第1話
晴天。目の前にそびえ立つは冒険者ギルド。思っていたより大きいこと以外特に感想を抱くこともないまま扉を開け放ち、俺は真っ直ぐに受け付けへと足を運んだ。
「冒険者登録をお願いします」
「……はい?」
こちらからの第一声。要求を口にした途端、カウンターの奥に居る受付嬢が間の抜けた声を発した。
聞こえなかったのだろうか? 仕方ない、もう一度。
「冒険者登録をお願いします」
「あー、その。冒険者ギルドは初めてでしょうか?」
「そうですが?」
「でしたら、そちらの看板にここでのルールが書いてありますので、まずはそちらをご覧になってください」
「ん、なるほど。ご丁寧にどうも」
「いえいえ〜。ぷぷ」
……? 今俺の事を笑ったような気がしたが、気のせいか?
まぁいい。確かに事を急いてしまい過ぎたかもしれない。彼女が言うように、まずはここでの決まり事を頭に入れる必要があるだろう。
言われた通り受付横の壁にかけられた看板に目を通していく。
どうやら決まり事と言っても、そう多くはないらしい。……しかし、どれもこれも男には不利なルールばかりだ。
其ノ壱
冒険者登録には登録費が必要となります。予めご用意ください。なお男性の方は最低でも等級が中級の女性冒険者同伴でのみ登録が可能です。
登録費は女性が銀貨3枚。男性が銀貨10枚となります。
其ノ弍
依頼を受ける際は等級に見合った物をお選びください。ご自身の等級より上の依頼を受けるには、それに見合った冒険者と共にお願いします。
なお男性の方は単独での依頼はご遠慮ください。パーティには女性冒険者を複数人加える事が絶対条件となります。
其ノ参
依頼による負傷等があった場合、銀貨2枚分の治療費を本ギルドからお渡しします。なお男性の方には適用されません。
其ノ肆
依頼達成による報酬は女性冒険者の方へお渡しします。男性の方へのお渡しは行っていませんので、パーティ内で分配してください。
其ノ伍
ギルド内での揉め事はご遠慮ください。場合によっては罰金を支払っていただきます。
なお男性の方が問題を起こした場合、冒険者登録を解約していただきます。
男性に恨みがありますと言わんばかりの酷いルールだ。あくまでも女性有利。男性は不遇か。
これが冒険者ギルドでの常識。師匠から聞かされていた通りだな。本当にくだらない。資格が無くとも人というのは扱い次第で化けるというのに、何故それが分からないんだ。
ただまぁ、これを見て納得はした。
ここに来てから感じる嘲笑を孕んだ多くの視線。どいつもこいつも男を下に見て嘲笑っている。
さっき受付女性が俺を笑ったように見えたのは、やはり気のせいではないな。
このルールに則るとするならば、ここに男1人で来た俺は冒険者にはなれない。周りからは無知な田舎者、もしくは世間知らずのお坊ちゃんとでも思われてそうだ。
冒険者ギルドについてほとんど無知だから間違ってはいないが。
「理解しました」
「という事ですので、お帰りはあちらでーす」
そう言って受付嬢は俺が入ってきた出入口を指差した。
表情は笑顔でも目がまったく笑っていない。さっさと帰れ、そんな言葉が今にも聞こえてきそうだ。
とは言え、はいそうですかと踵を返しては、3日間歩き続けてここまで来た苦労が水の泡である。
元々良い待遇は期待できないと承知の上で来たのだから、粘れるだけ粘ってみるとしよう。
「質問いいでしょうか?」
「はぁ……どうぞ」
露骨にため息を吐かれた。本当に男に対する対応が酷い。
「俺はこの街に来たばかりでして、冒険者の知り合いも居ません。そして登録を手伝ってくれる人を探す暇も惜しい身です」
「へーそうなんですかー」
相槌は打つものの、その視線は机の上に並べられた書類へ向けられている。
おいおい、ついにこっちを見る事もしなくなったぞ。来訪者より書類を優先とはどういう教育を受けてるんだ。
「出来れば今登録を済ませておきたいのですが、何か特例などは――」
「邪魔よ、退いて」
「あ、お帰りなさいタリアさん! 依頼のご報告ですか?」
何か方法はないかと聞き出そうとした瞬間、俺の体は横に押しのけられ、背後から3人の女性が割り込んできた。
