第2話
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赤く染まった視界の中で音が聞こえる。
子供達の悲鳴、金属がぶつかり合う音、爆発音、俺を呼ぶ声。
建物が焼ける匂いと肌で痛い程に感じる熱。
足は恐怖で震え、その場にへたりこんで動けない。経験したことのない激しい恐怖に声すら出てこなかった。
ただ分かるのは、良くない事が起きている事。
「レド!!!」
呆然とする俺の耳に聞こえてきたハッキリとした声。俺の名前を呼ぶ、大好きだった神父様の声。
声はだんだんと大きくなり、やがて頬に感じる温もり。ぼんやりとしか見えない目でも、駆け寄ってきた神父様が手を添えてくれているのだとすぐに分かった。
「逃げなさい! 今すぐ!」
「神父様、何が起きてるの?」
聞いた事がない神父様の余裕の無い声。一気に不安感が増した俺は、震えながら聞いた。
すると神父様が息を飲み、すぐにいつもの優しげな声音で話しかけてくれる。
「っ……レド、絵本の中の怪物が襲ってきたんだ。人間を食べてしまう悪い怪物だよ。何度も読み聞かせてあげただろう?」
「怪物って、み、みんなは!?」
「大丈夫、皆はもう逃げたよ。あとはレドだけだ。教会の裏口は分かるね? そこから逃げなさい」
子供ながらに嘘だとは分かっていた。
怪物も、皆が逃げたという言葉も、全て。でも神父様が意味もなくそんな嘘を吐く人じゃない事も分かっていた。
「神に逆らう大罪人はどこかなー?」
知らない女性の声が聞こえてきた。誰だろう? なんてのんきに思う暇もないまま、声が聞こえた途端に神父様は俺を無理やりに立たせて背中を押した。
「走りなさい! 振り返ってはいけない!」
「神父様!」
「レド、行きなさい。そして忘れないでほしい。私は、皆を愛しているよ」
――……。
「……」
「やぁやぁ、お目覚めかい?」
目覚めとしては最悪だった。
今となっては慣れてしまったいつもの悪夢に加え、ようやく夢の中から帰還したかと思えば視界いっぱいに広がる友人の顔。
全体重を乗せられてる事はもちろん、長い栗色の髪の毛が顔にかかって鬱陶しいことこの上ない。
今にも唇を奪われてしまいそうな距離にいる友人に、しかし心躍る事はないままに呆れ顔を浮かべる。
「近い」
「そりゃあ近くに居るからね。当然さ」
まるで俺がバカみたいな物言いをしてくる友人をジト目で睨みつつ、これ見よがしに大きくため息を吐いた。
「はぁ……朝っぱらから人のベッドで何してる。重いぞ、太ったんじゃないか?」
「酷い言い草だね。こんなに可愛い女の子が朝早くに起こしに来てくれて、しかもベッドインしてる状況に何か思う所は無いのかな?」
「仮に恋人だったなら愛の言葉一つくらいかけてやったかもしれないな。それと起こされた覚えはない。どけ」
「じゃあ恋人になろう。容姿端麗家事全般ただし掃除は除く、その他諸々夜のお供まで何でもござれな女の子がここに居るんだよ? 答えはひとつだね。
このまま愛を語らうのも悪くないと私は思うわけだよ」
「それはお前の意見でしかない。そして俺は同意しない。早くどけユナ」
「ぶー、今日も誘惑失敗」
イタズラが失敗した子供のように頬を膨らませ、友人は渋々と俺の上からどいてくれた。
圧迫感から解放されて大きく息を吸い、俺もまた上半身を起こして立ち上がる。カーテンを開き窓を開ければ、早朝の気持ちのいい風が部屋の中へと吹き込んできた。
身を乗り出して外を見渡してみると、外を歩く人がチラホラ。
どうやら住人の皆はもう農作業に取り掛かっているらしい。相変わらず朝が早い人達だ。
「皆早いな」
「私達も早い方だと思うけどね〜」
まぁ確かに、まだ太陽が登りきっていない時間だしな。
「私も皆の手伝いに行ってくるけど、レドはどうするのかな?」
「いつも通り朝食を作って師匠を起こす。その後は鍛錬。やる事全部終わったらユナ達に合流する予定だ」
「りょーかい。じゃあ先に行くから、はいっ」
