「ネネボア」
可愛い丸みがかった外観のモノコックバス。
〈現実世界〉でも今や珍しい型のレトロなバスも、この異世界ではまだまだ現役で活躍してるようだ。
天井パネルのくっきり出てるねじ頭に、淡い光を放つ室内灯とノスタルジックな車内は今、バスジャック犯によって乗っ取られた。
旅人の心強い味方である路線バス。
今度こそ旅情に浸りたいと考えていた矢先に、不穏を告げる銃声の音がスローテンポだった時の流れをぶち破った。
「し、失礼します……」
か細い声で女性が虎太郎に訊ねた。いや、謝った。
女性の手にはガムテープが握られてある。
バスジャック犯の最初の人質としていいように利用されていたのだ。
後ろ手にした手首にガムテープを巻いた。
更には口と目にもテープを張り付けると、虎太郎の視界は奪われ口を動かすこともできなくなった。
暗い視界で聴覚だけが敏感になる。
車内では「んん……。んー」と乗客の籠った声がにわかに漏れて聞こえる。
虎太郎は片脚を折り曲げると、そのまま顔へ持ち上げた。
男だった時の固い体と違い何とも柔軟である。
自分の膝頭で目隠しされてるテープをこすって器用に剥がしていく。
初めは地道な作業になると思われたが、テープの端の貼りつけが甘かったので難なく膝に貼り移し剥がすことに成功する。
視界を取り戻したので辺りを見回してみた。
終始優しい手つきで言われるままに作業を進めてた女性客は、前列から一人ずつ拘束を終えるとジャック犯の男によって自分も拘束されやがて座席へ突き飛ばされる。
これで拘束されてないのはこの車内では、ドライバーのおっちゃんと犯人の男だけだ。
そう思えば、バスはまた定期的に停留所へ止まった。
そして何も知らない乗客が乗り込んだところで、ピストルで脅して車内へ連れ込み、同じようにガムテープで新規の乗客を縛り上げて抵抗させない。
おかしいな……。
虎太郎は一連の行動に疑問を抱く。
こういうのって大体乗っ取ったバスは回送と化して停留所はすっ飛ばすはず。
なんで乗客を新たに入れるんだ……?
視界が自由になった虎太郎は密かに状況を観察してた。
辰美も同じように拘束されてるはず。抵抗さえしなければ大事には至ってないだろう。
背の高い席の後ろに隠れてる虎太郎は、ジャック犯から見てもやや死角となって目立たない位置だ。
しかし車内最高後部にあるためエンジンルームからの熱気がこもって暑い。
このままじっとしてたら燻製にでもなりそうだ。
虎太郎はじれったくなり自分の脚を見た。
窃盗してた辰美と再会した時に浴びせた『飛び膝蹴り』……。
ペアも言っていた。
――『エアロ様の特技は足技……それは『時に鞭のようにしなり、時に神の鉄槌のように、時に槍のように』敵を打ち滅ぼしたと言います』――
もしもおれがそんなすげー〈勇者〉に『転生』してるのなら、あんな犯人くらい撃退できるかも知れない。
虎太郎は果敢にもジャック犯に挑もうと息を殺した時だ。
がしっと、きつく体を押さえつけられた。
「……っっ?」
謎の腕は背後からだ。
後ろからの不意打ちに虎太郎は恐怖からか反射的に立ち上がってしまう。
「待て」
「……!」
虎太郎のすぐ後ろの席……一番最後尾から女性の威圧的な声がした。
起こしかけた虎太郎の体が再び座席の上に強引に着席させられる。
この体に巻き付けるような腕の正体か――
「何もするな。声を出すな」
かく言う女は声を出してるじゃないか。しかも命令口調で。みんな後ろ手の拘束状態のはずだろう?
犯人の仲間か――
女は高飛車に続ける。
「もう少し動向を見守ろうじゃないか。あのバカ野郎のな……」
――仲間ではなさそうだ。まさか自分でガムテを外したのか?
