第4話
外へ出ると太陽が出迎えてくれた。
もうじき春とはいえ、やはりまだまだ朝は冷え込む。そんな中でもこうして照らしてくれる太陽光の暖かみが酷くありがたく思えた。
「お待たせしま……何やってるんですか?」
裏庭で待つ師匠に声を掛けようとして、不意に零れたそんな言葉。
俺を待つ師匠は何故か数本の小さな丸太を手にジャグリングをしていた。
俺が来た事に気付いて動きを止め、落下してきた丸太を片手でキャッチ。後から落ちてきた他の丸太も、手に持つ丸太で器用に受け止めた。
そうして師匠の手の中に出来上がった丸太タワー。不安定なのによく倒れないもんだ。
「暇つぶし」
「はぁ……なるほど? というか、その大量の丸太ってまさか」
あっけらかんと答える師匠の背後には、山のように積み上げられた丸太の大軍。
そういえば昨日の夕方頃、やたらと丸太を量産していたのを思い出した。
その時は、てっきりかまどや風呂沸かし用に使う物を増やしているものだとばかり思っていたが、この状況から察するにどうも違うらしい。
「ふふん、その通り。今日はこれを使う」
予想的中。やはり丸太は俺の鍛錬用に使うみたいだ。
イイ笑顔を浮かべる師匠に嫌な予感しかしない。こういう時の鍛錬はハズレ回が多いからな。
「具体的には?」
「まず初めに、剣を持ってきている所悪いがそいつは使わない」
なに? 剣を使わない? 珍しい事もあるものだ。
これまで基礎鍛錬以外では必ず剣を使っていたのに、今日になって趣向を変えてくるとは予想外。
「というより、今回それを使ったら確実に折れるぞ。使ってもいいが覚悟はしておけ」
「……お言葉に甘えておきます」
「ん、よろしい」
使い方を誤らなければ剣はまだまだ使える。師匠が確実に折れると断言したなら間違いなく折れる。ここはおとなしく従っておこう。
腰から鞘ごと剣を取り外し、近くにあった木に立てかけておいた。
「代わりに使うのはこいつだ」
「ととっ」
師匠が投げて渡してきた物を慌てて受け取る。手の中に納まったそれは、何年も使い込まれた見た目をしている黒い片手斧だった。
いつも薪割り用に使っている斧とも違う。何より……。
「異常に重くないですか、これ」
薪割り用の両手斧より遥かに重い。力のある俺でさえ踏ん張りを効かさないと簡単に体勢を崩してしまいそうな程だ。
とても常人が扱える代物じゃない。いや、普通の人であれば持ち上げる事さえ無理だ。それだけ重い。
「当然だ。世界一重い鉱石を加工して作られているからな」
「へぇ……かなり使い手を選びますね」
「そもそも人間用ではなく竜人用だ。私やレドのように人間でありながら平然と持てる方がおかしいんだよ」
竜人。噂程度にしか聞いた事がない伝説上の種族だ。
師匠の口振りから察するに、まるで実際に会った事があるような感じだな。まぁ師匠だからなぁ……。
「振れるか?」
「やれなくはないかと」
重さを確かめている所へ師匠に聞かれ、無理ではないと伝えた。
とは言え剣と同じには扱えない。いつもの感覚で振るっていたら関節が引っこ抜ける可能性がある。
片手と言わず両手で使わないと確実に怪我をしそうだ。
「よし。本日の鍛錬内容は至って単純だ。
昨日私が汗水垂らして量産したこの小さな丸太達を、これから全力で投げ付ける。レドはそれを真正面から斧で切り落とすだけだ。
薪割りと鍛錬両方を補える画期的な方法だと思わないか? あっはは」
「確かに、効率的ではありますね。ただ一つ疑問が」
「ん、何だ」
「それ全部投げる気ですか? 薪にするにしても相当な量になりますよ」
飛んできた丸太を両断して2分割。つまりは単純計算で師匠の後ろにある丸太が倍になる。
しかも2つに割った程度では薪に使うには少々大きいから、結局また割り直す必要があるんだよな……。
そうなったらとんでもない数だ。とてもではないがウチだけでは使い切れない。
「ははははっ! 心配するな。割り終わって溜まった薪は私から皆に配る予定だ。無駄にはならん」
「なるほど、そういう事でしたら」
ちゃんと考えがあるなら話は別だ。
納得し、いつでも行けますよと深く腰を落として、斧を両手で構える。
「あー、レド。今回は目を使え。終わるまで全力でな」
「……!」
師匠の言葉に瞠目する。
目を使え。人として当たり前の事にも聞こえるだろうその言葉は、俺にとっては特別な意味を持っていた。
今まで鍛錬で目を使った事はほとんど無い。あったとしても俺が師匠の許可無しに少しだけ使った時くらいだ。
目を使う事は師匠自らが固く禁じた。それを今になって全力で使えとは、何を考えてるんだこの人は。
「本気ですか?」
「結婚する気があるかと聞いた時と同じで、これも一応の確認だ。
今のレドなら、あの時のような暴走も起こらないだろう」
苦い過去を平然と言ってくれるな。それでこそ師匠だけど。
「可能性は0ではないですが」
「暴走したらその時はその時だ。私が居る」
自信満々に言ってのける師匠に、俺は頷く事しか出来なかった。
私が居る。短い言葉の中に秘めたとてつもない説得力。俺に限らず、師匠を知る人なら誰もが首を縦に振るだろう。
「分かりました。その時はお願いします。すぅ……はぁ……」
静かに瞼を閉じて深く息を吸って吐く。
意識を両目に集中。俺の中から湧き出るように暖かい力の流れが動き出す。
全身を巡り、やがてそれは両の目へ。
暴走の恐怖を押し殺し、ゆっくりと瞼を開けて師匠を見据える。
「どうだ?」
「……今のところは特に。ただ、相変わらず視界が気持ち悪いですね」
草木の緑。丸太の茶色。空の青。
色鮮やかに映し出されていた色は消え失せ、今の俺の目に映るのは赤と黒の世界。眼球全てを血が染めあげているような、そんな視界の中に俺は居た。
ただただ気持ちが悪い。きっとこの先も慣れる事は無いだろうな。
「ん、そうか。私ではその気持ち悪さは分からないから何とも言えないが。
とにかく準備はいいな? 限界が来るまで全力で目を使え。でなければ――」
「死ぬ、でしょう?」
師匠の言葉を先読みして言えば、師匠はポカンとした様子を見せる。
しかしそれもほんの一瞬。直ぐにニヤァっと口元を三日月に歪めた。
「正解だ」
さぁ、踏ん張り所だ。
いつもの鍛錬とあまりに違う。斧を使う事も、目を使う事も、そして師匠が殺す気で来る事も、何もかもが。
本気で挑まないと本当に命を落とす事になる。
師匠は時折冗談を言う事もあるが、戦いや鍛錬においていい加減な事を言った事は無い。だからこそ、油断すれば死ぬと嫌でもわかる。
暴走を恐れている場合じゃない。今の自分が出せる全力を出せ。
怯むな、退るな、恐れるな。
俺はレド・ヴァレンタインなのだから。