第10話
ユナ・ベアーにとってレドの存在は特別だ。恋をしているのはもちろんのこと、それと同じくらい彼が心配だから。
同じ男でも、村に住む他の男達とは何かが違う。それは戦核者であることとは別に、惹かれるものがレドにはあった。
気付いた時にはユナはレドを物理的に追うようになっていた。スキンシップという名の求愛行動は日を追う毎に激しさを増すばかり。
しかしそんな行動も、いつだってレドは華麗にスルーしてしまう。故に、余計にユナは燃えていた。自分の容姿が整っている自覚もあるし、実際かなりモテている。そんな自分がここまで本気で気持ちをぶつけているにも関わらず、意中の男は少しだって靡かない。
自分がモテて当然なんてくだらない思想は持ち合わせてはいないが、こうまで蹴られるのは女としての意地が許さなかった。
いつかレドを振り向かせて、精一杯の愛情を捧げて、そしてレドが抱えてる何かを無くしてあげるんだ。ユナはそう固く誓っていた。それほどまでに、彼女は彼に惚れている。
決定的だったのは、鍛錬の一環としてレドと剣で打ち合った時だ。当時からユナの実力は突出しており、村の中ではリズリアに次ぐ猛者だった。
しかし、打ち合いの結果は惨敗。決して手加減もしていないし、何なら圧倒的実力差を見せてレドを惚れさせようとさえ目論んでいたのに、蓋を開けてみれば実力差を見せつけられたのは自分の方だった。
以来、ユナの中でレドという存在は日に日に特別なものへと変わっていったのだ。
そんなユナの目下の課題としては、まずレドの関心をリズリア・ヴァレンタインから自分へと移すこと。良くも悪くも彼は師であるリズリアを慕っている。それはどこか、恋愛よりも……そう、まるで熟年夫婦のような間柄で、ユナは日々を戦々恐々と過ごしている。
リズリアと過ごしている時のレドは、端から見てもどこか柔らかい雰囲気を纏っているのだ。ユナはそれがたまらなく悔しくて、人知れずリズリアに嫉妬していた。
仕方のないこととは理解している。リズリアはレドの家族も同然。家族に素を曝け出すのは何もおかしなことではない。と、頭では理解してても悔しいものは悔しいのである。
たとえリズリア本人にその気が無いのだとしても、滲み出る強者の余裕はユナを焦らせる材料としては十分過ぎた。
だからユナは自分をアピールした。全力で好きをぶつけて、毎朝レドを起こしに行くのも自分を見てほしいから。
たとえ想いが届かなくとも、自分という存在を彼の中に残したい。それで彼が背負っている物が少しでも軽くなれば……ユナは満足だった。
「ゔぅぅ〜あぁぁぁ……頭痛いぃぃ」
熊鍋パーティから一夜明け、調子に乗って果実酒を飲み過ぎていたユナはレドの予想通りにダウンしていた。
お世辞にも綺麗とは言えない自室の中、ベッド上で枕に顔を埋めながらうなり声を上げ続けること早数時間。調子は戻るどころか悪化の一途を辿り、とてもレドを起こしに行ける状態ではない。というより、既にレドは起床済みであり、何なら村を出て行った後だ。
悲しいかな、そんなことを知る由もないユナは、只管に鳴り止まない頭痛と格闘中である。
脱いだ下着は床に放置され、全裸で寝こける姿を村の男が見たらどう思うだろうか。少なくとも思い描いている理想のユナ像は粉々に砕けるに違いない。
「おいユナ! いつまで寝てんだ起きろ!」
「ゔぁぁぁっ、大声出さないでよ馬鹿ゼニス……!」
汚部屋とは言え仮にも乙女の私室。ノックどころか蹴破る勢いで開かれた扉の向こうからゼニスが声を張り上げた。デリカシーというものを知らない兄に恨みのこもった瞳を向けるが、弱った状態では迫力に欠ける。
「馬鹿はテメェだろうが。飲み過ぎで寝込むとかオッサンかよ」
「はんっ、酔った勢いでリズさんに突撃も出来ないようなチキン兄貴に言われたかないなぁ」
「うるせぇ! 俺はテメェと違って慎重派なんだよ! 四六時中レドに盛ってる淫乱妹と一緒にすんな!」
「だぁかぁらぁ〜、大声出さないでよぉ〜……!」