口や目ならできるかもしれないが、手首を固定してるテープは容易では無いはずだぞ?
女はついでに虎太郎の口のガムテープも剥がしてくれた。
大声を出さない事を条件に口も自由になった。
こうなると「あんたは何者だ?」と、虎太郎はさっそく質問してしまう。
しかし、女からの返事は無かった。
でも助けてもらった恩もあるし名前を教えてもらえないのなら、せめてどんな人なのか一瞥しようと背後を振り返った瞬間だった。
女の前腕部が虎太郎の首を押さえ込んで制した。
「ぐ、ぐええええぇぇ……っ!」
「振り向くな」
そして再び女の命令。
「決して振り返るなよ? いいわね?」
鮮明な殺意を感じた。
耳元で脅して囁く女。
声をひそめて漏らす息がくすぐったい。
女の腕はまるで蛇のようで、無抵抗の虎太郎の首を容赦なく捉えて獰猛な一面を見せる。
「わ、わがっだ……」
血が止まっている。
危うく気持ちよく眠りにつく所だった。
辛うじて約束を誓うと、するりと首から腕が離れて解放してくれた。
助けてくれたり殺そうとしたり、女の行動が読めなくて怖い。
蛇はまたしても虎太郎の耳に唇を近づけ、次は甘い言葉で囁いた――
「わたしは、ネネボア」
「……! ネネ……ボア?」
「数奇な運命で乗り合わせた同胞よ。このわたしと話し相手になってくれる?」
艶めかしくそそのかし、思考を惑わし続ける女はネネボアと名乗った。
軽率な行動を徹底して虎太郎に後悔させたからか、ひどいもので二度と逆らわないでおこうとしっかり調教されている自分がいた。
「じゃあ、あの犯人のプロファイリングごっこといこうか」
謎の女もとい、ネネボアは虎太郎に訊ねた――否、命じた。
バスジャックされてると言うのに暇つぶしとは余裕だな。
「あの男は何者だと思う?」
「……服装から見て、恐らく日本から来た〈現代人〉で間違いないはずだ」
「奴もお前と同じ同胞。〈現実世界〉からの『転生』と見てるか。だが、この世界の文化は〈現実世界〉の水準そのもの。奴の服装だけで『転生』したとは判断できないわ」
『お前と同じ』……?
この女、おれも異世界『転生』してるとなぜわかるんだ――
虎太郎は最大限に警戒を強めて話を続けた。
「あいつの服、土で汚れてる……。つまり着替えることもできず髭も剃れず、何日も経過してるという事だろ? 寝床は土や茂みの上……。あいつが拘束するため車内を人質連れ回してた時、微かに葉っぱの青臭い匂いが汗の匂いと混じってた」
「不潔な男ね」
「仕方ないんだよ。でもあのおっさんは服があるだけまだマシだ。おれなんか丸裸で何も所持してなくて『転生』してた」
「きゃっ。見てみたかったわ」
……。
急に可愛い子ぶりやがる。調子が狂うな。
「……まあ、偶然出会った女の子に運よく助けられたけどな」
「この世界で生き残るには『運の良さ』は絶対であり絶大。……持ってるじゃないか」
「……でなきゃおれも野宿だ」
からかわれたようにも聞こえたが、虎太郎は肩をすくめて返した。
「へー。やるわね」
虎太郎の観察力にネネボアは舌を巻いた。
虎太郎の事は微妙に知られてるのに、女の正体は依然として不鮮明なまま。
この数十分でわかったのは女が『ネネボア』という名前という事。
そして『黒髪』という事も確認できた。
結った髪は毛先につれてこれまた蛇みたいにうねうねとややウェーブしてる。
バスの最後尾の座席は一番見晴らしのいい高い位置にある。
彼女の膝よりも低い位置に虎太郎が座ってるのだが、ネネボアが虎太郎に接近する度に、美しい艶の黒髪が垂れ下がって首筋をくすぐる。
