5-33 幸せな家庭のお人形
時は数年遡る。とある世界の平凡な町にある平凡な家の元に、何処にでもいる普通の親子が住んでいた。家族間の中は良好で、両親は娘を、娘は両親を愛し親しんでいた。
そんな娘にとって一番大切な宝物は、幼少期に裁縫が得意な彼女の母親が作ってくれた、柔らかいお人形だった。
「ありがとう! ママ!! とっても嬉しいわ!! これからよろしくね」
貰ったぬいぐるみに幸せそうな顔を浮かべる少女に、母親は話しかけた。
「ねえ、これから大切にしていくお友達なんだし、何か名前でも付けたあげたらどうかな?」
母親からの優しい提案に娘は顔をより明るくして頷き、人豪に満面の笑みを向けながら話しかけた。
「今日から貴方は『メリー』よ! よろしくね、メリーさん!!」
人形は『メリー』と名付けられ、持ち主である少女に大切にして貰っていた。暖かい家庭。暖かい暮らし。そんなことがずっと続く中で、とある日、人形に何か異変が起こった。
持ち主によって長い間大切に扱われていたものには魂が宿る、世に言う『付喪神』の言い伝え。
何年もの間大切に扱われてきたこのメリーにも、言い伝えの内容が当てはまった。いつしかメリー自身には相手の声が聞こえて景色が見え、何より思考能力が備わっていた。
(ご主人様、嬉しそう……)
目で見た景色に最初に思った事はそれだった。もっとも幾ら思考を得たところで人形は人形。口を開くことは出来ないがために会話をすることは出来なかった。
それでも人形でありながら相手の意思を異界する思考を持つことが出来た事態に、メリーはとても嬉しく思っていた。
平凡で普通ながら幸せな日々。メリーは自分もこのまま家族の幸せを見て過ごしていくのだろうと思って暮らしていた。
しかしそんな家族の平凡な幸せはとある事件によって、簡単に崩壊してしまった。ある日、少女の父親が事故に遭い、亡くなってしまったのだ。
両親は、共働きだった上に母の方が主な収入源であったため、家庭の金銭的にはそこまで問題では無かったのだが、問題だったのは、これによる人間関係の変化にあった。
何処からどういう形で始まったのか、彼女達の家庭内における根も葉もない噂話が広まったのだ。
「ねえ、あの子……」
「ウワァ……母親が浮気してたっていう?」
「そうそう、何でも一人娘も浮気相手の子供って事らしいわよ」
「旦那さん、お心を痛めたんでしょうねえ。可愛そうに……」
『母親が以前から密かに不倫をしており、娘はその浮気相手との子供』、悪意しかないこの噂話に親子は苛まれることになってしまった。
人間というのは、良くも悪くも噂が好きだ。芸能界の有名人のゴシップネタとなるとたった数時間で世間に広がり、様々な憶測がネット上に投稿されていく。
当然一般家庭の悪い噂がそこまで広範囲に広がるわけではなかったが、それでもご近所に広まるのははやい。悪い噂による弊害は親子を襲い、一番にその影響を受けたのは、純粋な子供が数多くいる学校だった。
娘はクラスメイトからい広まった噂をストレートに言われ、まるで弱点を突くかのように何度も彼女のを攻め立てた。
クラス内でトラブルが起きれば彼女のせい。いじめっ子達にとって格好の餌食となり、教師は激務からこれ以上のことは背負いたくないと、学校内にいた友達も、自分が攻め立てられることを恐れて彼女に対するイジメを見て見ぬ振りをしていた。
いつしか孤独になった少女が心を開くことが出来るのは、彼女が大切にしていた人形メリーだけになっていた。
「メリーさん……ワタシ今日もね、皆にいじめられたの。筆箱隠されて、机に落書きされちゃった……
隠されてた筆箱は、ゴミ箱で見つかった
……でも、ワタシは大丈夫だよ。ワタシには、貴方という大切な友達がいるから」
人形を強く抱き締める少女。口から出る言葉では平然そうに装っていても、メリーには恐怖による震えが伝わってきていた。
(主様、手が震えてイマス。やっぱり怖いんデスね。
大丈夫デス! ワタシは、メリーは何処までも貴方の味方ですよ!! ……)
メリーが心の中ではそのように思っていても、お人形の固定された口では何も話すことは出来ない。
どうにかしてこの口を開くことが出来ないのか。自分の思いを彼女に伝えることは出来ないのか。メリーは彼女が自分に思いを吐いてくれるように、自分も話して彼女を会話がしたい。
もどかしい気持ちに苛まれ、言葉を聞く事しか出来ない自分が嫌に感じる日々が続いたメリー。
この時にもし話すことが出来たらどれだけよかったのだろうかとは、今でも彼女でも心に重くのし掛かっていた。何故ならこのたった数日後、イジメによる精神的苦痛に耐えかねた少女は、自ら命を絶ってしまったのだ。
メリーは、人形ながらに施行を手に入れたが為、この時に自分が身を置く世間というモノが、いかに残酷で、理不尽なものだというのかをよく知ることになった。