何が「はいっ」なのか、ユナは俺に向けて両腕を伸ばしてきた。何かを待っているような、何かを期待しているような、そんな表情で待ち構えるユナに再びため息を吐く。
「何してる」
「おはようのキスはお預け。なら、行ってらっしゃいのハグくらいあって然るべきだと思うわけだよ」
「馬鹿やってないで行け」
「ちぇ〜、レドのケチんぼ〜」
「はいはい」
不機嫌な表情だが本気じゃない。アイツは毎日のように頬を膨らませてる。
いつも通りな友人の背を見送り、俺も手早く着替え始めた。飾り気のない安物の衣服に身を包み、部屋を後にする。
階段を下りる前に俺の部屋の向かい側にあるドアを2、3回ノック。
「師匠、朝ですよ」
中で寝ているだろう師匠に声をかけ、しかし返事は待たない。どうせ一度声をかけたくらいでは起きない人だ。それが分かりきっているからこそ、俺は直ぐに階段を下りていく。
お世辞にも立派とは言えないキッチンへと辿り着き、簡素な食料庫から野菜類を2人分取り出して調理台の上へ置き、次は裏口から外へと出る。
そこにある小さな鶏小屋を覗けば、本日も朝食の卵を鶏達が産んでくれている事が分かった。
「いつもありがとうな、マル、ポコ」
毎日卵を産んでくれるマルとポコ達にお礼を言えば、元気よく「コケっ」と鳴いて返してくれた。
再びキッチンへ戻り、かまどの中へ薪を入れる。傍に置いてある火起こし用の魔道具を使って点火。
どんな人にも備わっている微量の魔力を送り込むだけで使用出来る道具なんて、改めて思うと本当に便利である。
とは言え、極力こういった物を頼りたくはない。何でもかんでも魔導具頼りは愚の骨頂。家に居る時以外は基本的に自力で火起こしだ。
本日の朝食は残り物のカボチャスープにタマゴサラダ、薄切りベーコンとガチガチの黒パンだ。
ここに来てから随分と料理スキルが上がったものだとしみじみ思う。
水瓶の中から桶へと水を汲み出し、その中に野菜を入れて手早く水洗い。まな板の上へ移して包丁でサラダ用に切り分けていく。
かまどの上に置いてあるカボチャスープ入りの鍋の様子をチラチラと見ながら、卵を炒める用のフライパンを出そうとした俺に、ふと背後から声がかけられる。
「レドちゃんおはよう。あら、朝ごはん?」
掠れた声を聞いて振り向けば、そこには人の良さそうな笑みを浮かべたお婆さんが1人。近所に住んでるリーベルさんだ。
勝手に上がられている事に憤りはしない。ここじゃ普通の事だからな。
「おはようございます、リーベルさん。ええ、残り物がメインの朝食ですが」
「偉いねぇ。リズさんじゃこうはいかないわ。昔は朝早くに爆発音なんてしょっちゅうだったのよ」
それは確かに。師匠は料理が下手とかそういう次元じゃない。前に夕飯を任せた時は芯まで丸焦げになった丸々一頭の豚が出てきたものな。
「リズさんはまだ寝ているの?」
「はい。我が師匠ながら毎朝寝坊ばかりで困ってますよ」
「うふふ、レドちゃんを信頼してるからこそよ。ずっと前までは誰よりも早く起きていたもの」
「怠慢、とも言いますけどね。
ところでこんなに朝早くからどうしたんです?」
「あぁそうそう。昨日ウチの畑で収穫したトマトを持ってきたのよ。孫が取り過ぎちゃって私達だけじゃ食べ切れないから、良かったら貰ってちょうだい」
そう言うリーベルさんの手にはカゴいっぱいに詰まったトマトの山。
確かにこれは取り過ぎ……というか、ウチでも消費し切れるか怪しいのだが。まぁせっかくのご厚意を断るのも気が引けるし、ここはありがたく貰っておこう。
使い道は後々考えれば良し。
「ありがとうございます。そういう事でしたらありがたく。師匠も喜びます」
「うふふ、いいのよ。それじゃ私はこれで失礼するわ」
「えぇ、お気を付けて」
トマトの入ったカゴを受け取り、リーベルさんを見送る。リーベルさんに限らず、住人から時々こうして差し入れが入る事を考えると、やっぱり師匠って愛されてるんだなぁ……。
そうだ、せっかく貰ったんだしトマトもサラダに加えよう。
思わぬ来訪者の差し入れで材料が増えた事に少しだけ頬を緩ませて、俺は途中になっていた朝食作りを再開するのだった。