ゼニスの声が響く度にガンガンと頭痛が増す。たまらず枕を被って声をシャットアウトしようとするユナの姿は、滑稽と言う他ない。
頭から下は絶賛すっぽんぽん。そんな妹の姿にゼニスは盛大なため息を吐いた。
「ったく。おふくろが朝飯作ってんだ。食うもの食わねぇと治るもんも治らねぇぞ。
多少ツラくても下りてきて飯食え。分かったな?」
「……」
「聞いてんのかゴラッ!!」
「うぁぁ、はいはい分かったってばぁ……」
その場しのぎとも取れる了承を確認し、ゼニスが部屋を出て行く。入ってきた時とは違って静かに扉を閉める様は、何だかんだと言いつつ家族思いな一面が垣間見えた瞬間だ。
しかしそれが本人に伝わっているかどうかは別問題である。
「……んんん……あ〜」
ゼニスが出て行って数分、或いは数十分。ゴロゴロと意味もなく転がり続ける。体調はこれ以上ないほど悪いのだから、今日くらいゆっくりすべきだとユナ自身も思っていた。
だが、自分に言い聞かせても頭の中に浮かび上がってくるのは想い人の姿。いつも物静かで、感情の起伏が乏しく、自分を鬱陶しがりながらも優しく接してくれる彼の姿。
昨夜だってそうだ。酔っ払った自分はきっと鬱陶しいことこの上なかっただろう。それでもレドは無理やりに突き放すことは決してせず、文句を言いながらも自分の好きにさせてくれていた。
いつだったか、毎度毎度素っ気ない態度で返され落ち込んでいた時、見かねたレドがユナにこう言ったことがある。
『師匠を除けば、ここまでの接近を許しているのはお前くらいだ。だから……はぁ、これ以上は言わないぞ、ユナ』
その言葉は即ち、少なくともレドにとって自分は特別な存在であることの証明。当時はその言葉が嬉し過ぎて、勢い余ってレドに襲いかかったくらいである。もちろん、難なく迎撃されて事なきを得たのは言うまでもない。
自分を見てくれる可能性は十分ある。ならば、あとは猛進するのみだ。戦いも恋も引くことを知らない女、それがユナという人物だった。
元最強の冒険者が恋敵だからなんだと言うのか。だったらそれ以上の愛情で彼を振り向かせてやるだけだ。
「……んぅ」
彼のことを考え始めたら思考が止まらない。あれだけ自分を苦しめていた頭痛も不思議とほんの少しだけ和らいだ。
小さく言葉を溢したユナが枕から顔を上げ、やがて上体を起こす。頭に響かないよう両手で控え目に自分の頬をペチペチと叩いて意識を覚醒させた。
「うんっ、やっぱり会いたい」
たとえ近いうちにレドが出て行くことになろうとも、せめてそれまでは想いを伝え続ける。伏せってなど居られない。恋は全力だもん! と、決意を新たにユナが立ち上がる。
タンスの中から新しい下着、外出用の服を取り出して着込んでいく。手早く髪を纏めれば、いつも通りの自分の完成だ。
体調が悪いことに変わりはない。しかし恋は病をも上回る。そんな謎理論を本気で信じているユナは、意気揚々と部屋を後にした。
「おはようございまぁ……ありゃ?」
母親の用意した朝食を食べ終え、その足でユナが向かったのは当然の如くリズリアの自宅。玄関は通り過ぎ、そのまま家の裏へと足を進めた。
理由は、いつもこの時間帯は裏庭で鍛錬していると知っているからだ。たまには覗いてもいいだろうと思い、控えめな挨拶をしながら裏庭へ顔を出したのだが……どういう訳かリズリアとレドの姿は見当たらない。
「もう終わっちゃったのかな」
だとすればレドと入れ違いになったのだろう。今頃は皆と狩りに出掛けているのかもしれない。
貴重な朝のスキンシップを逃すとは何たる不覚! そうして人知れず頭を抱えて項垂れるユナの背後から、小さく声をかける人物が1人。
「……何をやってるんだお前は」
「ほわぁっ!!? うあぁっ、あ、頭に響くぅ……!」
驚いた拍子に大声を上げ、自らの頭にダメージを負わせる姿の何と滑稽なことか。恨みがましくユナが振り向くと、そこには鶏に餌を与えているリズリアの姿があった。
「予想通りの二日酔いか。今日くらいゆっくりしておけばいいものを。おはようユナ」