イジメによる自分の娘の死には、当然母親はこれまでにない怒りを露わにし、原因となった生徒達のことを攻め立て学校側に問い詰めた。
しかし、学校にはイジメに加担していない他の生徒もたくさんいる。この一つの事件だけで学校の知名度を悪くすることは、他の生徒にまで悪い噂が立ちかねないと、教師側の謝罪、担任の懲戒免職のみで事は終了してしまい、原因の生徒達には、何のおとがめもかけられなかった。
メリーは唯一残った母親が、家に帰る度に精神が歪んでいくのを目の当たりにした。ついには娘に大切にされておきながら何も出来なかったとばかりに、人形であるメリーにさえ攻撃をし始め、最終的にメリーは、もう見たくないとばかりにゴミ捨て場に捨てられた。
大雨が降ってきた。屋根のないゴミ捨て場ではかわすことは出来ず、メリーは布の身体を汚れた雨粒に濡らされながら、せっかく持った思考で考え事した。しかし純粋無垢な彼女にとって、何でこんなことになってしまったのかは、理解が追い付かなかった。
自分がいた家庭は、ただ平凡に暮らし、普通の幸せを享受していただけに過ぎなかった。にもかかわらず世間は気まぐれに家族を攻撃し、時期が過ぎれば風化して何もなかったかのように忘れ生活していく。被害者は置き去りにされたままに……
メリーは、この理不尽が許せなかった。自分を大切にしてくれていたあの優しい少女が、何故理不尽に殺され、あまつさえ加害者側は何の罰も受けていない。
(悔しい……悔しい……悔しい……悔しい)
メリーが人形でありながら思考が芽生えたからなのか、死んでしまった少女の恨みの心がそうさせたのか、そのとき、メリーの身体に不思議な変化が起こった。
人形の全身から突然大量の黒い靄を発生されていき、メリーの身体を纏めて覆い隠すように包み込んだのだ。
靄は段々と膨らむように大きくなっていき、成人女性と同じくらいの背丈にまで伸び上がると、靄はようやく晴れていく。
靄が晴れた際に立っていたのは、広がった靄の範囲と同じ身長をした金色の長い髪の少女。人形がそのまま人間になったかのような存在がそこには立っていた。
その存在はふと重量が重くなったことを感じて前方向によろけてしまうも、反射で前に出した右脚で踏ん張った。しかしそれは本人にとても衝撃を与えた。
「ワタシ……今動いて……ッン!? 声が……出てる?」
動くことの出来た身体。何が起こっているのか分からないその存在が雨の水たまりの方に行くと、人形ではない美しい少女の顔が映っていた。何の皮肉なのか、持ち主だった少女の顔にそっくりだ。
「これが……ワタシ?」
本人にも、どうしてこんなことになったのかは分からない。だがこのとき、少女が大切にしていた人形『メリー』は、人の姿を得たのだった。
メリーは拳を強く握り締め、殺意のこもった怒りの表情に変わる。何故自分が突然こんな姿になったのかは分からない。だが大切な存在を一方的な理不尽によって失ってしまった彼女にとって、この奇跡を使う要因はハッキリしていた。
同日、少女が通っていた学校。放課後の教室では、少女をイジめ、自殺に追いやった原因の生徒達が何食わぬ顔で何して遊ぶかを話していた。
「ねえ、今日カラオケ行かない?」
「イイねぇ! 最近ハゲ教師に鬱憤溜まってたのに、発散できなくてキツかったのよねぇ」
「ああ、分かる。ホント最近楽しみないし、つまんないのよねぇ……」
自分達がやった行いをさも付かす手のおもちゃのような言い方をし、ほとんど忘れているかのような会話。そんな教室の中で、突然扉が開いて音を立てた。
教室に残っていた三人が注目すると、全身が雨で濡れている少女の姿が見える。
三人は最初傘を忘れた生徒が雨に打たれて戻って来たのではないかと楽しんでいたところに水を差されたと言いたげな機嫌の悪い表情になるが、次に目に見えた少女の服装が学校の制服でなかったことから、ここの生徒ではないことを理解する。
「アンタ、一体?」
ずぶ濡れの少女はゆっくりため息を吐くように口を開き、冬の北風のような冷たい声で彼女達に話しかけてきた。
「貴方たちがいじめて、殺した少女を覚えていますか?」
「は?」
唐突に質問されたからか、それとも少女の声が小さかったから聞こえなかったのか、いじめっ子達は少女に対し失礼な態度を取る。
これが少女にとって心境的に響くトドメになったのかもしれない。
翌日、この教室にて一つの事件が起こった。
第一発見者は校務員の中年の男。現場には三つの血みどろの変死体だけが残っており、犯人は見つからなかった。
奇妙なのは、死体にはいくつもの足跡があり、これは教室内にある机や椅子の脚の形にそっくりだったこと。
そして、教室中にある机や椅子、ロッカーがまるで教室を丸ごと揺らされたかのように荒々しく散乱し、その全ての脚や過度に赤く染まった血痕があったことだった。
大雨が降り続ける暗い道。傘も差さずにゆらゆらとゆっくり歩く少女。顔に付けた血を手で拭い、行く先の見えない闇の中にへと消えていった。