「大方、おれと同じように借金で首が回らなくなって異世界『転生』しちまったんだろ。この国で『労力』となるためにな……」
「それは違う」
今まで感心して聞いてたネネボアが、初めて異論を唱えた。
「『転生』した引き金は、自殺……」
「自殺?」
憶測が飛躍しすぎていて虎太郎は驚いた。
驚いた拍子にうっかり背後を振り返ってしまう所だったが、寸前で体が反応して止まるとゆっくり元の姿勢に戻った。
一瞬恐怖にも似た硬直だった。
ネネボアの調教が確実に遺伝子に刻み込まれてる。
虎太郎の挙動が落ち着くのを見計らうネネボアは大層満足気だ。
「見て、男の足元。靴を履いてないわ」
確かに気づかなかったが、男はペタペタと裸足で犯行に及んでいた。
「ご丁寧に靴を脱いで飛び降り自殺したんじゃないかしら」
「この世界に来てから靴を紛失したとも考えれるだろ? おれだって身ぐるみ一つなかったんだから……」
虎太郎は自分の身に起きた事実と重ねて発言してみたが、靴だけ無いと言うのも不可解と感じていた。
「あなた『転生』する直前、お風呂でも入ってて全裸だった?」
「え……」
ちゃんと服を着て働きもせず朝からゲームしてました。
みなまで言う義理は無いので、シチュエーション全ては伏せさせてもらおう。
虎太郎は首を横に振って無言で返した。
「『転生』は直前の状態のまま異世界に飛ばされる。服を着て無かったから全裸でって事はまずありえない。あなたも特例ってわけじゃない。……たぶん死後、誰かに衣服を脱がされてしまったんじゃないかしら?」
「っっ!」
そんな野蛮で卑劣な事ができるやつは、たった一人しか思い浮かばない。
取り立ての頬白だ。
異世界転生を自発的に起こすために暴力を行使した。
その後おれだけ着衣を奪って丸裸にしたって事じゃねぇかっ!
くそ……この世界で目が覚めた時の、奇天烈な謎が今頃解けたよ!
「性別の変異はあるけど、着衣の変化などの例外はないわ」
そうなんすね……。
「奴は靴を脱いで投身自殺を図った。なのに行き先は『あの世』では無く『異世界』で裸足のまま生活してた……。それが今の奴の近況じゃないかしら」
犯人までネネボアに容赦なく丸裸にされた。
確かにバスの床にも男の土で汚れたゲソコンが残ってるでは無いか。
「いい巡り合わせがあればおれみたいに服を恵んでもらえるのに、何があってバスジャックをするに至ったのか……」
「……ふふふ。その真実を知るにはまず、犯人の『目的』を解明しなきゃね」
もったいぶってネネボアは答え合わせをお預けにした。
すると、密かに会話が続く中でもバスは再び停車する。
窓の外には標識柱しかない簡素な停留所に、到着を待ちわびてた一人の少女が立っている。
バスジャックされてるとはつゆ知らずに金髪の少女は乗り込んだ。
そして、車内は乗っ取られてる事を悟りあっけなく犯人に捕まる。
金髪少女は犯人の仲間なんじゃと思わせるほどクールで、淡々と従って空席に座った。
他の乗客同様にガムテープで拘束。目隠しされてしまう。
狭い車内。
扉は二枚あるが開閉の操作はドライバーにしかできない。
逃げるにしても他の乗客は視界を奪われてるし、脱出さえ試みることができないだろう。
「あの犯人。何も要求する素振りも無いと思わない?」
一連の光景を見届けると、ネネボアが声をひそめて言った。
……確かに不思議だ。
乗っ取ったならドライバーの無線を使って、金や拘留中の仲間の釈放などを要求するはず。
いささかミステリードラマの見すぎかもしれないが、予備知識としてはこんなものだろう。
ネネボアとの会話も終着点が見つからないまま展開を続ける。
「客を乗せる意図が肝になるだろう」
