5-1 故郷はない
足音一つ聞こえてこない、静かな空間。
着ている服はボロボロになり、体中怪我をして血を流している少年が一人、目の前の光景がかすみ、息を切らした意識もハッキリしない状態で、何処へ向かっているのか分からないまま歩いていた。
少年自身は気が付いていないが、彼の周囲には、元々そこに建ち並び、子供達やその親が通っていた建物。
今やその建物は変わり果てた廃虚に炎が燃え盛り、煙から発生した黒い雲が空を覆い尽くしている。
端から見てもまさしく地獄絵図といって差し支えないような歪んだ光景。
そして何より、少年以外の人間が一人も見当たらない。
彼が小声の独り言をボソボソと呟きながら彷徨っているときだった。周りの音が聞こえなかったはずの少年の耳にハッキリと生物の咆哮が響いてきた。
彼の閉じかけていた瞼が開き、反射で視線を下から前に上げる。
彼の薄い視線には煙の先にある大型の生物らしきシルエットと、自身の近くに立ち尽くして手に持った何かを吟味している赤いローブを着込んだ誰かの姿が見えた。
この瞬間に込み上げていたものが衝動となって少年の眼球を血走らせ、体中の血管を浮き上がらせ、同時にここで体に蓄積されていた痛みや疲労までもを忘れさせる。
遂には少年のぼろぼろの身体を相手まで真っ直ぐに突き動かすにまで至った。
本能に従う野獣のように近付かれたことに相手はこの火災によってギリギリまで気が付かずに掴まれてしまい、振り払おうとするも彼は放そうとしない。
男は面倒に思い、左手首に付けているブレスレットの装飾に触れた。すると少年の後ろの空間に突然ガラスのひび割れのような裂け目が発生し、一帯の空間が砕け散るように穴が空いた。
穴の先は赤い霧が埋め尽くし、先がどうなっているのかも分からない。
男は更に大きく腕を振り、少年を突き放してそこに放り込んだ。しかし男はここで自分が手に持っていたものが消えている事に気が付く。
「ッン!!」
男が再び前を見ると、少年を放すときに力を強くしすぎたために手から離れた何かも少年と一緒に穴の中に入り、その直後に割れた空間は破片が元あった位置に自分から戻っていく形で修復され、元の景色に戻った。
穴の中では、少年が深い穴の奥へと落ちていく感覚を覚え、自分の目の前で一緒に落ちていく小さな宝石に似た物体を見たのを最後に張った糸が切れるように意識を手放した。
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自身の身体に感じるぬくもりに徐々に意識を取り戻していく青年ラン。彼がゆっくりと目を開けると、目線の先には、見慣れない黒い天井があった。
ここが何処かの室内であることを知ったランが次に感触の正体を知ろうと目線を下に向けると、彼の身体に寄りかかって眠っているユリの姿があった。
「ユリ?」
「アッ、起きたの?」
ユリのものとは違う別の人物の声に反応するラン。声が聞こえた方向に首を向けると、そこにいた人物を見てランの顔が一気にしわを寄せたものになった。
「ゲッ!」
時を同じくして、別室の二つ並んだベッドの上に起きた幸助。彼が起きた要因は、自分のすぐ近くで起きている騒がしいナンパの声によるものだった。
「なぁ、また会えたんやし、せっかくの機会からお茶でもいこうや」
「いや、だから遠慮するってさっきから」
隣のベッドにて起き上がった南と、彼女の手を勝手に握って口説きにかかっている大悟。呆気に取られていた幸助だったが、我に返ってまず彼がいることを指摘した。
「大悟! 何でここに……って、ここ何処?」
自分で言っていてまず自分達が今どこにいるのかも分かっていないこと分かった幸助。変なボケを挟む中、大悟は少々面倒くさそうに反応した。
「お~……お目覚めか。おはようさん。俺は南ちゃんに用があるからもうちょっと寝といてええで」
「いや、結構なので」
「そんなけったいな反応せんくても! ほら、軽く一回だけでいいからなぁ!!」
大悟は吸血鬼の世界の時の同じく男には一切目もくれず南にアタックをかけているが、彼女はそれに若干引いているようだった。
起きた怪我人にいきなりにこんな事をされているとなって幸助はすぐに起き上がり大悟を止めようとするが、身体を置き上げかけた瞬間に腹や胸を中心に激痛が走った。
大悟は悶絶の声を上げる幸助に振り返って呆れた態度を取った。
「何しとんねん。お前あばら骨が何本か折れとんねんぞ。早々すぐに起き上がれるわけあるかいな」
「お、折れてんの!? 俺の骨」
自覚のなかった幸助に、大悟は仕方なく南から手を放して説明した。
「あのなぁ、お前吸血鬼の世界でボロボロにやられとったところを、俺がわざわざここまで運んでやったんやぞ。怒るより先に感謝するのが先ってもんやろ」
「いきなりこんな場でナンパしてる奴を見たら、感謝の気持ちだって引っ込むだろ」
幸助のもっともな反論に大悟は面倒くさそうな顔をする。
「あぁ、真面目坊主の言い分はうるさくて敵わんなぁ……お前ホントあれやで。美しい花を見ようとしているときにその間を飛んで邪魔をしてくる……あぁ……ええっと……なんやっけ?」
「知るかぁ!!」
例のごとく中途半端な物言いに思わず突っ込みを入れてしまう幸助。またしても話がグチャグチャになったとき、部屋の外から聞こえてきた声に繋がれた。
「羽虫……」
「あぁ! そうそう羽虫や。教えてくれてありがとうな」