「うぅ、二日酔いが愛に勝るわけないじゃないですかー。リズさんこそ何してるんですか? あ、おはようございます」
「見ての通りマルとポコの世話だ。しかしいつもより食い付きが悪くてな……レドが世話をしている時とはえらい違いだ」
鶏が懐く、なんてことはあまり聞かない話だろうが、実際レドの時とは明らかに食欲が違っているマルとポコ。ヒヨコの頃から主にレドが世話をしていた影響だろうか。
しかしそんなことを考えていても仕方のないこと。リズリアは一旦手を止めてユナへと向き直った。
「ユナこそ何をしてる」
「もちろんレドに会いに来ましたっ」
ふんすっ! と鼻息を吐くユナは自信気だった。あれだけ脈無しの反応を返されてもなお諦めることを知らない乙女に少しばかりの苦笑を浮かべ、リズリアは気まずそうに視線を逸らす。
何故なら、レドは既に村を発った後だから。
本当に何も伝えないまま行ったのかあのアホ弟子は、と人知れず胸中で呆れることしばらく。さてどう伝えたものかと思考を巡らせる。
「って、そのレドは? もしかしてもう出かけちゃいました?」
「あー……まぁ、出かけたと言えばそうだな。長い外出にはなるだろう」
「長い? 昨日より奥まで狩りに行ったのかな。まぁあれだけ大きな熊が出たんだし、他の脅威にも気を配るのは当たり前かー」
「いや、そうではなくてだな。んー……その、な? ユナ」
「はい?」
「……お前は、昨日レドから何か聞いていないか? 例えばそう、これからレドにはやる事がある的な」
非常にふわっとした問い掛けにユナは首を傾げるばかりだった。しかし思い当たる節があるのも事実。直ぐに昨日レドが言っていたことをユナは思い出した。
「冒険者になるとは聞きましたけど…………えっ、まさか」
ユナは意外にも勘が鋭い女である。レドの言葉、普段は鍛錬をしている筈なのに姿が見えないレド、そして居心地悪そうにしているリズリアに今の問い掛け。これだけ揃っていれば例えユナでなくとも真実に行き着くのはそう難しいことではない。
みるみるうちにユナの顔色が悪くなっていく。嫌な予感は当たるものとよく言われるが、震える声でユナがリズリアに問い掛けた。
「レド、昨日の今日で行っちゃった……なんて言わないですよね……?」
「……」
沈黙は肯定の証。汗を一筋流し、リズリアは苦々しい表情のままマルとポコの世話に戻った。
当然、それで納得など出来ようはずもない。驚きと焦りに突き動かされるまま頭の痛みも忘れてユナが慌て始める。
「いやいやいやいや!! 嘘ですよね!? だってそんなの急過ぎません!? 私別れの挨拶とか何もされてないんですけど!?」
「うん、本当に、何でだろうな」
「なんで引き止めなかったんですかリズさーん!!!」
「止めたさ。せめて挨拶くらいしたらどうだとも言った。まぁ、二日酔いでそれどころじゃないだろうとにべもなく返されたがな」
リズリアの言葉がユナを貫いた。つまり、昨日自分が調子に乗って飲み過ぎたが故に、レドの見送りもできず挨拶すら無いまま別れを迎えてしまったのだ。
見事なまでの自業自得。己の失態に打ち震え、ユナは力無くその場へ崩れ落ちた。朝の決意はどこへやら。
「なんで今日なんだよぉう……レドのバカぁ」
「まぁ、なんだ。今生の別れでもないのだからそこまで気を落とすな」
「落としますぅ。……こうなったらコッソリついて行っちゃおうかな」
「それは許さん」
「何でですか! 痛ぅぅっ……!」
想い人との最後のやり取りが酒の勢いに任せたダル絡みなど最悪である。これでは納得がいかないと無理にでもレドの後を追おうとし、その案はリズリアによって却下された。
恋敵め! 邪魔をするか! そう言わんばかりに噛み付こうとしたユナだったが、大声でぶり返した頭痛に撃沈。憐れ。
「1人で行かせるからこそ成長が見込める。お前が一緒に行っては何の意味もない」
「……私にレドが取られるのがそんなに嫌ですか?」
「早とちりするな馬鹿者。現状、この村の者を除けばレドは女性を嫌悪している。それは理解しているな?
