中編
あっちゃん、元気ですか?
あはは、元気はないか、ばあちゃん行方不明だもんね。
そこは謝ります。ほんと、ごめんなさい。
パソコン持って母さんとこに行くように仕向けたことも、ごめん。すごく後悔させることはわかってたの。自分がついてれば避難できたんじゃないか、ってね。
そのことは本当に申し訳なく思っています。
だからこのメールを出来るだけ早く開けてくれるといいなって、今はそれを祈りながら打ってるの。
とりあえず言いたいことはね、
ばあちゃんは元気にしてるから(たぶん)あっちゃんも元気になってちょうだい、ってこと。
なぜ(たぶん)なのかっていうと、これはまだ未来の話だから確定じゃないの。だけど、ばあちゃんが世界で一番信頼しているお方が保証してくださったから、まず間違いないはずよ。
混乱してる?当然よね。
落ち着いて、ちゃんと説明するから。
まぁ詳しく話すとすごく長くなっちゃうから、かいつまんで……
遠い遠い昔の話。こことは違う世界で一つの星を管理する神々の間で、争いが起こったのが始まりよ。
神々のうちの一柱、龍神様は、最大の力を持つために、どの神にも与せず傍観を決めておられたのだけど、神々から争いを止めるために仲裁して欲しいと呼び出されたの。
それが罠だったと知ったのは、突然巨大な魔法陣が足元に現れ、龍神様の持つ膨大な魔力を引き出された時。
引き出された魔力は頭上に次元の穴を開け、龍神様は為す術もなくその穴へと吸い込まれてしまったのだそう。
その時にね、龍神様は敵対していたはずの面々が、手を取り合い、龍神様に向かって嘲笑を浮かべているのを目撃したのですって。
格下の神たちに嵌められた屈辱は、時も距離もない真っ暗な空間を漂って、ついに五千年前のこの世界に辿りついたその時にも、まだ龍神様の御心を苛んでいたの。
巨大な魔法陣に大半の魔力を吸い取られ、次元の狭間を彷徨って弱り切ったとはいえ、かつてあちらの世界で唯一無二の力を誇った神の存在は、荒ぶる感情だけで天変地異を起こしてしまう。
つまり龍神様が空を割って落ちてきたその瞬間から、辺り一面は黒雲に覆われ、土砂降りの雨と吹き荒れる風、そして時折落ちる雷に見舞われることとなったのよ。
龍神様にとっても、やっと暗闇から解放されたとはいえ、辿りついた先の空気にはわずかしか魔素が含まれてはおらず、失った魔力を取り戻すのに気の遠くなるような時が必要とわかったのだから、機嫌が直るわけもなかったのね。
つまり、荒れた天候は幾日も続いてしまったの。
慌てたのは当然そこに住む人々。
五千年前だから稲作もまだ知らなかった『縄文時代』よ。食料の備蓄がさほどあるはずもなく、天候の悪化はまさしく死活問題なのだから。
集落の長の決断は早かったわ。
天変地異は荒ぶる神が起こすものだと当時の人々は考えていて、まさに天が割れて巨大な何かが落ちてきたのを、目撃した者たちが複数いたらしいから、原因は推して知るべし、ね。
神の怒りを鎮めるためには、集落で一番美しい娘、すなわち我が子を贄として差し出す以外ない…というのが彼の出した結論だった。
そして荒れ狂う嵐の中を、父娘は神の元へ向かったの。
彼らの行動の結果、龍神様の荒ぶる御心は鎮められたわ。
贄が効いたわけではないのよ。龍神様はただでさえ少ない食料から差し出された貢ぎ物は受け取られたけど、贄は断ったの。
わずかな貢ぎ物には龍神様を畏れ敬う心が込められていて、それは龍神様の力となるものなんですって。
さらに、差し出された娘と言葉を交わせたのが大きかったの。
龍神様には言語というものは必要なく、そのお言葉を思念として受け止められる者とだけ会話できる…というのは、異世界でも同じだったみたいで、あちらでもそれが可能な人間はそうそういなかったみたい。
それだけでも貴重な人材だったのだけど、さらに彼女は荒ぶる龍神様が放つ怒りの感情、その下の深いところに沈みこんでいた哀しみを感じ取り、それが少しでも癒えるようにと祈りを捧げていたんですって。
それなりに関わりのあった者どもに裏切られ、故郷を遠く離れた地に流れついて傷ついた龍神様のその御心を、自分たちの不遇を嘆く前に思い遣り、そしていたわったその娘を、龍神様はいたくお気に召したというわけ。
龍神様は、この星の神々に慮り、世界が紡ぐ物語に干渉しないと決めておられたそうよ。
いずれは元の世界へと帰るお積もりだったから。
実はね、龍神様は次元の狭間に吸い込まれる寸前に、何とか極々小さな分身を魔法陣の外にはじき出すことに成功していたのですって。
