「ダメな兄」
虎太郎が目覚めると病院の天井でもない、同じ地球かもわからない異世界の空の下であった。
取り立てのヤクザに暴行を受け失神してる所を、ヨーロッパまで売り飛ばされてしまったのだろうという線も諦めきれない。
身ぐるみだけ剥いで美少女本体を捨て置くとは外道な!
「はじめまして。わたしはこの魔法の国〈カイン〉のしがない民のペアと申します」
だがそれは、路上で失神していた虎太郎を介抱してくれた、心優しい少女の丁寧な紹介により期待を込めた推理は儚くも打ち砕かれてしまった。
そして明らかになった事実。
この世界は虎太郎の知らない全くの別世界なのだと――
――魔法の国なんて地球には存在しない。
ところで異世界の第一村人であるである吊り目の少女、ペアはの雰囲気は……寂し気だ。
それが最初の印象だった。
セピア色の髪や着衣、ブーツとノスタルジック。古びて色あせた写真でも見てるようだ。
膝下まであるスカートと思われたが、腰に巻いたネイティブ柄のパレオだった。
目を張るのは少女の背中に生えた純白の羽だ。
ふんわり丸みを帯びたキュートな羽根はまさに天の使いではないか!
ペアは虎太郎の体を入念に確かめると嬉々として言った。
「他に異常はないようですね!」
いや異常だらけなのよ。
虎太郎は思わず心の中でツッコむ。
「……一体、何がどうなったんだ」
荒れた食生活までもリセットされてベビーフェイスのようにしっとりと透明感ある肌。
ガサツに整えるだけの色落ちした金髪は短髪にセットされて、肩ほど伸びたボブカットに。
転生って思春期の子供だけでは無く大人にも起きる現象だとは聞いていた。
恐ろしく唐突な現象だ。
これでは千尋谷に突き落とすようなものじゃないか! スマホは? 財布は? 何も所持してないんだぞ? 人間の尊厳である衣類すら剥ぐなんてあんまりだ!
虎太郎は挫けて近くにあった大きな木箱に腰を下ろした。
乱暴に乗り上げても肉付きの良い自分の尻がクッションになってくれた。
「あなたは……」
ペアは首を傾げながら遠慮がちに訊ねた。
「『男』の方、ですよね?」
な、な、な、なんでそうなるっっ! どこからどう見ても女じゃないか!
こっちの自己紹介まだだよね? 一人称も『おれ』なんてまだ行ってないはず。本当になんでわかったんだろう。
自分で見る分では何一つ非の打ちどころがないようだが……。
「あなたは自分のことだから気づいてないのでしょうけど……」
なんだろう?
ペアの答えを聞くまでにじれったく、虎太郎は自身のボディをなめ回すように眺めて何度も探った。
それでも発見できない。
目の届かない部位は窓を鏡にして確かめて見た。顔だって……君に負けじと小顔で整っていると思う。
前世の男時代は死んだ魚の目と言われてきたが、今や澄んだ湖底を覗き込んだようにクリアで紺碧色に生き返っている。
……強いて言うなら脚と二の腕の太さ位か?
「あの……鼻の下を伸ばしながら自分の顔に夢中なので。そのような女性を見た事がありません」
ああ。生理的に同類とは思えなかったって事ね! それはおれにはわからない事だ!
一人で女体化を楽しんでいる不審者は異常者の何者でもないよね。
大正解!
「こちらこそ初めまして。おれは山田虎太郎。二十二歳。職業はニートです」
頭でもぶつけたのか、開き直って虎太郎は自分が男であることを明明と公言する。
その拍子で馬鹿にでもなったのだろうか、ニートを職業だと思い込んでしまっている。
生まれが異世界ならニートの意味は知らない。つまりペアはそれを疑う余地がないという事だ。
すると、足元の石畳に紙が散乱してるのに気づいた。
これは、紙幣か? いち、じゅう、ひゃく、せん……と、ゼロの数を数えると万札であることがわかった。
「あ、いけない!」
遅れて気づいたペアは手早く札を拾い上げた。
どうやら虎太郎がこの世界に飛ばされた拍子に彼女を巻き込んで落下したのだろう。肩掛けのショルダーポーチからもいくつか私物が飛び出してる。
「すまん! 一緒に手伝う!」
まずは金だ。紙幣は風で飛ばされてしまうから一早く拾わなければならない。
この〈カイン〉では紙幣が流通してるようだな。
ヨレヨレな万札にはお馴染みの肖像画が描かれてあるが、西洋人の少女の画だった。
可憐な顔立ちに精悍な面持ちのこの顔……どこかで見た気が――
虎太郎が紙幣を興味深く眺めているとその手からペアが抜き取って回収してしまった。別にネコババなんて考えてないよ!
