第7話
皆と別れて獲物を追い、その先で川を見つけた。
何年もここに住んでおきながら、この場所には初めて来る。川のほとり周辺には大小様々な動物の足跡がある事から、ここが動物達の水飲み場になっている事は想像に難くない。
「(猪、キツネ、それにこれは熊だな)」
本来ならば予定通り猪を追うところではあるが、熊の痕跡を見つけてしまっては放置などできない。皆の住処ともそう離れていない事を考えれば、安全の為にここで狩ってしまった方がいいだろう。
近くの木には縄張りを示す傷跡も見受けられる。勝手に住まわれても迷惑だ。
「今夜は熊鍋かな」
足跡や爪の跡から推測してかなりの大物。きっと師匠も喜ぶな。
そうと決まれば追跡開始だ。幸い熊の足跡は大きく追跡がしやすい上に、痕跡も新しい。まだ近くに居るのは確実だ。
この瞳を発現させて以降、視力もかなり上がっている。草に埋もれた足跡も見失いはしない。
そうして迷うことなく歩みを進めてしばらく経った頃、俺の予想は的中した。鬱蒼とした森の中で、木陰にどっしりと腰を下ろして休息を取っている熊が居た。
遠目からでも分かる巨大さ。力の無い人間が襲われでもすればひとたまりもないだろうな。
「皆で分けても相当な量になるぞ。今日はツイてる」
腰から剣を抜き放ち、無造作に前へ前へと進んでいく。足音や気配を消す事すらせず、ただ真っ直ぐに熊へと接近していった。
あれだけ巨大でも、熊というのは基本的に臆病な生き物だ。大きな音を立てれば大概は驚いて逃げていく。堂々と近付けば逃げられる可能性もあるにはあるが、そうなったとしても逃しはしない。
逆に向かってくるならば大歓迎だ。手間が省ける。さぁ、お前はどちらだ?
「……ほう?」
随分と勇ましいな。俺の存在に気付いても驚く素振りすら見せず、熊はこちらへと近付いてくる。相当に腕に自身があると見た。ギラギラとした目は狩人のそれ、やる気満々な様子で大変よろしい。
生憎時間をかけるつもりはない。あくまで狩人に徹するならば、飛び込んできてみろ!
「グオォォォォォォッ!!!」
「その意気や良し」
大口を開けて熊が突進してくる。鋭い牙を剥き出しに、細い木々を薙ぎ倒しながらみるみるうちに距離が縮んでいく。
思い描いていた通りの展開に内心でほくそ笑みながら、俺はその場で剣を低く構えた。
力勝負をしたとしても余裕で勝てるが、それでは下手に苦しませるだけだ。狩るならば苦痛は一瞬で終わらせる。それが出来ないなら獣を狩る資格なし。師匠の教えだ。
「ふっ……!」
十分に距離が詰まったのを見計らい、力強く地を蹴った。衝撃で地面が抉れる感触を覚えながら、意識は熊へと一心に注ぐ。狙うは、熊の口。
「グッ……ガ……」
「悪いな。許せ」
寸分違わず剣は熊の口内に突き立てられ、そのまま脳天を貫いた。互いの突進の勢いも合わさり、ボロボロの剣でも簡単に骨ごと一閃。
ズシンと倒れ伏す熊に感謝を込めて軽く頭を下げた。のはいいのだが、不意にバキンっと不快な音が聞こえた。
慌てて手元を見ると、愛用していた剣が半ばから折れてしまっている。
ついに限界が来てしまったらしい……鍛錬中ではなく、まさかこんな所で折れてしまうとは想定外だったが。
愛剣のあっけない最後に悲しんだのも束の間。直ぐに突き刺さったままの剣先を回収し、剣とは別に持ってきていたナイフを熊に突き立てる。
獲物を仕留めた後は素早い血抜きが必要だ。出来るなら内臓の処理もしておきたいところだが、このサイズとなると1人で作業するのはかなり骨が折れる。おとなしく持ち帰って皆の手を借りるべきだな。
「お前の死は無駄にはしない。有り難く頂くぞ」
血抜きを終え、完全に事切れた熊に感謝の言葉を贈る。命ある者を狩るならば、その命に感謝を以て狩れ。これも師匠の教えだ。
付け加えるなら、相手が鬼畜外道の場合は容赦無用だけどな。
狩猟用のポーチから縄を取り出して手早く熊の手足に巻き付け、引き摺る形で移動を開始した。これくらいなら持ち上げて運ぶのも苦ではないが、それだと血で汚れてしまうからな。余計な洗い物は極力増やさない主義だ。
さて、ユナ達の方は獲物を捕らえたかな?