分身との繋がりは切れていないので、それが他の神々に見つかること無く異世界に潜んでいることを龍神様は知っておられたの。
つまり、龍神様には元の世界へと帰るための指標があるのよ。
とはいえ、力の衰えたまま帰ることはできない。元の力を取り戻さない限り、裏切った神々を懲らしめることは不可能だものね。
だから龍神様は力を蓄えるまでの滞在許可を、この世界の神々に願い、受け入れられたそうなの。
この世界にある薄い『魔素』を少しずつ取り込み、万全の力を得て元の世界に帰るために。
それには永い永い年月が必要で、龍神様はほとんどの時間を睡眠に当てることにしたの。そして守として、娘の一族を所望された。
その一族というのが、つまりばあちゃんの実家の佐礼家というわけ。
この世界には魔素は少ないけど、ごくまれに、無意識にそれを扱える者が生まれるみたいなの。
龍神様に贄として差し出された娘がまさしくそういう人間ね。
そしてそれは遺伝する。
つまり佐礼家は、そういう力を持った者が生まれやすい一族だったのよ。
そうは言っても全員がそうなるわけではなく、何代かに一人、くらいの割合で現れる程度だけど。
そして力を持った者が生まれると、龍神様にお仕えし、この世界の有り様を知りうる限りお伝えしてきたの。
そうやって永い永い時を、佐礼家の能力者たちは龍神様と語り合い、龍神様は竜伏山と名づけられたあの山にいる限り、彼らを守ってくださった。
そうして五千年の時を経てついに、龍神様の御身はかつての力を取り戻したのよ。
実を言えばそれは先の大戦の頃のお話。
あっちゃんも知ってる通り、あの頃の日本はまあ大変な時期よ。
龍神様はもう異世界に帰れるとわかっていたのに、ありがたいことに永年仕えた佐礼家をお見捨てにならなかった。
遠い戦地でばあちゃんは二人の兄を失ったけれど、龍神様によって山は守られ、その後もしばらくは見守ろうとおっしゃってくださったの。
はい、ここまでで気づいたかな?
この時代にも龍神様とお言葉を交わした者がいたことに。
佐礼家に生まれた者は、三歳の時に龍神様を祀っている祠に連れて行かれる決まりなのね。
そこで他の者には聞こえない龍神様の御言葉を聞き取れた者が、龍神様のお話相手として育てられるの。
どういうふうに育てられるかというと、とにかく知識を増やすこと。龍神様は魔素のない世界の理をお知りになりたいようでね、主に科学的な発想をたいそう喜ばれたそうよ。それから社会情勢も。一つの世界を管理するお仕事をされていたわけだから、他者の有り様に興味がおありだったのでしょうね。
で、私の二番目の兄にその力が発現したの。
これが江戸時代末期以来の発現だったので、家長である父の喜びはたいへんなものだったらしいわ。なんとしても龍神様のお役に立てるようにと、兄への教育はそれは厳しいものだったみたい。
おかげで兄に私はよく愚痴られたわ。
というのが、兄に力が発現して十数年後に、私にもそれが現れたから。
龍神様の仰るには、動乱や変革の時代に感覚の鋭い者が増える傾向にあるということ。
世界的な大きな戦が起こるのではないかという気配は、勘のいい人たちは気づき始めていた頃ね。
佐礼家の家長である父は相当悩んだみたい。
というのも、八人兄妹の末っ子に生まれた私は、幼い頃はかなり身体の弱い子だったから、兄と同じような厳しい教育は難しかったの。
『それには及ばない』
龍神様はそう兄に伝えてくださったというわ。
もう御自分は異世界に帰る時が来た。身体の弱い幼子に無理を強いるつもりはない…と。
後は長年仕えてくれた一族の行く末を確かめてから、旅立つことにする、とそう仰っていただいて、父も兄もありがたいやら、悲しいやらと複雑な思いだったらしいわね。
そうして第二次世界大戦が起こり、その後の日本が急激に変わっていく有り様を、龍神様は複雑な思いで受け止めておいでだったみたい。
この国をお気に召していただいていたから、尚更にね。
ところで、大戦の前あたりから龍神様の祠にはラジオがいつも流れるようになっていて、兄が口頭で伝えなくとも世界の情勢は龍神様に届けられるようになっていたの。
戦後になると、テレビね。
祠のそばにアンテナを立てて、龍神様がテレビをご覧になれるようにしたら、それはもうお気に召していただけたらしいわ。
なにしろ喜びすぎて、いきなりアンテナに雷を落として台無しにしてしまったほど(笑)
そしてパソコン!