ネネボアはその意図をもう知ってるような言い草だった。
「見知らぬ世界でも生き抜くために、まずはあぶく銭でも要求してもいいはずだ」
うーん。わざわざ客を拘束して行動を大幅に制限。要求もせずにバスをただ走らせてるだけ……。
お金が目的じゃないなら――
「もはや目的も何もない、突発的な犯行?」
「いや」
虎太郎の推理は直ちに却下された。
ネネボアは「目的はある」と推定して、冷静に分析を行う。
「このバスは予定通りに運行し続け、時間通りに乗客を乗せてるが犯人は解放する気が無くまるで……」
ネネボアはそこで一度区切って前置いた。
「……これは、あの犯人と一緒に破滅する仲間を増やしてるようじゃないか?」
「破滅……」
穏やかじゃない分析結果に虎太郎が切迫して呟いた。
はっと、虎太郎はネネボアの発言がヒントになって思い出す。
あの犯人はバスを乗っ取った時に「一緒に地獄へ付き合ってもらうぜ」とほざいていた。
その地獄とは乗っ取った車内で『俺の目的達成まで一緒にこの地獄のような空間にいてもらうぜ?』と勝手に解釈してた。
違う。
地獄とは比喩的な表現では無く、この世ではない世界へ誘おうとしてたんだ――
「じゃあ……目的って死ぬこと?」
虎太郎が閃いた答えに、ネネボアも嬉しそうに口角をきゅっと上げて魅惑的に笑んだ。
「わたしがあの犯人を『自殺』と言った理由につながって来る」
「……どういう意味?」
後ろ目で虎太郎が問うと、ネネボアは「あの男の手首を見て……」と促す。
男の手首にはうっすら一本の傷が付いてる……。
虎太郎はそれがリストカット行為をした傷跡だと察した。
「あれは今回の『転生』と無関係な古い傷だが、奴はこれまでも自決を試みてたと言う事がわかる……」
再度、ネネボアの分析が始まった。
「自決癖があるのよ。それでも生きてたのは彼の覚悟の足りなさか、あるいは第三者によって助けられたから。……年齢は三十代後半と言った所か。決死の投身自殺を図ったがそれでも生きていた奴は、次はこの異世界で楽になろうと考えた」
「って事はやっぱり、このバスの行先は『あの世(地獄)』――」
「ええ。一人じゃ怖いから少しでも多く乗客を――仲間を集めてるんだ。みんなで渡れば怖くない三途の川ってトコね」
「なんとかしないと……!」
「『何もするな』って言ったでしょう?」
焦燥する虎太郎を制御するのはネネボアだった。
虎太郎を動揺したり、誘惑したり、殺そうとしたり、終始振り回されてばかりだ。
犯人の目的がわかっても、彼女は一貫して静観の姿勢を崩さない。
「自暴自棄になって自分を制御できなていない人間が、最も愚かな状態と言える」
一蹴してたしなめられてしまった。
しかし、虎太郎が一人黙々と推理を組み立ててるつもりだったが、実はネネボアによって誘導されてただけじゃないか。
女王が手の平の上で、奴隷を傀儡にして踊らせるのを楽しんでいるように。
蛇は賢さの象徴だ。
ネネボアの場合善悪を区別できる賢さなのか、あるいは彼女も悪だからこそ共感できる悪賢さか。未だ正体がつかめない。
もしも同じ穴のムジナだった場合、もはや事態は予測不能になるだろう――
――「あなた、男でしょ?」
「何いいいいいいいぃ!」
いや、だからなんでこの世界の住人はおれが『男』だと見抜ける?
少しは美少女でいさせてくれよおおおおお!
「……大声出さないの」
「す、すみません……」
あんたがおれにとって一番予測不能だよ。
読んで頂きありがとうございます!
虎太郎に忍び寄る次なる異世界の洗礼はバスジャック……よりもネネボア!?
ジャック犯よりもヤバそうな乗客は虎太郎の味方なのか。
また次回です!