5-32 フレミコ
あれだけ不穏な雰囲気を放っておきながらいざ姿を見せるとあまりに小さな存在だったことに逆にどう反応すればいいのかが分からず固まってしまうメリー。
にもかかわらずオーカーはとても勝ち誇ったように強気な態度を取っている。本当にこの『フレミコ』と名乗る魔物がとても凄いと自信があるようだ。
「どうした? 恐怖のあまり声も出ないか?」
自信があるどころかメリーが呆れている事に気付いてすらいない様子のオーカー。さすがにいたたまれなくなったメリーはとうとう聞いてしまった。
「あ、アノ~……そちらにいるのが、オーカーさんの、その契約している?」
「そう、フレミコ。我が契約した偉大なる闇の魔物だ!」
「そ、その……可愛らしい、ですね」
メリーは精一杯に言葉を選んでフレミコに対しての印象を口にした。しかしこの返しはオーカーにとってとても心外なものだったようで、今の今までかっこつけていた表情が途端に眉をしかめた機嫌の悪い子供のものに変化した。
オーカーは次に左手を前に出して軽く指を鳴らした。するとある程度間合いを取っていたメリーの身体が瞬きをする間にオーカーの至近距離にまで近付いた。
「エッ!?」
「遅い!!」
動揺するメリーにオーカーは素早い動きで彼女から本を奪い取り、次いで腹に張り手を当てて突き飛ばした。
「ウグッ!?」
「ん? 何だこの冷たい感触? その上どうにも柔らかい」
オーカーは攻撃したメリーの感触に何処か違和感を感じていると、メリーはすぐに立ち上がって奪われた本を取り返すために前に出る。
オーカーはこれにまたしても指を鳴らし、メリーの身体を一瞬にして自身の間合いに引き寄せて肘打ちを決めた。
「フグッ!!」
二度もタイミングを掴めず攻撃を直撃してしまったメリーはダウンしてしまう。自分が何故さっきから何度も突然オーカーに近付いていくのか。
この事に優勢に立ったためか表情が明るくなり、同時に気分も良くなったようで自分から説明を初めてくれた。
「さっきから突然立ち位置が変わっていることに混乱しているのだろう? 無理もない。生物というのは突然知らない場所に飛ばされたとき、混乱し悪い場合はそのまま暴れてしまう。
我のフレミコの力は、そんな事態を意図的に引き起こすことが出来る能力。もっともワープ、瞬間移動とは明確に違うが」
オーカーはフレミコを右肩の上に乗せ、左手でその顎を軽く撫でてやりながら話を続ける。
「我らは闇を生み出す! 闇は全てを飲み込む! 人も、物も動物も植物も水も空気も!! そして……空間さえも……」
「ッン!!」
メリーはオーカーの言い回しになんとなく察しが付いてきた。
「まさか! 空間を飲み込んだ!?」
「その通り。それこそがさっきからお主の身に起こっている瞬間移動の正体なのだ。ごく一部の空間のみを闇に飲み込み、削り取った。
文字通りの『闇飲み』。飲み込んだ物はそれが何であっても全てフレミコの腹の中! どうだ! 恐ろしいだろう!?」
圧をかけるように言ってくる最後の台詞。オーカーの厨二病の性格が、どうしてもメリーに恐れ入ったと言わせたいらしい。
かといって当のメリーからしたら、能力こそ確かに恐ろしいがそれを扱うオーカーのこの性格があって恐ろしさよりも先に反応に困った具合が勝っていた為に微妙な顔を浮かべて喋る言葉に戸惑っていた。
話す言葉に迷っているメリー。少しの間彼女がそんな状態のままで止まっているのを見たオーカーは彼女の態度にまたしても腹を立てて不機嫌な顔に戻った。
そのまま自分に恐れおののかせないと納得のいかないオーカーは、左手の指を鳴らしてまたしても闇飲みを発動。距離の縮まったメリーに対して攻撃を再開した。
だが相手は次警隊の試験に挑もうとしているメリー。さすがに三度もこんな単純な戦法に引っかかる訳ではなく、張り手で向かってきた攻撃を両手で受け止め、驚くオーカーにカウンターで左手でチョップを仕掛けた。
掴んでしまえば例え空間を飲まれても一緒に移動し、メリーを攻撃しようとすればすぐ側の本を巻き込みかねない。メリーは勝つまではいかなくとも反撃の姿勢に転じたと攻める。
だがメリーはこの考えが甘かったことをすぐに知ることとなった。
「近づきさえすれば反撃に転じられる。そう思ったのだろう? 甘いな」
次の瞬間、オーカーはあろうことか自分の片腕ごとメリーの腕を発生させた闇によって飲み込ませ、そのまま後ろに下がって距離を取ってみせた。当然引き抜いた先で闇の中に重なっていた部分は消しゴムで消された後のように消えている。
「じ、自分の腕ごと闇に飲み込ませた!!?」
普通なら自分の腕が失われたことに大きく動揺しそうになるものだが、メリーがまず指摘したのは自分ではなくオーカーの事だった。
しかしオーカーは自分の腕を片方失っていながらも一切焦る様子はなく、動揺を見せたメリーを見てようやく恐怖を浮かべさせられたと満足げに鼻で笑った。
「フフン! ようやく動揺したな。いい調子だ。だがここでは終らない。この手品には続きがあるのだからな」
