春-1
「こんなに綺麗に見える所は他にはないよね!?」
はしゃぎながら俺を見ている目はとても純粋なモノに見えた。それは俺自身も彼女を純粋に見ようと決めていたからかもしれない。でも確かに星はそこにあった。
満点の星空の下、二人の笑い声が響いていた。
第二章:春-1
定時速度で走る車の中には二人の男女が乗っていた。初めはぎこちなく話も探り合っていたが、30分も経過すると、昔からの友達の様に話が弾んでいた。街のネオンに照らされた6車線ある道路は、ピークを過ぎ、快適とは言えないが信号以外で停車する事はなかった。
「じゃぁ同僚の人に仕事頼んできたんだ?」
「焼肉っていう犠牲を出してね。」
少しふざけて答えたが、彼女はそんな気分ではなかったようだ。
「そっかぁ・・・何かゴメンね・・。」
「何が?」
俯き加減に苦笑いする彼女に、「何」が何を示すか分かってはいたが聞き返した。この時は返答する言葉が見つからなくて、目的地にたどり着く時間を稼ぐ事で頭が一杯だった。
「三月君にも、同僚の人にも・・・。言ってくれればよかったのに。でも三月君は優しいから言えないよね。」
(買いかぶりすぎだよ。)
フロントガラス越しに真っ直ぐ道路を見ながら、そう言いかけて別の選択肢を選んだ。
「全然いいって。真理だって嫌々じゃないんだし、なんとしても今日会う!って決めてたから、千春ちゃんがそんな事思う事ないよ。それに俺はさ・・。」
「俺は?」
「優しいんだろ?じゃぁその優しさに甘えればいいと思うよ?」
彼女の顔を見て冗談交じりに答える姿は、何言ってんだって思うかもしれないが、俺なりの精一杯のフォローだった。
「じゃぁ優しさに甘えよっかな?」
そう笑顔で答える彼女に思春期の様な胸にキュっとなるような気持ちが生まれた。
「甘えときなさい。今だけ安売りなんだし。」
「じゃぁ今のうちに買いだめしておく!」
二人の笑い声がする車の中。それを見た人達は「今日初めて会った二人」などとは思いもしないだろう。対向車線を走る車や、隣に並ぶ車の目線が気になる。
恋人に見えるかな?
そんな子供みたいな事を考えながら、お互い一定の心の距離を保ち話をした。それから目的地に着くまで話が尽きる事はなかった。初めてのチャット。会社の愚痴。友達の事。チャットという世界から現実の世界に変わった瞬間だった。
表情、動作、声、音、匂い。全ての事が秒単位で変化していく。チャットの世界にはない温もりがそこにはあった。これが会いたいと感じていた答えでもあった。
人間の本能なのか。目的地が近くなるにつれて、その欲求も強くなっていった。
「ここ!まだまだ都会だけど、この辺りでは綺麗に見える方だよね!?」
着いた場所はホテルではなかった。ホテル街からさらに30分走らせた場所にある、[月見の丘]だった。夜景スポットに詳しいものなら誰もが知ってる場所らしい。
車を止めると千春は急ぐようにドアを開けて外に出た。二人で石の階段を登る。この階段が結構きつい。急な坂で50段位はあるだろうか。そんな中彼女はスイスイ階段を登り、あっという間に丘の上に着いていた。
「早く来なよ!」
笑顔で手招きしている彼女を、苦笑いしながら膝を押さえて登った。
「・・・ふぅ。やっと着いた。」
「お疲れ。おじいちゃん。いや、おじいちゃんの方がもっと歩けるかな?」
からかってくる彼女に対して笑顔で答えた。というよりも笑顔しか無理だった。完全に運動不足だ。
「やっぱりカップルだらけだね?」
落ち着いてから少し歩くとカップルしかいなかった。丘の頂上は広めの公園ほどある。座る所はないかと、しばらく歩いていると大胆にキスをしているカップルまでいた。
「うわ・・。すご。」
千春が数秒カップルを見た後、思わず声を出していた。
「俺達もしよっか?」
「バカ!」
思わず笑ってしまった。けれど、冗談でも少しの期待はしていた。それと同時に不安でもあった。いいよって言われたらどうしようか。あるわけない事に対して不安になっている俺は、いつもの自分とは違っている事を痛感した。
ようやく座れる所を見つけると、空を眺めた。満天の星空が頭上に広がっていた。このまま空に吸い込まれてしまう様な感覚。寝そべってみると、その感覚はますます強くなり、世界の広さを感じる。
何分経過したか分からない。星空の虜になっていた。学生時代、ライブハウスで聴いたスリープスの歌のように。
「・・・ここ来るの初めて?」
はっ!として聞き返した。
「・・・なんで?」
体操座りをしながら、話しかけてきた彼女に対して、聞き返すしかなかった。
「ボーっとしてたから。私も初めてきた時はそんな感覚だったから。」
誰と?
心の中で問いかける。現実の俺は空を見ながら話す彼女の言葉を待つ。
「ここって本当にすごいよね。都会にあるなんて思えない位綺麗に見える。ス〜っと体が登って行く感じだよね。一緒に来る人は、皆同じ事言うよ。」
誰と?全員って?男?合計何人と来たの?俺以外にもいるんだ?全員と寝たの?