「ユナちゃん! お、俺と、結婚を前提にお付き合いしてください!」
「え、やだ」
「うおおおおおおおんっ!!!」
「落とし物を拾ってもらっただけでプロポーズするかよ普通……」
「だって、だってさぁ! 優しくされたらキュンとするじゃん!」
「乙女か」
皆の足跡を追い森を抜けた先で、何やら賑やかに騒いでいるユナ達が居た。足元には数匹のウサギと山菜類、どうやら狩りは成功したらしい。
わざわざ俺を待っていた……というより、今帰ってきたところか。帰って早々愛の告白とは恐れ入る。
「ん? おーいレド! 戻っ……た――」
「どしたの? あ、レドおかえ……わぁぁぁぁぁ!?」
1人が俺の存在に気付き、また釣られるようにユナも振り向いて、途端に妙な叫び声を上げられた。どうした?
「れれ、レド! 何それ!?」
「何って、熊だが?」
「熊だが? じゃなくて! そんな大きいの仕留めたの!? いや大きいとかそのレベルじゃないよ!」
またユナの百面相が始まった。そんなに驚く事じゃないだろ。確かに普通の熊に比べれば巨大過ぎるが……ああ、もしかして脅威的な意味で驚かれてるのか?
「問題ない。師匠の方がよほど脅威だからな」
「いやそういう事じゃないんだけど……はぁ、もういいよ。レドだもんね」
「……?」
「驚いたな。まさかこの森にこんな巨大な熊が住み着いていたなんて。レド、怪我はしていないか? 流石のお前でも苦戦しただろ」
「そうでもない。ありがたい事に真っ直ぐ突っ込んできてくれたからな。迎え撃って一撃で仕留めた。怪我も無い」
「うわ、ホントだ。脳天貫通してる」
仮に真っ向勝負へ持ち込まれたとしても負けはあり得なかっただろう。いくら巨大でも熊は熊だ。日々師匠に扱かれている俺の敵じゃない。
毎度の事だが、寝起きの師匠の方がよほど恐ろしいのだから。
「ところでゼニスはどうした? 姿が見えないが、まさか本当に生き埋めにした訳じゃないだろう?」
「レドの奴を待つ義理なんかねーよ。俺は先に帰るからな(キリッ)って感じで帰っちゃったよ」
「それはゼニスの真似か? 割と似てるな、ユナ」
「うわ、やんなきゃ良かった。ゼニスに似てるとか死んでも言われたくないよ……」
本気で嫌そうにユナは両手で自らの肩を抱いた。きっと今頃ゼニスは盛大なくしゃみをしている事だろう。
「まぁ居ないなら居ないで構わない。皆、熊の解体を手伝ってくれ。今日は贅沢できるぞ」
そう言いつつ再び歩き出そうとしたが、不意に男達のうちの1人が戸惑った様子で話しかけてきた。
「えっ、俺達までいいのか……?」
見ればユナを除いた全員が驚いた様子で俺を見ている。別におかしな事を言ったつもりはない筈だが。
「当然だ。俺は自分の為だけに狩りをしていた訳じゃないからな。そもそもの話、これだけデカい獲物を俺と師匠だけで消費しきれる訳がない。
余って腐らせるくらいなら、皆に分配するのが賢い選択だろう。他に質問はあるか?」
「……い、いや」
「はーいレド先生! じゃあ今夜は皆で熊鍋パーティーがいいと思いまーす!」
「何がじゃあなんだ――いや待てよ? パーティーか……ふむ、確かに。それなら分配の手間も省けるな、良い案だユナ。俺から話して師匠に許可を得るとしよう」
「わっ、冗談半分だったのに通っちゃった。言ってみるもんだね〜。
なら場所確保は私に任せてよ! あと諸々の調理器具も用意しとくね!」
「助かる。それと、ちゃんとゼニスにも声をかけてやれよ」
「え゛っ、や、やだなぁもぉレドってば。当たり前じゃん」
コイツ、露骨に目を逸らしたな。どれだけ態度が悪かろうと、ゼニスも師匠に認められた仲間なのだ。
声をかけなかったと知れば、それこそ師匠の雷が落ちるだろう。他ならぬユナの頭に。
それを肴に食事をするのも悪くはなさそうだがな。