第9話
「では、名残惜しいですが行ってきます。お世話になりました」
「待て待て待て待てっ!」
問題無く熊鍋パーティーを終えた翌日の朝。
いつも通りに起床し、いつも通りに朝食を作り、いつも通りに師匠と殺り合い、いつも通りに食後の後片付けを終えて、前日の夜に準備しておいた荷物を背に別れの挨拶をしたのだが、何故か師匠に止められた。
「何処へ行こうとしている!?」
「何処って、街ですよ。冒険者になれと言ったのは他でもない師匠でしょう?」
「いや確かに言ったが、昨日の今日だぞ? 普通はもっとこう順序ってものがあるだろ。準備だったり、育った環境から離れることへの寂しさだったりとか」
「思い立ったが吉日と言うでしょう。それに準備なら昨日のうちに済ませましたし、寂しさ……と言うよりかは師匠が俺無しで生活できるのかという心配の方が勝ってます」
「お母さんかお前は!」
でも実際心配なのだ。身の回りの整理整頓やらはしっかりしてるから特に気にしていないが、食生活がな……。満足に料理できない分、他の人に迷惑かけるんじゃないかと真面目に不安である。
なるほど、子が離れていく親ってこんな心境なのかもしれないな。
「はぁ……待つつもりは?」
「もういつでも出立できるので、今日中には出て行こうかと」
「相変わらず一度決めたら頑なだなレドは。……まぁ、それがお前の意志なら止めはしない。
だがその前に少しだけ待て。渡す物と話がある」
そう言って師匠は家の奥へと消えていった。話はともかく既に愛剣まで渡されているのに、これ以上俺に何を渡そうと言うのか?
疑問に思いながら只管に首を傾げている間に師匠が戻ってくる。その手には小さな袋が握られていた。
「それは?」
「当面の資金だ。街に行けば何かと入用にもなるだろうからな。持って行け」
「なっ、流石に受け取れません。剣だけでも身に余る光栄なのに、お金まで」
「では聞くが、レドの所持金のみでいったい何度宿に泊まれると? 加えて、冒険者になる上で必要最低限の物も買い揃えなければならないと考えれば、それなりに費用はかかるぞ」
「……宿代は野宿で」
「街中でおいそれと野宿なんぞすれば兵士に取っ捕まるのが関の山だ。そうなっては冒険者になるどころではないだろう?」
「蹴散らします」
「蹴散らすなっ。それこそお尋ね者になって詰むぞお前」
むぅ……確かに所持金はあればあるだけ困るものじゃないのかもしれないが、貰い過ぎてもな。
「それともお前は、街で揉め事を起こしてリズリア・ヴァレンタインの顔に泥を塗ると?」
「受け取ります」
「よろしい」
そうだ。確かに半端なことをしていては師匠を裏切ることと同義。ヴァレンタインの名に恥じない為にも、ここは素直に受け取っておくのが正解だ、うん。
スタートが切れなければそもそも話にならない。このお金は、俺が冒険者として十分な収益を得た後、倍以上にして返せばいいじゃないか。
「さて、それじゃ話の方だな。まぁそんなに長くはならないから安心しろ。とりあえず座れ」
特に反論はせず、促されるまま椅子に腰掛ける。同じく師匠も反対側に座ると、何やら神妙な面持ちで俺を見つめてきた。
「何から話すか……そうだな、まずはレド。この世界にとってレドという存在が、どれほど希少な存在であるかは理解しているな?」
「もちろんです」
それについては何年も前から聞かされていたことだ。師匠に鍛えてもらう最中に嫌というほど教え込まれた。
俺という存在。いや、正確には俺に宿る力の存在について。
「お前も知っての通り、この世界は女性優位で成り立っている。地域によっては男は酷く見下される上に、場合によっては家畜以下の扱いだ。人権など無いに等しいだろう。
差はあれどどの国でも基本は同じ。それは何故だ?」
「この世に存在する全ての女性が力を持つ核者だからです。そして男は何も持たざる無力者。故にいつの世も俺達男は最底辺でありゴミ同然……いつ聞いても反吐が出る話だ」
核者。それは即ち女性を表す言葉でもある。
この世の女性は例外なく力を持つ存在である反面、男は約立たずの能無し。こんな世界になってしまうのも必然と言えば必然ではあるのだが、胸糞悪いことに変わりはなく。女が嫌いな俺からすれば、まさしく地獄すら生温い環境と言えた。
力と言ってもかなり漠然としているものだ。その多くは男性よりも身体能力や思考能力が高い程度。そういう意味で男性より上なだけで、特別何かに特化している訳ではない者が大半だろう。
それだけならばここまで世界が酷くなることもなかった筈だ。では何故、実際こんなことが起きているのか。
「力がある故に調子に乗るのは知恵ある者の性とも言える。が、ここまで歪んでしまった決定的な要因は何だ?」
「それは──」
分かりきっている。その言葉を口にするのは簡単だ。しかしそれは、目の前に居る師匠にも当てはまることだ。
ここでそれを言ってしまえば、他ならぬ師匠も世界を歪めた要因の一つだと認めてしまうことになる。だからこそ言い淀んでしまった。
「お前の考えている通りだ。私のような戦核者の存在が、世界を歪めた」
「っ! 師匠は違います! 貴女と他の戦核者が同じである筈がない!」