周りが女性ばかりの冒険者ギルドに所属すれば、必然的に異性との接点が出来る。他者との関わり合いで、或いはレドの女性嫌いも緩和するかもしれん。そこにお前が居ては周りを牽制してばかりで進展など見込めんだろ」
「それでレドの女性嫌いが加速したらどうするんですか」
「それはレドを甘く見過ぎだ。私が大丈夫だと判断したのだから問題ない」
「むぅ……じゃあ、仮に、いえそんなこと起こらないとは思いますけど万が一! レドが女性に興味を持ち始めて、結果的に悪い女に騙されでもしたらどうするんですかっ」
「それこそありえんな」
レドとて男。何かの間違いで女性とそういう関係になる可能性もゼロではない。しかも恋敵であるリズリアならばともかく、どこの馬の骨とも知らぬ女にレドを取られるのはユナにとって耐え難い屈辱だ。
自分以外と肌を重ねているレドを想像して、ユナの中にはその女に対する激しい嫉妬と怨嗟が渦巻いていた。
そんな胸中を知ってか知らずか、真正面からありえないと斬って捨てたリズリアにユナは目を丸くする。
何やら佇まいを直したリズリアが両腕で自らの凶悪な乳房を持ち上げている。表情も雄を誘う女のそれであり、同じ女性であるユナでさえクラリときそうな色気をこれでもかと放っていた。
「自分で言うのもなんだか、私はかなりいやらしい体つきをしている。男の情欲を掻き立てるには十分すぎるほど甘美なものだろう。
しかしな、そんな私と、このリズリア・ヴァレンタインと10年以上も一つ屋根の下で暮らしておきながら、間違いの一つも起きなかったんだぞ?
私の裸を見ても母親のような反応しか見せないレドが、今更他の女にうつつを抜かすと思うか?」
「うぐっ」
恐ろしいほどに説得力のある言葉だった。
決してユナの体は貧相ではない。むしろ同年代からすれば羨望の眼差しで見られる程度には完成された肉体を持っているだろう。
しかし何事にも上がいるものだ。肉体的にもユナの完全上位互換であるリズリアの言葉には、有無を言わさぬ力があった。
「お前が心配してることは起こらないさ。それに、これはお前にとっても良い機会になるだろう」
「良い機会?」
「今のうちに女を磨け。これはチャンスだ。長く離れていたレドと再会した時、女として大きく成長したお前を見せれば、あの堅物ももしかしたら靡くかもしれないだろう?」
「っ!」
リズリアの言葉にユナの体を電流に似た衝撃が駆け抜けた。あくまで可能性の話とはいえ、今の自分をどれだけアピールしても平行線でしかないのなら、そこに賭けてみる方が現実的なのではないか、と。
レドを追いたい自分とリズリアの言葉を飲み込もうとする自分。果たしてどちらを選ぶのが正解なのか。
葛藤するユナを一瞥して、更にリズリアが言葉を紡ぐ。もう一押し。
「いいかユナ。攻めるべき時とそうでない時を見定めろ。待てる女は良い女と言うくらいだ。自分を魅せるだけが手段ではないことを学びなさい」
「なるほど……確かにっ!」
後押しの効果は抜群。何やら天啓を得た様子のユナが目に見えてやる気を漲らせ始めた。
レドに会えなくなるのは寂しい。しかしそれを乗り越えた先に望む未来が待っているのならば、自分は良い女となり待ち続けよう。一目でレドが惚れ込むほどの、そう……リズリアすら越える女に!
新たにした決意はユナの中で業火の如く燃え上がった。
「やーるーぞー!!!」
元気よく両拳を天に掲げるユナの姿に、ホッとしたような、微笑ましいような、少しだけ危機感を覚えたような、そんな複雑な心境のリズリアは密かに思う。
(チョロいなこの娘)
いつしかユナを苦しめていた頭の痛みは消えていた。