何も話さないと、考えている事を口に出してしまいそうだ。そして、心が痛くなってくる。踏み入れれない絶対的な壁がそこにはあった。彼女自身が作った壁ではなく、俺自身が作った壁。この先、壊した方がいいのかは分からない。ただ、今は壊してはダメだ。
「・・・初めてだよ。しかも夜景スポット来るのも初めて。」
問いかけたい事の当てつけか、本当の事を話した。
「でもさ、夜景に興味あったのは本当。千春と話してみて、本当にいろんな場所に見にいきたいと思った。だから自分でも地元や、他のスポットを調べたよ。ネットで調べただけだから、正確な場所は知らない。」
千春は黙っていた。千春の反応が怖くて、話を続けた。
「だから最初指を指さした方角で、ココだって分かんなかった。ホテルだと思ったよ。だからショックだった。その後違っていて嬉しかった。一人でそんな事も考えてた。ただ今日は台無しにしたくなかった。」
箇条書きのようなセリフの後、少しの沈黙があった。周りの声が気にならなくなり、千春の音に敏感だった。反応が怖かった。彼女は上を向いたまま、ハッキリ、そしてゆっくり話し始めた。
「行きたかったんだ?」
「会うまでは行きたかった。それもチャットで話している間に分からなくなった。で、今日は行きたくなかった。」
会社を出る際の、林真理の言葉が今の気持ちを決定付けた。大切にしたいと思うからその気持ちが強かった。
「・・・馬鹿だね。」
黙って上を見ていた。そしてこれっきりの覚悟もできていた。
「女の子口説くなら、正直に言ったらダメだって。」
「そうだよなぁ。」
ボソっと呟くと彼女は笑った。
「私は軽い女じゃないし、彼氏としか寝ない。今は彼氏いないから誰とも寝ない。」
続けて彼女は話した。
「チャットで会うのなんか滅多にないし。だから私は三月君と会う時は緊張してた。最初は正直怖かったよ。でも今本当の事聞けて安心した。それにそんな事言われたの初めてだし。嬉しかった。」
知ってか知らずか、彼女は俺の口真似の様に話をしてくれた。
そして一番ほっとしたのは俺だ。否定されるのが怖かったけど、彼女は受け止めてくれた。それはほんの些細な事なんだけど、これから二人の壁が崩れるきっかけでもあったからだ。
「そろそろ帰ろうか?」
「うん。・・・帰ろう。」
目が合うと、照れくさく、丘を降りて車に乗り込んだ。
駅までの道はほとんど話をしなかった。疲れもあるだろうけど、二人の間に新しい空間が生まれていた。話し続けるよりも難しい沈黙という空間。
外を見るとビルの明かりがなくなっていた。人通りも少なくなり、終電に間に合うか否かという時間になった。
「危ないし、家まで送って行こうか?」
この言葉に深い意味はなかった。純粋に送っていこうと思ったから口に出したのだ。
「え、いいよ。悪いし・・。」
彼女は一度俺のほうを見てから、ゆっくりと答えた。その態度で俺は自分が言った言葉の意味を理解した。
「ごめん。そんなつもりなかったから。ただ純粋に送って行こうと思って・・。」
慌てて言い直すと、彼女は少し笑った。
「いいよ。三月君悪い人じゃなさそうだし。」
その言葉に救われた。
「じゃぁ近くまで送っていくよ。」
彼女は、安心した顔で、ありがとう。と一言付け加えた。
「ここでいいよ。」
30分ほど車を走らせるとアパート街に着いた。道路脇に車を止め、ハザートランプを点灯させた。シートベルトを外す動作をしようとすると、彼女は遮るように話しかけてきた。
「・・・またね!」
「・・・うん。またね。」
車のミラー越しに後姿を見ていた。数秒見つめていると、千春は振り返り手を振った。それは、「もう大丈夫だよ。」という合図だと気付くのに、また数秒かかった。アクセルを踏み自宅へと向かった。
高速を使って、家に帰るまでの1時間は、前方を走る車を見ながらひたすら運転に集中した。考えたい事は沢山あったけれど、今は考える事を止めた。運転に集中できなくなる。それだけ多くの事を約3時間の時間で体験したからだ。
家に帰ると携帯電話にメールが来ている事に気づいた。
(・・・千春か?)
電気をつけて、布団に寝転がりながらメールを見た。
宛先:林真理
本文:今日は女の子と泊まるのかな?(笑)仕事終わったよ。焼肉忘れないでね^^
メールに返信はしなかった。面倒くさいのもあったが、疲れていた。そして着替えもしないで布団に寝転がっていると、段々意識がなくなってきた。意識がなくなる直前に一つだけ気づいた事があった。初めてプライベートで連絡をしてきた事だ。
その時はそれ以上に深く考える事はなかった。ふと、感じただけだ。その言葉通り、次の瞬間にはメールの事は忘れていた。千春の笑顔を思い浮かべ眠りに入った。
春-2では林真理に目を向けていこうと思います。