#0 邂逅
「こちらポイント1、異常なし。送れ、オーバー」
冬が深まるこの頃の寒さは粗末な軍服しか纏っていないロンド・ハルメンスには堪えた。防寒用として支給された全く温もりが感じられないカイロを握りしめながら、ロンドは白いため息を吐く。屋内でこれだから、屋外の状況は考えたくもない。
リメイニア人民社会共和国ハサラーブ州スチェヤルヴァ県ラダウツ地区。ロンドたちが今警備している場所は、そういう名前がついている。尤も――そんな行政区画は、住む者がいないこの地において、何ら意味をなさないのだが。
「同志ハルメンス准尉、交代の時間だ。戻れ」
「了解」
捧げ銃の構えを取り、ロンドは別の兵士と持ち場を交代する。彼らは軍人ではない。軍隊を信用できないこの国の指導者が作った『人民保衛隊』という名前の軍隊のような何かに所属する兵士である。子供は純粋であり信用できるという意味でなのか――それとも単に指導者の児童性愛を反映してなのか――この軍隊擬きはほとんどの人員がロンドのような成人すらしていない少年少女兵が占めている。
ロンドの本来の肩書は人民保衛隊北部管区司令部付だが、今は緊急任務ということで人もいない極寒の地であるスチェヤルヴァ県にまで出張っている。この場所は戦争の舞台になったわけでも、天災で大地が崩れ去ってしまったわけでも、疫病に覆われたわけでもない。
「ケッ、全く悪趣味な作りをしてるぜ」
警備場所でもある地下施設の外壁を見ながら、ロンドは呟く。彼らが派遣された目的というのはこの建物を警備すること。何の建物なのかと送り出される前に上官を問い詰めたが『准士官ごときに教える筋合いはない』と一蹴された。
待機中に咎められてしまわない程度に周りを観察した結果、何かの研究施設だということだけはわかった。ついでに言うと時々姿を見せる白衣姿の研究者らしき人影や、その会話内容、そして言ってしまえば指導者の私兵である人民保衛隊をわざわざ警備のために送り込んだということから勘案すれば、相当ヤバい研究をやっているのだろうなということも。
しかし、准士官とはいえ一介の雑兵に過ぎないロンドには何を研究してようが関係ないことである。軍事機密に係るようなことで警備に派遣された人間ごと口封じなんてことが起きない限り。
「同志ハルメンス准尉殿、今日もサボりですか?」
「軍曹の口の利き方ではないな、同志ソコロフ」
ロンドの隣にやってきたのはソコロフ・デオリンド軍曹。付き合いはそこまで古くはないが、どこか波長が合うため、階級は違うがこうして時々雑談を交わす仲になっている。話をしてみると出た時期こそ違えど同じ孤児院出身であると分かり、自然と親近感が湧いた。
「で、今日は何の話をしに来たんだ?」
「せっかちですね、同志准尉殿は……いえ、ちょいと盗み聞きしてしまいましてね」
「盗み聞き?盗聴は軍紀で重罪だぞ」
「ご安心を、行き交う研究員の会話に聞き耳を立てただけなので」
両手を広げ、悪事は働いていないアピールをソコロフがする。ロンドはあきれ顔をしながらも、話してみろと促す。
「とはいえ口外はしてもらわないでほしいんですけど」
「安心しろ、俺もこのクソみたいなチクりあい国家に慣れた身だ。もしお前がヤバい軍機を漏れ聞いて俺がそれを上にチクったとしたら、俺も口封じのために保衛公安本部に拉致されて始末されるオチが見えてる」
「それもそうですね。死なばなんとやらってやつですね」
死ぬこと前提の物言いはどうかと思ったが、ロンドはとにかく話を聞いてやることにした。
「こんな隔離地区にある時点で怪しさ満点ですけど、この施設……人体実験をやってるらしいですよ」
「へぇ」
「もうちょいなんかいい反応あるんじゃないですか?」
ロンドの反応を見て、ソコロフが心底がっかりしたような表情を浮かべる。
「お前、俺たちの出自を考えてみな。この国は孤児院から子供をポコポコ引き抜いて即席軍事訓練を施してお手軽兵士、なんてやってる国だ。人体実験の一つや二つ行われててもまっったく驚かないどころかむしろやってなかったらビックリする」
「そう言われれば、それもそうですね」
「そうだろ?」
お互いにハハッと笑ったその刹那――
ジリリリン‼‼
『施設内のすべての職員及び巡回中の警備隊員に告げる。当施設を目標としていると考えられる武装勢力が越境し、地上部隊を攻撃。現在応戦中であるが、当施設内へ武装勢力が侵入する可能性は排除できない。よって第一警戒配備へと警戒レベルを変更する。全職員は施設管理官の指揮統制下で機密書類の処分及び脱出準備を可及的速やかに開始せよ。警備隊員は地下1階連絡口へと集合し、警備責任者の指示を待て』
突然施設内に警報が響き渡り、機械的なアナウンスが響き渡った。
「敵襲!?」
「しかも負け戦みたいだな、とりあえず上に向かうぞ」
ロンドたちがいるのは地下5階。しかもこの施設は下の階に下るにつれ広がるような構造になっており、上へと向かうまでの階段までの距離は遠い。
彼らは駆け出した。
――――――――――
やっとの思いで地下2階までたどり着き、ロンドとソコロフは1階へとつながる階段へ向かっていた。不便なことに、この施設は階段の位置がバラバラであり、エレベータも電源がすでに切られており停止している。なので長い時間をかけて走って移動せざるを得なくなっていた。
同じように集まってきた兵士たちが数名、階段へのドアを開けようとしているのが見える。ロンドたちもそれに追随しようとしたが――
「待て同志ソコロフ、止まれ!」
「えっ!?」
ドアの奥からかすかに響いたカランという音を聞き、ロンドがソコロフを制止する。その寸秒後――
ズドン!