俺の事など二の次三の次とばかりに受付女性の関心はその3人組へ。
素人目にも分かる上等な赤い鎧を身にまとった女性を筆頭に、魔法詠唱者と思われる白いロングコートの小柄な少女、そしてガタイのいい獣人の女性。
「赤熱の牙だ……」
「あの人達がそうなの?」
「うんっ、最上級の!」
「さ、最上級って確か、冒険者の中でも上位10から20の人達だっけ?」
「そうそう! ベテラン中のベテラン冒険者!」
周りに居る冒険者達が急に騒がしくなった。
そう言えば決まり事が書かれている看板の横に等級の一覧があった事を思い出し、再び視線を移す。
最上級。等級のランクとしては上から2番目なのか。
1番上が特級。次に最上級、次点で上級。
その後に続くのは中級、初級、見習い、か。
なるほど、こうして見ればかなり上位に位置する人達なのだと分かる。周りが言っていたように、実力もまたそれに見合った物なのだろう。注目されてしまうのも納得だ。
「ただいまミライ。察しの通り依頼完遂の報告に来たわ。ワイバーンの番討伐完了よ」
「これ、討伐の証」
「わぁっ! 今回も見事な手際ですね! 確かに受け取りました!
メルさんにライオットさんもお疲れ様ですっ」
「ん」
「アタシとしちゃあ消化不良この上ないんだがな。ほとんどタリアがやったようなもんだし」
「あら、早い者勝ちってやつよ」
「それを言われちゃ何も言えねーや」
へぇ、単独か。確か弱い部類とは言えワイバーンは一応竜族に属してる筈だ。それをほとんど1人で、しかも番を同時討伐。
相当に実力が無いと成し得ない偉業だな。
素直に拍手を送りたい気持ちもあるが、今しがた受けた仕打ちを考えるとそんな気持ちも失せてしまった。
如何に最上級の強者だろうと、横入りというのは立派なマナー違反だ。強いから許される、女だから許される、そんな理由がまかり通ってたまるものか。
他の男ならいざ知らず、俺は大人しく泣き寝入りするほど落ちぶれてはいない。
「それでは、報酬を――」
「まだ俺の質問に答えてもらっていません。それは後にしてこちらを優先していただけますか?」
ワイバーン討伐の報酬を持ってこようと立ち上がる受付嬢に待ったをかける。
すると、あれだけ賑やかだったギルド内は一変して、しんと静まり返った。何故? とは思わない。大方、男ごときが口を挟むとは思っていなかったのだろう。
そんな空気の中でも俺はお構い無しに話を進めていく。
「ここまで来てとんぼ帰りは正直避けたいので、男1人でも冒険者になれるような特例は無いのですか?」
「あ、貴方ね! 今はタリアさん達の相手を――!」
「それは後からでも十分かと。先に来ていたのは俺ですから。優先されるべきはどちらなのか、それが分からないほど愚かではないでしょう?」
「自分が優先されて然るべきだと言いたいのかしら?」
タリアと呼ばれていた女性が横目に俺を睨み付けてくる。彼女だけではない。他2人もまた、まるで汚物を見るかのごとき視線を浴びせてきた。
「当然です。マナー違反者に妥協する道理はありません」
「ぷっ、あっはははははは!! どこの田舎者かしら? みんな聞いた? 私がマナー違反者ですって。どう思う?」
その声に誰もがクスクスと笑う。これが答えだと言わんばかりにぶつけられる嘲笑。
「分かった? ここでは貴方の存在自体がマナー違反みたいなものなのよ。さ、ミライ、報酬を」
「はーい」
「話は終わっていません」
「おい男。あんまりしつこいと潰しちまうぞ?」
背後から肩に手を置かれる。その手の主はライオットと呼ばれた獣人女性。今にも鋭い爪を食い込ませようと、手にはそれなりの力を込めているようだった。
一応は新調した防具を付けているものの、この鋭利な爪を使われたら呆気なく貫通するだろうな。獣人の握力は馬鹿にできない。
「横入りの次は脅迫。仮にも冒険者の上位に位置する人達が聞いて呆れますね」
「男は役立たず。だからここじゃ、人権もないんだよ?」
「メルの言う通りだ。殺されたって文句は言えない。そういうもんなんだぜ?
