第8話
「かんぱーい!」
『かんぱーい!』
熊を狩り終えてしばらくの後、場所を確保すると言っていたユナの結論として選ばれたのは、屋内ではなく屋外だった。
確かにこの村には大きな建物も無いし、それこそパーティーを開くには不向きなものばかりだ。
拓けた外を選んだユナの判断は理に適ってる。
それぞれの家庭から調理器具を持ち寄って、下処理を済ませた熊肉を各々で調理し皆に提供する。
調理には熊を仕留めた俺も加わり、当初の予定通り熊鍋を作ってみた。我ながら美味く出来たもので熊独特の臭みも無い。皆にも好評なようで一安心だ。
火を囲んで賑やかにしているユナや皆を遠目に眺めながら、木陰に座り込んでコップに注がれた果実酒を口にする。あまり酒は得意な方ではないが、これは度数も控えめで飲みやすい。
「今回の功労者がこんな所で一人酒とは寂しいな」
「師匠」
ボーッとしていると何処からともなく現れた師匠に声をかけられた。その手には大きなジョッキ。中身は俺と同じ果実酒だろうが、相変わらずよく飲む人だ。
ん? もう片方の手にも何か持っているな。麻袋……か? なんだろう。
「隣、いいか?」
「いつでも空いてますよ」
「ははは、それは何より」
軽口を叩きつつ師匠が俺の隣へ腰を下ろす。チラリと横顔を見ただけでも分かるほどに上機嫌な様子だった。
「ユナ達とは飲まないのか? せっかくのパーティーだ。もっと楽しめばいいだろうに」
「ユナだけならともかく、あの輪に入るには俺は異物でしょう。気を遣わせる事くらい分かりますよ」
ゼニスを筆頭に、俺は普段から村の若い男達には良い感情を向けられていない。無論、中には良い奴も居るが、それでも大なり小なり俺の存在を気にしている。
そんなものはどうでもいいと無遠慮に入っていけるほど、俺も無神経ではないからな。居ない方が気兼ねなく楽しめるならば、俺は喜んでその場から退場するさ。
「所詮は余所者。どれだけの月日が経とうとそれは変わらないのでしょう」
「ふぅむ、困った弟子だ。そんな寂しい事を言わないでほしいというのが私の本音なのだがな。私達は家族だろう?」
「……」
その言葉に対して、俺は直ぐに返答することができなかった。
これまでも師匠が俺を家族と言ってくれる事は多くあった。その度に嬉しく思う反面、素直に受け入れられない自分が居る。それだけ家族という言葉は、俺にとって特別なんだ。
俺にとって本当の家族と呼べる存在は既に──。
「……ところでレド。ユナから聞いたが、剣が折れたらしいな」
露骨に話題を変えられて少しだけホッとした。きっと師匠もその辺りの事を理解してくれているのだろう。深く追求されても困るだけなのでありがたい。
「ええ、熊の頭を貫いた時に。そもそもガタが来ていましたし、無理もないですけどね。最後に剣らしく役目を終えたのですから、本望だろうとは思ってます」
「あっははは! まぁ確かにそうだな! 今日の鍛錬で使わなくて正解だったろう?」
「本当に。丸太相手に折られていたら、浮かばれなかったと思います」
「それで、その剣はどうした?」
「棚にしまってあります。修理は絶望的ですけど、何かしらの加工を施せば他の使い道があるかもしれないですから」
「……貧乏性だな」
「物持ちが良いと言ってください」
ダメになったとはいえ元愛剣。違う形でも蘇らせたいじゃないか。
「ふふ、頑固者め。ではそんなレドに一つ贈り物をしてやろう」
そう言って、師匠が麻袋の中から何かを取り出した。
剣だ。それも俺が使っていた剣とは明らかに質も格も違う代物。
黒を基調とし、細かく深紅色のラインが走る鞘。師匠が少しだけ鞘から剣を抜き、中から顔を覗かせた刀身もこれまた黒色をしていた。
美しい。でも、つい最近何処かで似たような物を見た覚えが…………あっ。
「この刀身の輝き、鍛錬の時に使った片手斧と似ていますね」
「流石に分かるか。その通り。これも同じ鉱石を用いて鍛え上げられた代物だ。鞘の部分も合わせれば斧よりも遥かに重い故、常人では持ち歩く事さえ叶わん。
下手をすれば抜くことすら、な。ほら」
「おっとと……!」
あの斧よりも重いと言ったばかりだというのに、それを簡単に投げ渡してくるのはやめてほしい。問題なく受け取れはしたが、なるほど確かに重い。頭に異常と付く程度には重過ぎる。
これもまた斧と同じで、力を持たない人間ではまず満足に振れないだろう。
「それの名は黒剣タナトス。何を隠そう私が現役時代に使っていた物だ」
「なっ! そんな貴重な物を!?」
「そこまで驚くほどの物でもないだろう」
そんな訳がない! 最強の冒険者と名高いリズリア・ヴァレンタインの愛剣だぞ! 見るだけならともかくこうして触れられるなんて貴重以外の何だというんだ!