耳を劈く爆発音が響き渡る。投げられた手榴弾が爆発し、そこに集まっていた兵士たちごとドアを吹き飛ばしたのだ。瞬く間に肉塊と化した兵士たちを見てロンドは一瞬戦慄したが、すぐに銃を構える。隣のソコロフもすぐに同じような構えを取っていた。
「不良品の銃でも、非常時にはこんなに頼りになるなんてな」
「そんなこと言ってる場合ですか、来ますよ」
弾がたまに出る棒だの本物の空気(を打ち出す)銃だの言われるほど動作不良がひどいと酷評される国産小銃という名の不正製造銃を握りしめながら、ドアを破り突入してきた侵入者たちに照準を合わせる。
『撃て!!』
合ってるかすら分からないスコープを覗き込み、そこに映る人影を捉えた瞬間に引き金を引く。侵入者たちは数こそ多いが、ほとんどは銃の取り扱い方すらなってない素人のようだった。狭い出入り口を無理やり破って入ってきたからなのか、敵はうまく連携が取れてないようで、慌ててこちらを視認して発砲したせいで射線上に並んでしまい、同士討ちするような有様であった。
「怪我はあるか?」
「鉄帽に一発。脳ミソが少々揺れましたが、大事ありません」
「了解。しかしもう侵入されたのか、想定以上に事態はヤバそうだ」
ロンドは最後の敵が膝から崩れ落ちるのを確認した後、腰につけていたマガジンを取り出し銃に取り付けていたそれと入れ替える。
「どうします」
「やれるだけのことはやるしかない。応援……が来るかどうかは妖しいが、それを願ってここでバリケードを作るぞ」
「分かりました。何を使っても構いませんよね?」
「非常事態だ、何をぶっ壊しても咎める奴はどうせあの世に行ってる」
蟷螂の斧だと分かりつつも、ロンドたちは兵士の職責を全うするべく、迎撃の準備を行った。
――――――――――
結果だけで言えば、警備隊は全滅した。相手をトーシロとは言ったが、それは少年兵がほとんどを占める警備隊側にも言えることであり、出入口を奪取された警備隊は一人、また一人と掃討されていった。
「ハァ……ハァ……」
そんな中で、ロンドはまだ生き残っていた。僥倖というべきか、この地獄のような状況で一発の被弾もしておらず、また武器弾薬や糧食も斃れた同僚から回収したため潤沢とまでは言えないもののまだ耐えられる状況にあった。最下層に当たる地下8階の薄暗い廊下で、彼は壁にもたれ掛かり、息を整えるべく深呼吸をする。
とはいえ、最悪の状況なのには変わりない。階段を手榴弾で吹っ飛ばした上、エレベーターも第一警戒配備になった際にすべて停止しているため時間の猶予は多少あるだろうが、どの道ここにも武装勢力は侵入してくる。籠城……も現実的な選択ではないだろう。
彼のそばにはもう誰もいない。少し前まで談笑していたソコロフも、自分を逃がすために敵に向かっていき、そしてハチの巣にされた。
「……見に行くか、『研究対象』とやらを」
逃げる最中に斃れていた研究員から拝借した物資の中に紛れ込んでいたカードキーを見つめながら、ひとり呟く。どうせどの道助かる可能性はないんだ、冥途の土産に軍機の一つや二つ抱えて死ぬのも悪くない。
ロンドはほとんど真っ暗闇ともいえる中を、装備品のヘッドライトの光だけを頼りに歩く。カードキーに記された『サンプル保管室』は、そう遠くない位置にあった。もはや待つ者もいない扉に、カードキーを差し込む。
ギギギ……という重厚な音とともに、パンドラの箱は開け放たれた。
「うおっ……眩しい」
部屋を開けた途端飛び込んできた眩いばかりの光に、ロンドは目を細める。その光は、広い部屋に鎮座しているカプセルから放たれており、部屋の中を幻想的に照らしていた。
徐々に戻る視界の中で、ロンドはカプセルの中身を確かめようとした。そして完全に視界を取り戻したとき――彼は驚愕の表情とともにソレを視認した。
「……ッ!!」
光を放っているカプセル――というよりも液体の中に囚われていたのは、少女だった。彼女は様々なコードに縛られているように見え、装甲服に身を包んでおり――――そして美しかった。