5-34 彪牙
一つの教室での怪事件をきっかけとして、その世界ではバラバラの場所で同様の怪事件がいくつも発生していた。
殺人に使われた凶器は、残された血痕から全てその場の周りにあった物ばかり。しかしそれらには全て指紋の一つも付けられておらず、何より一人で犯行を犯すには大がかりすぎる乱雑した現場に、警察の捜査は難航していた。
その連続怪事件の犯人は、この日も目線を下げたまま、意識があるのかないのかが中途半端な様子で夜中の誰もいない道の中を宛もなく歩いていた。
誰も彼女を邪魔をする人は誰もいないかに見えた。しかし、呆然と真っ直ぐ道を進んでいった先に、一人の身長が二メートルはある大柄な男が肩幅に脚を広げて待ち構えていた。
伝統の光が背中に当たっていて正面が陰になっていたが、目の前にいる相手が何者なのかなどはメリーにとってはどうでもよかった。何もしないのならそのままに、邪魔をするのなら殺すだけ。その単純な判断だけを思考に残していた。
そんな彼女に、男は堂々と話しかけてきた。
「君ですか。最近この世界の巷を騒がせているという怪事件の犯人は」
声が耳に入っても聞いてはいないメリーは、反応もなく相手を捨て違って暗闇に進んでいこうとした。すると丁度メリーが隣を通ったタイミングに男の方が再び口を開いた。
「なるほど、九十九神……人形か」
男の台詞にメリーは足を止めた。男は彼女が止まった理由を詮索する。
「止まってくれましたか。さしずめ何故私がすぐに気付いたのか知りたいのでしょう」
メリーは一瞬男に顔を向けるも、すぐにまた下にうつむかせて足を進めようとする。すると男は顔の向きこそ変えないが、独り言のように話を続けていた。
「とするとなんとなく動機も分かりますねぇ。自分を大切にしてくれていた持ち主が死んでしまい、その人の復讐のために動いている。
……ですが、貴方がいくら必死になって復讐をしたところで誰も幸せにはなりませんよ。その貴方を大切にしてくれていた方も」
メリーは自分の事だけでなく、自分の事を大切にしてくれていた少女のことにまで指摘をされたとなると話は別だ。
メリーは男の台詞を挑発と受け止め、目にも止まらぬ素早い動きで振り返りながら男を殴りかかった。
しかしこれを男は片手で受け止め、顔を振り返ってきた。
メリーがここに来て街灯の光の面に映り初めて見た男の顔は、彼女の知る人間のものではなかった。おでこから鬼のように立派で、波形に歪んだ角を生やし、口から生えた歯にも吸血鬼に似た日本の大きな牙が飛び出ている。
何よりその肌の色は赤く、目は吊り上がっていた。総じてこの世界では『化物』といってもおかしくない風貌だ。
メリーは心の何処かで納得がいった。ここまで誰にも全く勘付かれなかった自分の正体を、男は自分に触れもせずに看破したことに。
「……アナタ……は?」
摩訶不思議な男にほんの少し興味が湧いたメリーが口を開いてようやく返事をする。男はこれを好意的に受け止め、受け止めた拳を離しつつ振り返って自己紹介を始めた。
「私の名は『彪牙』。こことは違う、別の世界からやって来ました。貴方に会うために」
「ワタシに?」
メリーは出した拳を引っ込めたが、目線は上げないままだ。
「ワタシを? 殺した方の関係者ですか」
「いいえ。殺人犯を取り締まりに来た……つもりでしたが、貴方の正体に気が付いたことで気が変わりました。」
「?」
ほんの少し抱け反応を示して動きが止まるメリー。彪牙はここで女に一方的に語った。
「ここまでの事件、凶器はその場周辺にある物類ばかり。ただ普通に運ぶばかりでは事を犯すに効率が悪いのです。
この世界は特に超能力もないようなので原因不明で処理されているようですが、君は、あらゆる物と会話し、協力を仰ぐことが出来る。そんな能力を持っているのですね」
「それが……何か?」
メリーは何が言いたいのかと彪牙に問い詰める。彼女はこの会話自体に既に嫌気がさしかけており、速めに終らせて、何ならすぐにでもこの場を離れようかとも考えていた。
彪牙もメリーの心情をなんとなく察したのか、自分が何をしたいのかについて彼女に単刀直入に伝えた。
「貴方を、スカウトしたいと思っているんです」
「スカウト?」
「ええ、私はこういう怪事件を追う組織の隊長をしておりましてね、君のような方の力を、是非欲しいと思ってしまったのです」
メリーは表情こそ変わらないが呆れている部分があった。怪事件を追う。探偵なのか警察なのか知らないが、自分は既に復讐のため人を殺した身。そんな人助けとは縁遠い存在になっている。
「ワタシは人殺しです。人助けとは縁遠い存在。でも止めるつもりもないんデス。この思い、恨みを晴らしきるまでは止める訳にはいかないんデス」
メリーの復讐は、最初は少女をいじめて自殺の直接的な原因を作った女子生徒達に始まり、そこから膨らんでいっていた。
少女がいじめられているのを影で笑っていた生徒。少女の友人を自称しながらいざというときに彼女を助けてくれなかった人物。
恨みの矛先は続けば続くほどに膨らんでいき、メリー本人も最早次は誰の殺せばいいのか分からないままに憎しみに突き動かされて動いている状況だった。
彪牙はそんな彼女に対し的を得たことを口にする。