落ち着け……俺としたことが興奮し過ぎている。いやしかし、そうか……これが師匠が使用していた物なのか。
「無駄な装飾が一切無い、まさに実戦向きのデザインだ。柄も握りやすい上に絶妙な長さ。ん? よく見たら細かい所にも手が加えられてる……ほとんどの部位がカスタムされてるのか。これは凄い」
「にやけてるぞ」
「こんな代物を前にしたら嫌でもにやけます。これだけの物を造れるのは、やはりドワーフですか?」
「土台はな。細かい部分は私が自分好みに加工した。だから私の剣術を教えたレドにも問題なく扱えるだろう」
つまりこれは、世界に2つと無い一振り。まさに師匠専用のカスタム剣か。
師匠を知る人からすれば喉から手が出るほど欲しい一品に違いない。この重さ、感触、噛み締めないと。
「貴重な体験をさせてもらいありがとうございます。これ以上ない贈り物ですよこれは」
納得がいくまで黒剣を眺めた後、鞘に収めて師匠へと差し出した。しかし待てど暮せど師匠が黒剣を受け取る事はなく、何やら首を傾げている。ん?
「いや、あのな? レド」
「はい? ……ああ、そうですよね。ベタベタと触ってしまいましたし、磨き直してから返すべきでした。すみません」
「いやいやそうではなくてだな。お前はあれか? ひょっとして、剣をただ見せてもらったことを贈り物と解釈しているのか?」
「違うのですか?」
「はぁ……時々とんでもないアホになるな我が弟子は」
「失礼な」
「いや、アホだよ。今に限ってはな。
今の流れで何をどう解釈したらそうなるのか私は甚だ疑問だ。冒険者としてやっていけるのか少し不安になってきた」
そこまで言われるのは心外なのだが。しかし、なら贈り物とはいったい?
「その黒剣をレドに譲ると私は言っているんだよ」
「…………は!?」
言われた言葉の意味が分からず、たっぷり考え込んだ末に結論へと至った瞬間、大変失礼な反応をしてしまった。
つまり、師匠はこう言ってるのか? 共に人生を駆け抜けてきたパートナーとも言える自分の愛剣を、半身とも呼べる存在を、俺なんかに贈ると?