オーカーの言葉を終えた先、メリーは瞬きをした途端に更に驚くことになった。目で見えた先には、つい先程発生した闇に飲み込まれて失われたはずの腕が丸々元の状態に戻り、自身の意思のまま通常通り動かすことが出来ていた。
「これは一体!? ッン!!」
目線を上げてメリーは元に戻っているのが自分の腕だけではなかった。オーカー自身の片腕も、闇に飲まれる前の状態に戻っていた。
「更に驚いたな。いい調子だ。お礼に教えよう! これ我がフレミコのもう一つの能力。飲み込んだものを一瞬にして元の状態に戻す事が出来る。
もっともフレミコの腹の中で消化されてしまえば完全に消滅してしまうから、タイムリミットはあるがな」
自身の能力について一通り説明を終えたオーカーは満足した様子になり、ふと手に持っていた本が目に入ったことで試験のことを思い出した。
「おっとそうだった。まずは試験に合格しなければな」
つまり本を奪われたままこの場を去るつもり。オーカーの思考が読めたメリーは、そうはさせまいと再び腕を失う事も覚悟で前方に突撃をかけた。
だがメリーが走り出してすぐに、何故か一瞬にしてオーカーとの距離が広がった。
「あれ!? 走っているのに何で遠ざかって!!?」
「クックック……さっきまでの攻撃がただのお遊びとでも思っていたのか? 元々このために準備していたのだ!!」
オーカーの含みのある台詞にメリーは気付いた。さっきまでのメリーに対しての攻撃。あのときメリーを間合いに近付けるためにフレミコに飲み込ませていた空間をここに来て吐き出させることで、一気に距離を伸ばしたのだ。
「お主と戦う前にも本探しを効率良く行なうためある程度の空間は飲み込んでおき保健は万全! こうなればもう追いつける術はない!!
逃げる形での決着は正直つまらないものがあるが、これも我の野望のため! 運河なかったと諦めるのだ!!」
オーカーはまたしてもいちいちポーズを取りつつ台詞を言い終えると、前台詞の布石通りにフレミコに事前に飲み込ませておいた分の空間を吐き出させて空間を広げ、自分の姿を遠くまで移動させた。
トリッキーな先方を前に為す術も無くオーカーを見失ってしまったメリー。こうなれば彼女にやれる手段は一つだ。
「すみません。ワタシと一緒にいた本さんを持っていったオーカーさん。どこにいるか分かりますか?」
メリーならではの解決方法。それはこの図書館中に存在している物類々に話しかけることでそれら、いや彼等から情報を得られるというものだった。
物達は優しく素直にメリーの問いかけに答えてくれた。彼女もこれをよく聞き耳を立てて彼女にしか聞こえない声を一言一句逃さず耳に入れる。
「アリガトウゴザイマ~ス! でも、ついさっき離れたばかりなのにもうそんなに離れてしまっているだなんて……」
姿をくらましたオーカーの居場所を把握できたのはよかったものの、オーカーは空間を吐き出す能力で相当の距離を進んでいた事が同時に発覚し、一瞬焦る顔になってしまうメリーだったが、ならばと彼女は次の質問を本達に飛ばした。
「そ、それならもう一つ質問なんですが、オーカーさんに追いつける方法、というより、抜け道でも何かないデショウか?」
この質問にも本達は素直に答えてくれる。本は人よりもこの図書館という空間に詳しい。人が気付いていない抜け道獣道の把握はお手の物なようだ。
本達からの言い返事を受けたメリーは少し顔色が明るくなり、本等に対し頭を下げてお礼を口にする。
「皆さんアリガトウゴザイマ~ス!! また機会があれば是非お礼させてクダサ~イ!!」
メリーは例を終えるとすぐに周りの本に当たって危害を加えないように気を付けながら出来るだけ速度を出して走り出した。
細い道、本棚の間。隙間をくぐり、高さの低い本棚を飛び越えるなどして通常使われることのないショートカットを進んでいくことで能力を使用して進んでいくオーカーに徐々に距離を詰めていく。
もっとも未だ手段を用いられると思っていなかったオーカーは、メリーが近付いて来ていることに気付いてはいなかったが。
走っている最中も、メリーは周辺一帯にある本や本棚、カーペットや天井のライト、これら全ての応援、世間話、他の受験者達に対する印象、その全てが耳に届いている。
(皆さん元気いっぱいです。普段からこの方達は大切に扱って貰っているんデスね。羨ましい……
ワタシには、もうそういうのは、ありませんからね)
メリーは少し暗い顔をして目線が少し下に下がる。声を聞きつつ走りながらふと彼女の脳裏に浮かんできたのは、メリー自身がこの試験に来るまでの経緯。
大雨が降る何処かの世界のゴミ捨て場の中で、野晒しのままに降り注ぐ雨を受けていた一つの人形が、突然と黒い靄を発生させていき、身体を包み込む。
人形を包み込んだ靄は成人女性の背丈と同じ大きさにまで巨大化し、晴れていく。
靄が晴れてその場にあったのは、元人形であった一人の少女の姿だった。