大悟が詰まった部分をスッキリさせて笑顔になりながら声が聞こえた方に顔を向けると、無表情で立っている零名の姿があった。
次の瞬間、零名は目にも止まらぬ動きで大悟の顔面にドロップキックを浴びせ、壁に叩きつけました。
いきなりの攻撃を受けてすぐに起き上がる大悟は、蹴りを仕掛けた零名に怒鳴りつけた。
「いきなり何すんじゃお前!! 南ちゃんと俺の大事な時間を!!」
零名は何も言うことはなく、大悟のことを人手はない別の汚い何かを見下すような姿勢で見ていた。
「何だその目!! 攻めてなんか言えよ!!」
「汚物……」
「汚物ってなんじゃ! まさか俺のことか!!?」
うるさい大悟は放っておき、零名は幸助の方に移動して話しかけてきた。
「怪我……いっぱい……」
「アッ? あぁ、心配ないよ。このくら……イテェ!!」
言葉は威勢良くも身体はそうはいかない幸助。零名は表情こそ変わらないながら横に戻った彼の身体を優しくさすってくれる。
「あ、ありがとう」
ようやく落ち着けた事で、幸助は零名に起きてから気になっていたことを次々質問する。
「その……ここは何処なの?」
「病院」
「いや、そういうことじゃなくて!」
「ここ、雰囲気が吸血鬼の世界と違うんだけど、別の世界なの?」
幸助が言い切れなかった質問の補填を南が口にする。零名は頷いてこのっば吸血鬼の世界とは違う、別の異世界であることを肯定した。
「それじゃあこの世界は……」
「そや、それもそうなんだけど、ラン君とユリさんはどこにいるか知ってる? この部屋の中にはいないみたいなんだけど」
南が指摘したことで幸助は乱とユリがこの部屋にいないことにようやく気が付いた。起きてすぐに大悟に意識を向けていたために二の次になっていたのだろう。
「おお、ランなら別室で寝てるで。ユリちゃんも一緒や。」
「そうか、それなら良かった」
「果たしてそれはどうか? 向こうさん、前の戦闘で無茶したみたいやし」
大悟の返しに二人は息を詰まらせる。大悟の言い分に関する思い辺りは、間違いなく戦闘で見せていたあの姿だ。
「ブルーメとかいう奴と戦っているときのあれ。突然宝石みたいにランの身体が輝いてたけど」
「ラン君のあの姿、二人は何か知ってるの?」
二人が口を開いて問いかけると、大悟が油断も隙もないはやさで南のベッドに座りつつかっこつけた出で立ちで答えた。
「『輝身』やな、やっぱ使ってたかアイツ」
大悟があの場に現われたときには既にランが倒れていたため、彼はあの時どうなっていたのかについては知らない。
しかし幸助達よりラン達と知り合って長い彼にはなんとなく察しがついたようだった。
大悟の言い出した聞き慣れない単語に、当然二人は疑問を抱く。
「ぐりったー? なんだそれ?」
「ユリちゃん達、鉱石の世界の人達が出来る特殊能力。体内に流れている血液に秘められた力を起動させて、下手な怪物を軽く越えた強力な力を引き出せる能力。
覚醒時は身体にそれぞれによって色や形の違う模様が浮き出し、それが宝石のように光り輝くことから『輝身』と呼ばれてる」
概要を聞いた二人。だがここで新たな疑問が浮かんできた。
「ちょっと待てよ。ランは日本人なんだろ? そんな力なんで……もしかして、元々鉱石の世界出身の日本人だったとか?」
「アホか。アイツは鉱石の世界出身ちゃう。特に異世界との交流なんてない、何処かしらん世界の日本の生まれや」
大悟はふと表情が暗くなり、目線を下げながらあまり触れたくないといった様子ながらランのことについて説明する。
「だがアクシデントがあってな。アイツはガキの頃、ボロボロの身体になって鉱石の世界に転移してきた。そんで、たまたまそこにいたユリちゃんの輸血を受けて回復したんや」
「ユリちゃんが!?」
「以来アイツは異世界人でありがなら、とんでもない強さとぶっ飛んだ再生能力を使えるようになった。
もっとも中途半端な精度だから、再生するときも変身が解けた途端にも、身体が内部からズタズタになる激痛に襲われるけどな。耐えてる辺り、ホンマ頭がおかしいで」
幸助は以前に大悟が言っていた台詞の意味が理解できた気がした。
ここまで聞いた二人にとって気になるのは、ここが何処かよりも先に一つあった。
「聞いていいかな? ランのこと」
「ランのことって?」
抽象的な質問に大悟が意図を理解し切れていないような態度を取り、南が幸助に変わって具体的な質問をする。
「ラン君が何者なのか。故郷は何処なのか。僕達はこれまで一緒に旅をしてきたけど、何も知らないか……だから、教えて欲しい!!」
美少女の真剣な眼差しを受けた大悟は、不自然な程にキリッとした顔になってハンサムな声を作った。
「分かった。他の誰でもない南ちゃんの頼みや。答えよう」
「オイッ!」
幸助は自分の時と明らかに違う態度に腹を立てたが、大悟はそれを無視して語り出そうとする。
「まずは故郷のことについてからやな。アイツは……」
「そうそう、アイツの出身地って何処なんだ?」
「ないぞ」
即座に一言で答える大悟。あまりにきっぱりとした一言に二人は困惑してしまう。
「ないってどういう!?」
大悟は一瞬ためらったかのようにも見えたが、中途半端な態度は余計悪いと話すことにした。
「滅んだんや。とっくの昔にな……アイツは、故郷のない男なんや」
二人は大悟の言い分に声を失ってしまった。ここから大悟が簡単に語ったのは、信じられない内容だった。
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