「どうしたんだこんなに金を……」
虎太郎はペアが回収して握り締めた札束を見て訝しそうに訊ねた。
万札がざっと五十枚ほど。小さな紙袋に入れて折り畳んで持ち歩いているようだが、いささか不審に見えた。人のことを言えるような有様では無いのだが。
余計なお世話だったら謝ろうと思っていると、ペアはぐっと閉ざしていた口を小さく開けた。
「届けに行くんです。……兄の同僚の方に」
このセリフ。虎太郎は何度となく、母が歌う子守歌よりも多く聞いてきたような気がしてた。
かつてコンビニで真面目に働いていた時だ。
社会人としての自覚がまだあったあの頃、おばあさんが同じようなセリフを言って大金を持ち歩いていた。そのシチュエーションに酷似してないだろうか。
虎太郎はもう少し探ってみた。
「なんて言われたの? お兄さんにそれ直接聞いてみた?」
コンビニ店員時代、焦燥するおばあさんに対応した通りに虎太郎はペアに訊ねた。
するとペアは妙な質問を繰り返す虎太郎に一瞬警戒したのだが、是が非でも聞きたそうな虎太郎に気圧されてしまう。
そしてポーチのポケットを漁って一枚の手紙を取り出した。
「これがウチに投函されてたんです……」
初めは虎太郎を納得させるために行動したまでだった。不審な印象は拭えてはいない。
二つ折りになっていた手紙を受け取って開き虎太郎は目を通した。
そこにはこう書かれてあった。
【オレだよオレ! お前の兄だよ! 久しぶりだな。元気か?
ちょっと頼みごとがあるんだけど、会社のお金を間違って使っちゃって上司に指摘されたんだ。
早く返金しないとクビだって! 懲戒免職になるかもしれない。
手持ちですぐ返金できなくて……
悪いが立替えててもらえないか? その分は後で必ず還付されるから安心してくれ!
この手紙が届いて三日後、同僚を出向かせるから五十万ハイム渡してくれ。
場所は都内のアンティークショップ・ゴールドバーグ前だ。
こんなダメな兄を許してくれ――――】
がっっっっつり詐欺じゃねぇかああああああ! え? 異世界でもあるの? 電話の代わりにオレオレレターですか?
ファンタジーの世界って言えば荷馬車や宝物庫を襲う盗賊団じゃないの? なんでこんなに近代的な犯罪に発展してるんだ?
「早く行かないと……」
「行っちゃだめだあああああ!」
ペアの手を引いて虎太郎は阻止した。
「早く返金しないとクビだって……」
「そういう手なんだよ! 考えさせる暇も与えず脅かして金を巻き上げる姑息な野郎たちの手口なんだ!」
おばあさんの時と完全に一致した。
あの時は一千万の札束を抱えてコンビニのATMに向かって振り込もうとしてた。その場で不祥事をやらかしたという家族に連絡させて間一髪のところで食い止めれた。
「兄は、クビにはならないんですか?」
そう。会社を辞めさせられると言えば家族は心配するもの。だからお金で解決しようと動いてしまう。不祥事で悲しむ家族を助けてあげたいと手を差し伸べてしまう。
それが闇の勢力の魔手なんて考えられなくなるんだ。
「当り前だ! 君はお兄さんと一緒に暮らしてないの?」
「ほとんど戻ってきません。会うにも国外なので……」
なるほど。帰宅頻度も少ないことを計画されてたのかもしれない。
「お兄さんにちゃんと連絡してからの方がいいよ。それからでも遅くはない」
異世界の窃盗団にしてはズル賢い。質も非常に悪い。
少しは冷静になったのかペアは落ち着きを取り戻していた。
〈ハイム〉とはこの国の通貨単位か。
万札だけでは無く五千紙幣や千紙幣などあることから虎太郎の世界の流通紙幣と似てると察した。
ゲームとかでは金銀硬貨が主流だからそのイメージだったが、異世界の文化もさまざまだ。
「これ届けるの今日なの?」
「はい……。この手紙に示してるアンティークショップに行くところでした」
そこに飛ばされて来たおれが激突してしまいペアの足を止めてしまったという訳か。
「じゃあ、受け取るやつも現れるんだったら今日行こう!」
勝手な思い付きで申し訳ないがこれも何かの縁だろう。介抱してもらった恩もあるし、この詐欺野郎をとっちめてやらないと腹の虫の居所が悪い。
「ええ?」と不安そうなペアは虎太郎を見入る。
「大丈夫! おれも一緒について行くから!」
一人で行くつもりだったんだから、二人の方がもっと心強いはずだ。
それにこんな近代的な犯罪に慣れてる〈現代人〉が一緒の方がいい。
何よりもペアを一人ではいかせられない!
虎太郎はペアが着せてくれていたボロ布をしっかりと纏った。
汚くて臭いのが玉に瑕だが、現在一文無しの虎太郎にとっては立派な衣類であった。
住めば都。身ぐるみになれば人の尊厳なのだ。
フードを頭からすっぽり被って美少女の姿を隠したら準備は万端。『転生』して初ミッションだ。狼煙を上げてゆこう!
「さあ、詐欺野郎を討伐に行くぞおおおおお!」