「かもしれないな。だが、私が望まずとも間接的に歪めてしまってはいるだろう。多くの者に影響を与える程度の存在だという自覚はある。
元最強の冒険者の名は伊達ではないからな、はっははは!」
それは……否定できない。良くも悪くも師匠は影響力の強い人だ。しかし、それでも俺は認めない、認めたくない。この人だけは特別なんだ。
たとえ同じ戦核者でも、他の女共とは違う。
……そう、戦核者。それこそが世界を歪めた最大の要因。
核者の中でも特別優れた力の持ち主であり、基本の物とは別に特殊な力を持つ者達の総称だ。その力の種類は多岐に渡り、未だ一つとして同じ物は無いとは師匠の言である。
そんな戦核者が率先して調子に乗るから、同じ女である核者も勘違いして調子に乗る。戦核者がこう振る舞っているのだから私達も偉い、強い、男より上。そんな勘違いが浸透してしまった結果が今の世界だ。
「お前が行こうとしている場所は、まさにそういう影響を強く受けた場所に他ならない。長いこと冒険者を続けてきたが、私はもう呆れてしまってな……どいつもこいつも人の奥というものを見ようとすらしない。
だから私は引退した。あんなバカ共に囲まれて高みに居るよりも、ここで悠々自適に暮らす方がよほど有意義だ」
その言葉に嘘偽りは無い。師匠にしては珍しく苦虫を噛み潰したような顔をしていた。俺では想像もできない程の修羅場を潜ってきた師匠がこうまで言うのだ。よほど居心地の悪い環境だったのだろう。
「とは言え悪い奴らばかりじゃないのもまた事実。これでも多くの冒険者に助けられてきた。言っただろ? 良い人達も多いと。
これから行く先で、レドは様々な人と出会うことになる。良い奴悪い奴、その交流の果てに苦しむことだってあるかもしれない。……だがな、真に信頼できる存在は必ず見つかる。私がお前という存在に出会えたようにな」
「……想像できません」
「今はそれでいい。経験を積め愛弟子」
話は以上だ、そう告げて師匠が立ち上がる。
「レド。冒険者ギルドだけに限らず世界中のあらゆる場所でお前が何者か明かす、もしくは正体の推測をされるような事が起きた場合、誰もが期待することになるだろう。
それだけ特別な存在なんだ、お前は。男の戦核者はな」
「……」
改めて言われると出立が嫌になってきた。今更何をとは思うが、やはりこれから行く先で俺は多くの人と関わることになるのだろう。それはつまり、嫌でも核者と接触するということに他ならない。
師匠ですら引退の道を選んだ茨道だ。俺程度に耐えられるかどうか。
「そう難しい顔をするな。なに、お前ならやれるさ。な?」
先のことを考えて少々不安になっていると、いつの間にか隣に来ていた師匠に頭を抱きかかえられた。
もうすっかり慣れてしまった温もりが頬を伝って全身に染み込んでいく。女嫌いのくせに、俺は師匠が与えてくれるこの暖かさが好きだ。何もかもを投げ出して甘えてしまいたくなる。
「まだ子供扱いですか?」
「男として扱ってほしいか? 何なら口づけの一つくらいはやってもいいぞ? レドならむしろ歓迎だ」
「これ以上師匠から貰うわけにはいきません。それはいつか現れる師匠の旦那にでも取っておいてください」
「お前が私の旦那になる選択肢もあるじゃないか」
「そこまで図々しく生きられませんよ。そろそろ離してもらえます?」
「やれやれ……恐ろしくガードの固い奴だ」
不満気な顔をしながらも師匠は離れてくれた。それと同時に無くなってしまった温もりに少しの寂しさを覚え、それを悟られないように努めて冷静に無表情を貫き続ける。
どこまで本気の発言なのやら。仮に心からの言葉なのだとしても、師匠に俺は似合わない。
「出て行く前にユナくらいには挨拶した方がいいんじゃないか?」
「行ったところで二日酔いでそれどころじゃないでしょ」
「あー、確かに……。やれやれ、ユナの奴も間が悪い」
昨日は調子に乗ってバカみたいに飲んでいたからな。今頃ベッドの上で頭痛やら何やらと必死に戦っているに違いない。今朝俺のベッドに忍び込んでいなかったのが良い証拠だ。
「ユナに限らず皆にも挨拶は不要でしょう。ゼニス辺りは露骨に大喜びしながら嫌味を飛ばしてきそうですし。そこまでされると俺も手が出かねません」
「否定できないのが何とも……」
「おそらく俺が居なくなることで師匠へのアプローチが増えてくると思いますけど、まぁ頑張ってください。
ゼニス以外にも師匠を慕う男、それなりに居ますよ?」
「むっ、ちょっと待てそれは初耳だぞ。ゼニス以外にも居るだと?」
むしろ何故今まで気付かなかったんだ。
この人は自分がどれだけ美しい容姿をしているのか自覚が無いのだろうか。しかも世の核者と違って男女平等主義なのだから、そりゃ好意を寄せられて当たり前である。
この生き辛い世の中に住む男性にとって師匠の存在は心のオアシスと言っても過言ではない。まさしく完璧美女。
まぁ寝起きの暴れ癖と壊滅的な料理スキルを除けばだが。
「では、そろそろ行きます。お達者で」
「こ、こらレド! 最後に気になることを吐き捨てておいて教えないままとは感心せんぞ! 聞いているのか! レドー!」
声を張り上げはするものの追ってこようとはしない。怒りの言葉なのにどこか暖かみを感じる声を背に受けながら、俺は家を後にした。