#5 西へ
「……スカスカですね」
「わざわざあんな紛争地帯に行こうとするやつもおらんだろうからな」
列車内はガラガラだった。同じ客車に乗客がいないどころか、ほとんど乗客が乗ってる様子がない。話をするには好都合な状況だが。
「その……アルデアル?とはどのような土地なのでしょうか」
「……施設でやらなかったのか?」
「いえ、何もやりませんでしたね」
「洗脳教育にならんものはやらんってことか……」
ロンドはこの日何度目か分からないため息を吐いた。
「アルデアルはもともと我が国の土地ではない。数十年前に隣国のパンノニアから奪い取った土地だ。だから、パンノニア系住民が未だに彼の地域では多い。そして彼らの多くはこの政府――どころかリメイニアという国家による支配を毛嫌いしている」
「なるほど」
「だから、彼らは健気にも我が国に故郷が占領されてから今に至るまで武器を執って戦っている。保衛隊に入隊した人間がまず叩き込まれるのが、彼ら武器を執って我が国に反抗する勢力の中で最大の勢力を誇る『アルデアル独立解放軍』、通称AILFについてだ」
「……えっと、一つ質問してもいいでしょうか」
「なんでもどうぞ」
「あの、なんでそんな場所にわざわざ……」
セプテは首を傾げながらロンドに聞く。それもそうかと思ったロンドは、ゆっくり答えた。
「アルデアルは確かにぶっちゃけた話をすると内戦下にあるといってもいい土地だ。だが、我らが聡明なる指導者閣下はそんな場所に我々を送ることは忍びないと思ったのか、アルデアル地方にほとんど保衛隊の部隊がいない」
「あ……!」
「そういうことだ。ついでに俺が考えたプランについても話をしておこう。リメイニアの西側にある隣国はパンノニアの他に、ヒュジォ……ヒュジョスラビアという国もある。これは知っているか?」
「聞いたことくらいは」
「上等だ。もう一つ、この国は現在すべての国境が閉鎖されているということは?」
「……我が国を滅ぼそうとする外国の陰謀だと習いましたね」
相も変わらない典型的な洗脳教育に、ロンドは苦笑してしまった。
「ま、大方間違ってはいない。実際問題、この国から出ることは手続き上不可能なわけだ」
「それではどうやって……」
「そこで出てくるのがさっき言ったヒュジョスラビアだ。この国は、今内戦の真っただ中だ。リメイニアとの国境地帯がどうなっているかは知らんが、とてもではないがまともに国境検問をしている余裕はないだろうな」
「まさかとは思いますが、その内戦状態にあるヒュジョスラビア?の国境検問を強行突破しようと……?」
「そのまさかだ。しかもヒュジョスラビアで内戦をしている片割れは自由と民主主義とやらを掲げて戦争をしているらしい。つまり、ヒュジョスラビアへと出国し、そのままその自由主義勢力とやらの支配地域まで逃れることさえ出来れば……」
「逃亡大成功、というわけですか」
そういうこと、とロンドが返すとセプテは一瞬悩むような表情を見せた。どうした?とロンドが聞くと、セプテは一瞬逡巡するような表情を見せ、言った。
「でも……私だけが逃げるなんて……」
「………」
ロンドは絶句してしまった。この国の少年少女――といってもロンド自身も人のことを言えた身分ではないのだが――は往々にして自罰的というか、滅私の思想に染まっていることが多い。国への忠誠が何よりも優先されるものとしてずっと教育される状況下では仕方ないとはいえ、壮絶な経験をしたであろうことは想像に難くない彼女ですらこの有様である。
「その考え方はよくない。自覚があるかどうかはともかく、君は被害者だ。あの施設で何があったかを詳しく詮索はしないが、それだけ君には救済される権利がある。それに対して罪悪感を抱いてしまうというのは――間違いなく君のためにならない」
「そうでしょうか……」
「そうだ。それに、俺たちが無事に逃げおおせれば、君が非道な実験を受けていたという事実は間違いなく全世界に報道されることになるだろう。そうなれば今の政権に対するダメージは計り知れない。それで政権が崩壊するまで行くかは分からないが――少なくともこんなクソッたれた状況よりは幾分かマシになるだろう。そうなれば、間接的にこの国の人々を救うことになる」
「……分かりました」
「納得してくれたのならよかった」
頷く彼女を見て、ロンドはほっと安堵の息を吐く。彼女は逃げてしかるべき人間だ、間違いなく。
「あ、もう一つ聞いてもいいでしょうか?」
「なんだ?」
「なんでそんなに、外の国のこととかいろいろ詳しいんでしょうか?お偉いさんというわけもなさそうなのに……」
セプテにまたも質問をぶつけられ、ロンドはどう答えたものかと思慮する。勝手に見てはいけない文書をこっそり見ていましたなんて口が裂けても言えない
「孤児院にいたころの知り合いに博識なやつがいてな。そいつから色々聞いたんだ。それに俺はこう見えても、元は司令部付の将校だ。その時に必要な知識は叩き込まれた」
「なるほど、そのお知り合いの方は……」
「……あまりその話はしたくない。すまないな」
「あ、すみません……」
