#3 正体
「それで、いろいろと聞きたいことがあるんだが、何から聞こうか」
「何なりと」
国道を装甲車で駆けながら、ロンドは隣に座る少女に質問を始めた。封鎖地域であることが幸いしてか、周りを走る車がないどころか、時折視界に入る集落らしき住居群にすら活気を全く感じない。
恐らく人民保衛隊か一般警察か、あるいはその双方から追われる可能性が高い以上、見つかりにくいという観点から誰もいない状態で移動できるのは大きい。
「まず名前だ。君の名前は……?」
「名前はありません。そうですね……『セプタ』とでもお呼びください」
「7?」
数詞で呼んでくれという少女、いやセプタに質問を重ねる。
「……『第007号実験体』、それが私の識別番号です」
「識別……番号……」
いきなり彼女が口にしたそのワードを聞いて、ロンドは状況証拠を鑑みた上で想定していた一つの可能性が正しいことを確信した。今は亡きソコロフが研究員が言っていたという『人体実験をやっている』という言葉、そして『サンプル保管室』にカプセルの中で保管されていたのが彼女だったということ。
要するにあの施設では人体実験で行われており、彼女はその対象だったというわけだ。どのような仕打ちを受けていたのかは考えたくもない。
「……分かった。次の質問だ、なぜ君は俺の血を吸ったんだ?念のため言っておくと、『ご主人だから』みたいな返答は期待していない」
「お腹が空いていたからです」
「……は?」
ちゃんとした返答を得たが、ますます意味が分からなくなった。
「詳しく説明してくれないか。そう言われても全く分からない」
「私の糧は血です。しかし、最近は私はずっとあの中に閉じ込められていました。確かにあそこには血が一杯でしたが、腐っていました。私は生き血でしか生を繋ぐことが出来ないのです。そこに現れたのがあなたでした」
「だから、俺の血を吸ったと?」
ロンドがそう聞くと、彼女は頷いた。……話を聞けば聞くほど、彼女は――
「……単刀直入に聞く、君は――吸血鬼なのか?」
「はい、恐らくは」
吸血鬼。この国には今の人民主義体制が成立する前に、ミハイ朝と呼ばれる王朝による王政の時代が存在した。その始祖と呼ばれるミハイ4世が、反乱を起こした不平貴族や農民、果ては敵国兵を殺し、その生き血を啜ることを嗜好としていたという悍ましい伝説が存在し、彼が本拠としていたリメイニア南部地域には今なおその伝説が語り継がれている。
人の生き血でしか生きられないと言い、そして人ならざる力を行使するこの少女、いやセプタはまるで伝説上の存在である吸血鬼を具現化したような存在である。
「恐らくは?」
「はい。かなり前にですが、私に薬を打っていた白衣を着た人たちが『吸血鬼の完成も近い』というようなことを言っていたので」
「そう……か」
さりげなく薬物投与されていたというカミングアウトをしながら、セプテは淡々と述べる。それを聞いて、ロンドは何も言えなくなった。
保管室でその姿を見たときから、彼女の身上が悲惨なそれであることは何となく予想できた。しかし、いざその現実を突きつけられると、言葉に詰まってしまう。無論、ロンドとて恵まれた生まれではない。生まれた直後に攫われるような形で孤児院に連行され、父母の顔などついぞ見たことはない。――これはこの国の子供たちにとって当たり前のような光景ではあるが――そこでは孤児院長ら大人の職員によって虐待のような扱いを受けたことも数度ではなかった。
「ご主人、どうかしましたか?」
「いや、何でもない。少し考え事をしていただけだ」
「そうですか」
しばし、車内に沈黙が流れる。ただエンジンが唸る音だけが静かに響く時間が流れたのち、沈黙に耐えかねたのかセプテが口を開いた。
「あの……僭越ながら私から質問を申し上げてもいいでしょうか」
「構わない」
「今は、どこに向かっているのでしょうか?」
「街――この州の州都、ピアトラだ」
ロンドは答える。
「さっき、パスポートの話をしたのは覚えているな?」
「はい、無料で列車に乗車できるとのことでしたか」