「確かに君は人を殺した。九十九神については多少知っています。元々は持ち主に長い間大切されたことによってその物に明確な思考や感情が宿る。
だがその純粋さの裏返しとして、大切な主人に裏切られればその主人を襲い、主人が理不尽な目に遭えばその相手に対し復讐をしようとするものだと。」
これを聞いてもメリーの様子は何も変化がない。
それを見てか彪牙のもう少し話をしてもいいものと受け取り、ここで見たメリーの印象についての説明を勝手に続けた。
「だからこそ君は、直接の原因を倒し、今自分が何処へ向かうべきなのかも分からなくなっているのだろう? 純粋に復讐を目的としていた弊害ですね」
彪牙が言った台詞は、まさに今のメリーの的を得ている。だが同時にこの台詞は、彼女の神経を逆撫でしかねない台詞だ。
メリーは初対面でありながら自分の事を何もかも分かっているかのような口ぶりを聞いたためにさすがに苛立ちを覚えたらしく、影のかかった目付きを鋭くさせた。
周辺の街頭が震え、アスファルトが一瞬波打ったように見える。メリーの意思に周辺一帯の物達が反応しているのだ。
彪牙はこれを見て顎を引くも、逃げ出そうとするばかりか脚を動かす気すらない。ただドンと構えているだけだ。
「だから……何なんデスか?」
「先の見えない暗闇の中を探るのは止めなさい。そんなことをしても、貴方自身が傷つくだけです」
「分かったような事ばかり!! 言わないで!!」
メリーが顔を上げて彪牙を睨み付けた途端に、近くに立っていた街灯が根元から離れ、鋭い根元が彼の胸に向かって飛んできた。
逃げようとしてももう遅く、彪牙が立っている道がピンポイントで自身のように揺れ始めて立っているのがやっとの状態になる。
「これが君の力か! なるほど、想像していたよりもかなり強烈なものですね」
メリーの激情に乗せられるがごとく容赦無く襲いかかる街灯。彼女はこの一撃で仕留めるとばかりに攻めていたが、彪牙は両手を伸ばし、身体が潰れかねないことに対して一切の躊躇もなく受け止めにかかった。
彪牙の行動に驚くメリー。彼女の状態に反応したのか勢いが止まった攻撃。彪牙は手を出血させながらも受け止めた街灯をそのまま掴んで片手で動かす怪力を見せた。
「そんな! 街灯さんを片手で!?」
どうにかしようと地面を揺らすメリー。だが彪牙は実質的な地震の中でも平然と脚を動かし歩いてみせる。メリーはここに来て彼にとても敵わないという認めざる負えない事実を突き付けられた。
「君では、ワタシには勝てません。そして貴方はどうであれ弓を引いた。覚悟をしていただきます」
歩いて近付いてくる彪牙に恐怖を覚えるメリー。彼が手に持った街灯を今度は自分にぶつけられると考えた彼女だが、すぐに逃げ出したところで間に合わないことも察した。
だからなのか分からない。彼女は自分でも混乱したかのように、どうせ倒されるのなら一矢報いんと逆に前に飛び出してきた。
しかし彼女のかけも圧倒的力には通じるはずもなく、振り回された街灯によって攻撃させるかに思われたメリーだったが、彪牙は街灯を近くに丁寧に射し込み、向かってきたメリーの拳を再び掌で軽く受け止めた。
「ナッ!」
「今、逃げませんでしたね」
「え?」
彪牙からの指摘に力を緩めるメリー。彪牙も追撃はかけず、彼女の動きを見ながら街灯を丁寧にさすった。まるで乱暴に扱ったことを謝罪するかのようだ。
彪牙は街灯から手を放すと、さっきメリーに話した一言の続きを口にする。
「誰かが、逃れられない脅威に遭遇したとき逃げ出すか命乞いをするものです。しかし君はどちらでもなかった。覚悟を持って私に向かって突撃をしてきた。それは何故ですか?」
彪牙の問いかけにメリーは一瞬戸惑った。彼女は今自分がやった行動の理由が分からなかったのだ。しかし少しして一つだけ思った事があった。
「捕まった街灯さんを、助けないとと思ったから……」
「君は、たった今ほんの少し協力した相手に対してにも命をかけられる。それだけ他者のために命をかけることが出来るのです」
ここまでメリーが様々な復讐をしてきたのも、大切な少女のことを思っての行動だった。彪牙は彼女のこれに怒りはしなかった。
「君には、人間以上に人を守りたいという思いがある。確かに貴方の大切な人は戻らないかもしれない。しかし! だからこそ!! 君のその力は、誰かを守る為に使った方がいい!!」
メリーは思い出していた。人形であった頃を。少女に大切にされ、毎日声をかけられていたときのことを。
確かにあのときも、メリーは喋ることこそ出来なかったが主を守りたい、主の支えになりたいと常に思っていた。
メリーはようやく気が付いた。自分がしたかったのは誰かに復讐をすることではなく、優しい人が酷い目に遭うことが許せなかったのだと。
「ワタシは……」
自分が犯した過ちに気が付いたメリーは、膝を地面に付けて崩れてしまう。彪牙はそんな彼女に手を差し伸べた。
「罪は消せません。しかし今変われば、より多くの人を救うことが出来る。貴方は、どうしますか?」
メリーの意思は決まった。彼女はここまでの復讐の罪滅ぼしのため、そしてそれ以上に、自身の大切にしてくれた主人と同じ優しい人達を守る為、次警隊に入隊することを決めたのだ。