そんなに冒険者になりたきゃ、お人好しの女冒険者でも引っ掛けてお願いしてみろよ。靴でも舐めりゃ承諾してくれるかもなー?」
「なるほど、それも一つの手ではありますね。ですが俺にはツテはありませんし、貴女方もお人好しとは程遠そうだ」
「なら諦めな。さっさと帰ってママに泣きつけよ」
今度は先程よりも大きな笑い声がそこら中から上がる。それを一身に受けながらも、俺は冷ややかな視線を彷徨わせる。
誰も彼もが腐り切っている。貴女が引退してしまった理由も分かる気がするよ。
まともな思考を持ち合わせてる人にとってここは地獄と変わりない。男ともなればもっと酷いのだろう。
不快だ。この上なく。
「ライオット、そのゴミ捨てといてちょうだい」
「あいよ……っ? あ?」
力ずくで追い出そうというのか、獣人女性が俺の体を引っ張り出そうと力を込める……が、俺の体はその場から一歩も動く事はなく。
ならばと両手で引きずり出そうとしてくるが結果は変わらずだ。
「こ、のっ……! ふん〜っ!!」
「何やってるのよ。ふざけてないでさっさと――」
「ふざけてねぇよ! コイツびくともしねぇ!」
「そんなわけ、ない。いつもの、ライオットの悪ふざけ」
「だからふさげてなんか! あぁクソ! もういい持ち上げてでも!」
埒が明かない。出来ることなら荒事は避けて通りたかった。しかし、こういう手合いはこちらがいくら諭したところで話が通じないものだ。
ここで騒ぎを起こしてしまうと最悪の場合冒険者登録すら叶わなくなる可能性も捨て切れないが、コイツらが居てはどの道進展は見込めない。なら賭けだ。
俺の体を持ち上げようとしてくる獣人女性の手からするりと抜け出し、後ろを振り向く。そのまま親しい友人にでも歩み寄るがごとく近付き、今度は俺が彼女の肩に手を置いた。
「てめ! 気安くさわ――」
「お す わ り」
「あがっっ!!!?」
文句は聞かない。そのまま力任せに手を下げれば彼女の膝は簡単に折れ、床に跪く形になった。
誰かが息を飲んだ。或いはこの場の全員かもしれない。
膝をついた当の本人は訳が分からないといった具合に混乱の最中。額に玉のような汗を浮かばせ、瞠目しながらも立ち上がろうとする彼女だが、俺がそれを許さない。
「なんっ……なに、が……!?」
「躾のなっていない獣には分からせてやれ。師匠の教えだ」
いや、調教だったか? まぁいい、あの人の教えは数多いからな。
「いいか? 俺は騒ぎを起こしに来たんじゃない。貴女達も立場だけ見れば揉め事を起こすのはマズイ身分だろう?
ルール其ノ伍、ギルドで揉め事を起こした者は場合によって罰金を支払わなければならない……だったよな?」
「っ!」コクコク
もはや敬語も何もあったものではない。いや、もうコイツ等に敬語を使う必要は無いだろう。
確認の視線を肩越しに送れば、俺の言っている事を肯定するように受付女性が何度も頷いてくれた。
「だ、そうだ。どうして冒険者でもない俺の方が貴女達よりもルールを遵守してるんだか」
「こ、の! 離しやがれ!!」
「大人しくしているのなら考えてもいい」
「うらぁっ!!」
押さえつけられてるとはいえ両腕はフリーだ。彼女が空いている手で俺の腕を引き剥がそうと試みてくる。
獣人の爪で掴まれては、新調したばかりの軽鎧に傷が付いてしまう。ならばと押さえつけている手を一瞬だけ離して爪を躱し、彼女の両手が空を切ったのを見計らって今度は頭を鷲掴んだ。
そのまま一息に顔面を床に叩き付ける。
「がぁっ!?」
「あ、ありえないわ……」
「ライオットが、力で、負けてる」
誰も彼もが信じられない物を見るような目で見ている。
まぁ当然だろうな。ギルドの中でも上位らしい最上級冒険者が、無名の男ごときに組み伏せられているのだから。
力を示した今、俺を舐めきった態度はもう取られない筈。そう願いたい。