インターネット!
その都度設置された避雷針に雷を落として、兄を苦笑させていたみたい。
特にインターネットはまさに知識の宝庫だったから、龍神様は帰還を遅らせる決意までされたようよ(笑)
信じるか信じないかはあなた次第(笑)
佐礼家は五千年の永きに渡って龍神様にお仕えしてきたけれど、日本の近代化に伴って御言葉を聞き取れない者にとっては、おとぎ話か迷信のたぐいだとしか感じられなくなったの。
もとより龍神様はそのように子孫を導いた方がよいと、お考えだったみたい。
近いうちに自分はいなくなるのだから、と。
佐礼家のことはこの国の神々にお願いするから心配いらないと、そう仰って、帰還のタイミングを図っておられたのだけれども…。
龍神様がインターネットにはまってしまって、帰還のタイミングを逃しているうちにお山を管理していた最後の氏子ともいえる兄が亡くなり、すでに都市部を生活拠点としていた甥が、お山を売却しようとしたわけ。
…どう?
ばあちゃんがどうしても竜伏山を他人に渡せなかったのは理解してもらえたかしら?
ばあちゃんの兄姉は龍神様の御言葉を聞くことが出来なかったし、もうあそこを守れるのはばあちゃんしか残っていなかったの。
本当なら龍神様の巫女として、ずっとお傍についているべき身だったのに、小学校の教師になったときも、じいちゃんと出会ってプロポーズされたときも、好きに生きろと背中を押してくださったのは龍神様よ。
これでやっと、佐礼家に生まれて力を授かった責任を果たせると、ばあちゃんは嬉しかった。
あっちゃんが一緒に住んでくれたのも、本当に助かったわ。
あれで誰にも文句を言われずにお山を守れたのだもの。
とはいえ、さすがにばあちゃんも年じゃない?
龍神様は有り余る魔力でばあちゃんに加護をくださっていたのだけど、いつまでも元気すぎる年寄りというのも悪目立ちしそうでしょ。
もうそろそろ限界かなぁと思っていたら、龍神様にお誘いを受けてしまったの。
『我が故郷に共に行こう』
…って。
なんと、龍神様はインターネットで学んでいるうちに、得た知識を魔法と結びつける方法を見つけ出されたのよ。
ばあちゃんは九十八歳の年寄りだけど、龍神様があちらで眷属としていたのはエルフ族で、エルフ族で九十八歳なんてほんの小娘だとおっしゃるの。
だからあちらに帰った後、エルフ族の遺伝子を解析して、ばあちゃんの遺伝子をちょちょいのちょいといじくってエルフにしてしまえば、あらまあビックリ、九十八の老女がぴっちぴちのエルフの小娘になれるというわけ。
ついワクワクしてしまったばあちゃんは、悪くないと思うんだけどどうかしら。
悪くないわよね。
まぁ、そんなわけで、ばあちゃんは異世界に行って来ます!
だからもう嘆かないのよ、あっちゃん。
追伸
竜伏山はほぼほぼ龍神様の御身体そのものだったから、たぶん今は更地になっているんじゃないかと思うけど、あそこはあっちゃんに遺しておいたから、訪ねてみてね。