「そうだ。このあたりで列車の駅が置かれているのは、ピアトラしかない」
「そんなに列車に乗りたいのですか?」
セプテが首をかしげる。さっきまでの戦闘で見せた戦う姿とは打って変わって、こうしている限りでは本当に普通の少女にしか見えない。
「君は自覚しているか分からないか――君は多分、とてもヤバい代物だ。そして、そんなものを生存するために仕方なかったとはいえ施設から持ち出した俺は、多分追われる立場になる。そうなったときに、装甲車みたいな移動手段があればいいけど、なかったらそのまま捕まってしまう可能性がある」
「……はい」
「だから、列車を使ってなるべく追手が来ない場所まで逃げるというわけだ。勿論、君がそんな逃亡生活を送りたくないというなら、安全な場所で君を開放して、俺は一人で逃げるけど――」
「……嫌、です」
「え?」
ロンドがあくまでセプテの意思を尊重するという旨のことを言おうとすると、彼女がそれを遮った。ロンドが驚いて彼女の顔を覗き込むと、「運転に集中してください」と小声で言ってから、彼女は口を開いた。
「あんな……あんな暗い場所にずっと閉じ込められて、薬を打たれたり変な人に体を触られるのはもう嫌です。どうせ、主が私を開放したところで私はまた似たような施設に閉じ込められるだけです。それなら、たとえ逃げ回る生活だったとしても、私は主についていきます」
「分かった。そこまで言うなら、ついてきてもらおう」
「ありがとうございます」
――――――――――
それからしばらくして、人民保衛隊が設置しているのであろう検問が見えてきた。恐らくは封鎖地域の境界を警備している部隊であろう。ここがまず最初に突破しないといけない、文字通りの関門だ。
「検問だ。セプテ、帽子を深く被ってくれ。できれば髪が隠れるように」
「分かりました」
襲撃が起きてから数時間以上経っているとはいえ、その地域的特性から物理的にも通信的にも隔絶されているあの施設の警備隊では通信がこの周辺部での最上級作戦単位である北部管区司令部としか繋がっておらず、さらにその通信形式も1日2回安否確認を行うというものであった。
さらにその安否確認が行われた直後に襲撃が行われ、次の確認はまだ猶予があるはず。封鎖地域から脱出するというだけで不審に思われることは仕方ないにしろ、ここで拘束されることは多分ない。恐らく。
「止まれ!」
こちらを視認した人民保衛隊員が、銃を構え制止する。ロンドは装甲車を次第に減速させ、そして境界線を越えないように停車する。
「無許可での封鎖地域外への脱出は禁止されている」
「私は人民保衛隊中隊指導者のアルネス・ヘルコナー中尉である。今回は極秘任務にために特別に外出許可を出されたのだ。助手席にいる彼女も関係者だ」
「失礼ですが、極秘任務とは?」
「申し訳ないが答えられない。……そうだな、君、手を出してくれ」
拝借した制服の階級章を強調しながら通行許可を出すよう暗に迫るが、隊員は頑なに通そうとしない。どうしたものかと思った際に、制服のポケットをまさぐりそこにあった外国産の高級チョコレートを隊員に握らせる。掌を見た隊員はその価値を瞬時に理解したらしく、あっと驚いた顔をこちらに向ける。持って行けという意図を伝えるために、ロンドは頷いた。
「……分かりました。通行を許可します」
「寛大な措置に感謝する。このことは秘密にすることを約束しておこう」
警備隊長が持っていたものに危機を救われた、と思いながらロンドは装甲車をすぐに発進させる。
「あの、私が帽子被る必要ありましたか?」
「正直ないかもしれん。どうせ俺がセプテを連れ去ったことがお上に知れたら、あそこの検問も調べられるだろうし、そうなれば俺たちがあそこを通ったことはすぐにバレるだろうし」
「……ですよね」
「そうだな。でも、ここを超えると少しずつ交通量――というより人の往来が増えてくる。目撃されるのは少ないことに越したことはない。こっからはちゃんと帽子を付けてくれ」
「分かりました」
ロンドとセプテの逃避行は、まだ始まったばかりである。