もう少し穏便で円滑に交渉を進めたかったんだけどな……致し方ないだろう。このまま続けさせてもらおうか。
「現状が分かるか? 今貴女達の仲間の1人は囚われの身にある。そして俺は何事も無くそこの受付嬢と交渉を終えたい。
質問だ最上級冒険者の諸君。貴女達が取るべき最適な行動は何だ?」
「っ……ライオットを失いたくなければ口を出すな、と言ったところかしら」
「理解が早くて助かるよ。
頼むから下手な真似はしないでくれ。殺しはしないが腕の1本くらいは折るからな」
これは冗談ではないぞと睨み付け、残りの2人が頷くのを確認する。
やれやれ、ようやく落ち着いて話し合いが出来る。冒険者ギルドとは本当に面倒だ。先が思いやられるよまったく。
「なら続きだ。質問内容は覚えてるか?」
「……特例、でしたよね?」
改めて受付嬢へ意識を向けると、今度は突っぱねられる事はなかった。
「そうだ。そういうのじゃなくても、正規の手順以外での登録方法があるのなら教えてほしい」
「……」
俺の質問に一筋の汗を流しながら、何やら受付嬢が背後をチラリと確認した。視線の先には本がズラリと並べられた棚。
何かを考えるように目を閉じたかと思えば、徐に一冊の本を手に取り手馴れた様子でページをめくっていく。
やがてその動作が終わると、受付嬢は何故か期待を込めた眼差しを俺に向けてきた。
「一つだけ、男性が単独で冒険者になれる道があります」
「聞こう。大金がかかったり恵まれた身分でなければ無理とか、それ以外の条件なら大抵は満たせる」
「……」
どうも受付嬢の様子がおかしい。ついさっきまで冷めた視線で明らかに俺を見下した態度だったのに、今はどこか熱を孕んだ視線を向けている。
こころなしか頬もほんのりと上気しているようだ。
静かに深呼吸を繰り返し、意を決した様子で受付嬢が口を開いた。
「特例中の特例。これを満たす男性は冒険者ギルド内では確固たる地位を得る他、等級に縛られること無く全ての依頼を受ける事が出来ます。
場合によってはギルドマスターと同等以上の権利が与えられ、あらゆるルールから逸脱。つまるところ自分の思うがままに行動できます」
「それはまた高待遇だな。だがそれはどうでもいい、条件は?」
「条件は……その男性が、戦核者であること」
瞬間、静まり返っていたギルド内がざわつき始めた。最上級の3人も、まさかといった表情で俺を見ている。
その反応を不思議に思うことは無い。同時に彼女の様子がおかしい理由も察した。
師匠が言っていた。俺が何者か明かす、もしくは正体の推測をされるような事が起きた場合、誰もが驚き期待するだろうと。
改めて周りを確認すれば、俺に向けられる視線は様々であるものの、そこに先程までの不快感はまるで無い。
何もかも師匠の予想通り。恐ろしい人だ。
ともあれ安心した。これで本当に大金が必要と言われたら諦めるしかないと考えていただけに、受付嬢が提示してきた条件は俺にとって非常に緩いものだ。
これで懸念事項の一つは消えた。
「なるほど」
獣人女性の頭から手を離し、両手で二の腕を掴んで軽々と起き上がらせる。コイツもコイツで周りとはまた違ったポカンとした様子で俺を見ていた。
「悪かったな。怪我は?」
「え、あぁ……特に、は」
「そうか何よりだ。次からは噛み付く相手をしっかり選べよ。見た目や性別で判断するな、いいな?」
「お、おぅ」
「よし、聞き分けのいいわんちゃんだ」
「〜〜っ!!!」
これで手打ちとばかりに頭をわしゃわしゃと撫でてやれば、獣人女性は悔しげな様子で真っ赤になりながら俯いてしまった。
コロコロと表情がよく変わる女だな。誰かさんを思い出す。
まぁいい、それよりも。
「条件は理解した。ならすぐに冒険者登録をお願いする」
「えっと、それはつまり貴方は、じゃなくて貴方様は――」
「察しの通り、俺は戦核者だ」
瞬間、割れんばかりの声がギルド中に木霊した。