだす口実となっていた。
行動はしたのだろう。互いに傷つけあってしまったのだろう。そして互いが傷つけあわないように逃げている。
両人ともナイーブで優しいからね。
一見すれば麗しい思いやりだけど、あたしからすれば不健全極まりない。
傷も舐めない傷つけあいだ。お互いに自分で傷つけあって、深くなっていく傷を放置して目を背けるなんて、不健全だ。
グウェンはいきなり自分の頬を両手で掴むように叩いた。
そして鋭い目をより一層鋭くした。
「そうですわね。そうですわよね! ここまでお膳立てしてもらって、まだくよくよして逃げるなんて、ラインバッハ家の名が廃りますわよね! ありがとうございますわ!モモカ! 私はもう逃げませんわ!」
どうやら活がようやく入ったようだ。
やっぱり活ってのは他人に入れてもらうのもいいけど、自分で入れなきゃだよね。