孤児院で一緒に育った彼女が今どうしているかなんて言うことは、おそらく誰もが知っている。だからこそ、ロンドはその話をするたび――いやその名前を聞くたびに胸に痛みを感じるのだ。
しばし気まずい空気が流れたのち、セプテが目を擦り、小さく欠伸をしたのが聞こえた。
「どうした?」
「なんだか……眠くなってきました……」
「……そういえば、施設が襲撃されてからずっと起きっぱなしだったな」
列車での旅程は長くなる。ここらで睡眠をとっておくのも悪くはないだろう。そう思いながら、ロンドは固い背もたれに身を立てかける。
仲間たちの全滅、吸血鬼だというセプテとの遭遇、そしていきなり(おそらくは)逃げ回る羽目になってしまったという怒涛の一日を振り返る。理不尽と言えば理不尽だが、仲間と一緒に死ななかっただけ温情とみるべきだろう。
そう考えながら、ロンドはゆっくりとその瞳を閉じた。
――――――――――
数日が経ち、もうすぐ停車駅であるレグヒン駅に到着する。車内は快適とは言えなかったが、外よりかは寒くはなく、さらに食料もあらかじめ調達していたのでそこまで困ることはなかった。一つ問題があるとすれば――
「……もう終わるか?」
「……」
静かに首を振るセプテに、ロンドは困り顔を向けることしかできることはない。彼女は再びロンドの血を吸っていた。彼女曰く首から吸うのが一番効率がいいらしいが、さすがに人目に付くなどの話ではないので、膝枕をしている風を装って腕の血管から血を吸わせている。
どうやって血管を判別しているのかと聞くと、意識すると皮膚の裏側にある血管が視えるらしい。それに、動脈と静脈の違いも『色が違うんですよ』と判別できるそうだ。
「……しかし、毎度毎度これをするのは手間がかかるというか……羞恥心がな」
「羞恥心、ですか?」
セプテが首を傾げるのに対してロンドは頷く。1日に2回だけでいいとはいえ、これを毎日のようにやるのは手間がかかる。確かにそれもかなりの問題なのだが、そしてそれ以上に――ロンドも思春期の男子である、ということである。言ってしまえば毎度のように少女に牙を突き立てられて血を吸われるというというのは少々……というかかな刺激が強い。
「何かいい手はないものか……」
『レグヒン、レグヒン駅でございます。停車時間は10分です。発車までしばらくお待ちください』
そうこうしているうちに、列車はレグヒンに到着した。
「少し、外に出てくる。待っててくれるか」
「分かりました」
保衛隊の制服を脱いでから、セプテを一旦列車内に残して外に出る。周りを見回し、保衛隊の兵士らしき人影がいないことを確認してから、駅のホームに存在する売店に向かう。
「アトル通信の新聞を一つ」
「はい、5レウになります」
「銅貨で払っても大丈夫か?」
「ええ、大丈夫です」
国営通信社が発行している新聞を手に取り、会計を済ませる。国営企業の売り物なだけあって、インフレがひどい中でも価格は常に一定だ。中身はプロパガンダだらけの政府礼賛記事だが、今回に限って言えばそれが重要だ。
「すまない、待たせたな」
「いえ、そんなことは……」
万が一にも追手が車内に乗ってこないように、敢えて列車が出発するギリギリのタイミングで車内に素早く戻り、元居た席に座りなおす。
手に取った新聞を広げる。一面に載っていたのは――
『人民保衛隊総司令部が反革命罪の容疑で北部管区司令官ハイス保衛少将ら26名を拘束。北部管区内の医薬品プラント襲撃事件での監督責任及びぞんざいな警備体制を"革命防衛の意思に欠く"と認定』
早速強烈なニュースが飛び込んできたが、正直な話上層部の粛清なんて2ヶ月に1回くらいの頻度であることなのでそこまで気にならない、それよりも重大なのは、『医薬品プラント襲撃事件』の部分だ。恐らくこれがあの襲撃の秘匿名称なのだろう。
さらに記事を読み進める。
『人民保衛隊総司令部は、12月11日に発生したハサラーブ州スチェヤルヴァ県に所在する医薬品プラントが武装勢力に襲撃された事件で、同プラントの警備体制に不備が存在し、また警備隊に所属する保衛隊員が武装勢力に加担していた可能性が存在していたとして、同施設を管轄する北部管区司令官ハイス・デレールフ保衛少将ら司令部要員を拘束したと発表した。人民保衛隊長官イエナ・コーホソフ保衛中将は『保衛隊内部の綱紀粛正を再び徹底すると同時に、敗北主義や分離主義など反革命的思想に陥る隊員が一人たりとも存在しないように検査体制をより強化する』とコメントし、また逃亡中の保衛隊員に関して『国民一人一人の情報協力に期待している』とした。ハイス保衛少将らの裁判は近日中に中央革命裁判所にて行われる予定』
そして、その記事のすぐそばには『情報を求む』として粗い画質の写真が載っていた。恐らく監視カメラが捉えた写真を流用したのであろうそれは――飽きるほど見てきた、ロンド自身のそれだった。
「……いよいよ、本格的に逃げ回る時間が来そうだ」
ロンドがボソッと呟いた声を聞きつけたのか、セプテも新聞を覗き込んできた。しばらくそれを眺め、ロンドの顔写真を見つけるとじっとそれを見つめ、黙りこくってしまった。
そうこうしている間にも、列車は刻一刻と、終着の場所へと向かっているのだった。