「受け取れません!」
「生憎返品は受け付けていない。いらないならその辺に捨てろ」
「ま、またズルい言い方をっ。俺には荷が重過ぎます! この剣を握る資格は俺にはありません!」
「荷が重い? そうは思わないな。資格が必要だと言うなら、お前は既にその資格を持っているじゃないか。
このリズリア・ヴァレンタインの唯一の家族にして最初で最後の一番弟子。加えてレドの実力は既に世界に通用する。
それだけ揃っていながら資格が無いとは言わせんぞ。むしろお前以外の誰に受け継がせる? 現役を退いた私には無用の長物。使われずに埃を被り続けるより、剣として役目を全うしてこそ黒剣も浮かばれるというものだろう。
さてレド。ここまで私に言わせておいて未だ反論があるとは言わないな?」
「う、ぐ……」
「そういうことだ。受け取れ」
反論は許さないと言わんばかりに捲し立てられ、ほぼ強制的に剣を押し付けられた。これはどれだけ食い下がっても返却は認められないやつだな。
仕方なく受け取りはしたものの、質量以上に別の意味でドッと重さが増した気がした。
「畏れ多すぎて使わないかもしれませんよ?」
「そこは使え。剣は剣らしく扱ってこそだ。さっきお前も似たようなことを言っていただろう?」
「そう、ですけど……やはり躊躇いの方が勝ります」
「面倒くさい弟子だな」
そうだろうか。受け取った途端に舞い上がってところ構わず喜々として振り回すバカよりは余程健全だと思うのだが。
「ならば、こういうのはどうだ?
その剣はあくまでもここぞという場面でだけ使用するとして、常用の物は別で用意する。これならそこまで気にしなくてもいいだろう」
「まぁ、剣が折れてしまった時点で買い替えるつもりではありましたし、必然的にそうなるでしょうね」
「決まりだ。くれぐれも使わないなんてことが無いようにしろ。私が使っていた物とはいえ剣は剣、命には代えられん。肝に銘じておけよ?」
「……分かりました。謹んでお受け取りします」
「堅苦しい奴め。はっははははは!」
呆れた表情も直ぐに笑顔に変わる。そんな師匠を見ていると、不思議と黒剣を受け取ることへの抵抗も薄れていった。
とは言え雑な扱いは許されない。ヴァレンタインの名に恥じぬよう、然るべき振る舞いをすべきだ。黒剣を受け取ったなら尚更な。
「レードー!」
「ぶっ」
人が真面目に思考を巡らせていると、横から突然の衝撃。いつ近付いてきていたのか、端から見ても妙に上機嫌なユナが、豊かな胸を惜しげもなく俺の顔に押し付けるようにして抱きついてきた。
頭上から香ってくるのは強い酒気。チラリと顔を覗き見てみれば、わかりやすく酔っ払っていた。元々酒には強くないくせに、この短時間でどれだけ飲んだんだコイツ。
「こーんな隅っこでなにしてるのー? えぇへへへ〜」
「酒臭い。離れろ酔っ払い」
「ひどぉい〜。こんな美少女がサービスしてるのに〜、反応うすーい」
「随分と残念な美少女も居たもんだ。いいから離れろ鬱陶しい」
「うぐぐ……さすがに力じゃ構わないっ。でもそんなとこも好きぃ、にぇへへ〜」
言っても聞かないなら力ずくで引き剥がす。ここしばらくユナと酒を飲むことが無かったから忘れていたが、そういえばコイツは甘え上戸だったな。普段から距離感が近いくせに、酒が入るとより酷くなる。
「フッ、その程度でレドは靡かんぞユナ。これくらいはしないとな」
そう言って師匠が俺の背後に周り込み、頭を抱きかかえる。ユナと同等かそれ以上の柔らかい何かが後頭部を包み込んだ。
「師匠まで悪ふざけしないでください。いくらやっても無駄ですよ」
「本当に反応が薄いなお前」
つまらんと吐き捨てられてしまった。何年も一緒に過ごしておいて、今更この程度のことで動じる訳がないだろう。それこそ俺は風呂上がりのあられもない姿な師匠を何度も見てるのだ。多少の肉体的接触でドキマギなどするものか。
そもそも、誰が相手だろうと動じない。仮に見ず知らずの女に同じ事をされようものなら、問答無用で投げ飛ばす自信すらある。
「レドのむねかたぁい♪ えへへぇ、脱がしちゃおっかなぁ〜」
「こらユナ。ヤるならせめて木陰に隠れろ」
「……はぁ」
その後、尚も続くユナのダル絡みと嫉妬に狂った男達の熱い視線に晒されながら、俺は諦めの境地で静かに果実酒を味わうのだった。
頼むから、誰かユナを口説き落としてくれ。