こいのぼり
あたしたちは喧嘩をした。今度ばかりは引かないからね!@短編102
喧嘩した。
くだらない事が原因だった。
靴下を床に落としたままにするなとか、食べ終えた皿を流しに置けとか。
いつもの喧嘩で、そのうちどちらかが謝って終わる、でもその日はそうはならなかった。
折れ時だと思っても、分かっていても、そうだ、この時不意に気が付いたのだ。
最近謝ってたのは、悪くないけどまあ謝っとけって、折れてたのはこっちばかりだった。
そう思ったら意地になった。
今まで言わなかった、言ってはいけない言葉が、口から溢れて止まらなくなった。
そしたらそれが着火、そして発火、さらに炎上。
燃えて、燃えて。
以前のこと、それよりも前のこと、どんどん掘り下げ、突き捲り、もうこれ以上ほじくり出せない所まで来ても止まらず。
そのうち予想疑問妄想捏造、物凄い熱量で言い合いって。
何でこんなに言い合っているんだろう。
こんな事思っていたんだな、こっちもむこうも。
こんなに、こんなに・・・こんなに、言いたい事、文句、不満、憤り、泣きたくなるような、胸の痛み。
それをずっと蓋して、見ないふりして、我慢して、疑問不安を聞きたくてもいい人でいたくて、話のわかる人でいたくて、格好つけて、布団の中で、部屋で一人で泣いて。
ああ、今は泣くもんか。
泣いたら負けだ、泣き落としとかするものか。
可愛くなかろうが、女らしくなかろうが、こうなったら、こうなったら、こうなったら・・
全部聞いて、全部吐かせて、不満も隠し事も本音も何もかもゲロらせる。
そして、もう、もうね、もうここまで来たらね、もう無理。
もう無理、注いでいた不満や欺瞞がコップから溢れ、帳面表力いや表面張力が決壊して垂れ流れる。
帳面・・・テーブルの手帳には女の子の名前、日にちに時刻、そして場所。
名前はあたしの友人の名だった。
その日、こっそりと行った。
そしたら二人で仲良さげに話していた。
ああー・・・
最近デートなんてしてなかった。お互い忙しいとか言ってたし。こっちは実際忙しかったし。
さあ、言え。
あの子の事を、隠していたあの子の事を言え。
許さないけど理解はする。
あたしは言葉の『穴熊』でむこうを追い込み、責っ付く。言え。
そして、あたしに三行半を突きつけろ。
さあ、お膳立ては済んだ。
彼が口を開けた。彼の発する言葉を、耳に全神経を集中させ、覚悟を決める。
聞いたらあたしが用意していた決別の言葉、それで全てが終わるのだ。
我慢した。
言ったらもう、全部おしまい。
こっちとむこうの、あまい・あいまい・・あ・・まあいい、まあいい。もういい。
夜遅い帰りで不安だった、疑った。でも聞かなかった。
話がわかる奴でいたかった。物分かりがいいやつ、でもそれって都合のいい奴。
女友達と恋バナしてたとき、誰かが都合のいい子になっていて。
それは違う、それは良くないって彼女に言ったくせに、自分がなるとか。
だから、あたしは、泣かない。
こんな奴の為に泣くもんか。
もっと良い人を見つけるんだ。こんな影でコソコソする卑怯者なんかこっちから願い下げしてやる。
そして声が耳に・・
「ああー、バレてたか」
そして笑ったのだ。
カバンから何かを出して、あたしに見せる。ビロードのリングケースだ。
あたしは・・ピンと来た。
2ヶ月前だったか・・友人が指輪を見に行くから付いて来てと言った。
あたしも冷やかしで指輪をいくつか選び、はめた。
サイズを調べて欲しいとか頼んだのだろう。そして、あたしが気に入ったリングも教えるために一緒に出掛けたのだ。
「このピンクトルマリンが気に入ってたんだってな。ふうん、可愛い色とデザインだから」
「笑った?」
「うん」
こいつ・・・
そしたらにかっと笑った。
「こういう可愛いの、お前好きだもんな」
そして左手を取り、薬指にはめる。
「でも結構お前言ってくれるなぁ。相当不満が溜まっているようだ。俺も反省する。ごめんな?」
ギュッと抱きしめられたら、あれれぇ?今までの怒りも覚悟もさーーーっと四散。
何か憑き物が付いていたような怒りは何処に行ってしまった?
でも久しぶりのハグに、彼の匂いに、なんだかほっこりとして・・その後むちゃくちゃ、んがんぐ。
次の休みにホームセンターで鯉のぼりを買って。
今ベランダで、小さな鯉のぼりの親子が風に靡いて泳いでいる。
彼の実家では12メートルほどの太い竹を用意し、でっかい鯉のぼりを設置するそうだ。
「そろそろうちでも出したと思うから、一緒に見に行かないか?」
膝枕に寝そべりながら饅頭を食べ、にかっと笑う。
会話も足りなかったが、あたしも甘やかしてあげてなかった。
余所の女に目移りしないように、アメを与えるのも大事と気付いた。
耳かきをしているうちに寝ちゃったから、そっとラグを手繰り寄せて掛けてあげる。
こー・・といびきをかく彼と、これからも鯉のぼりを飾りたい。
そして、あたしたちの子供もいつか誰かとこうして鯉のぼりを飾るのかな。
あたしの親も、兄夫婦と飾ったと言ってた。
この鯉のぼりは曾祖父さんが持っていたもので、今ではクラシックなデザインがかっこいい。
こんなふうに・・代々続いていくんだ。
あたしと膝でいびきをかくこいつと、歴史というか、縁が繋がっていく。
あの時喧嘩して思っていた事を全部吐き出して、そして誤解だった事も判って、本当に良かった。
別れなくて良かった。
大好き
そっと声にしてみた。
心で思うだけよりも、声にして、それを聞くと・・胸熱ですな!
「俺も好きーーー」
聞かれてた!
ごろりとこいつは寝返り、顔をあたしのお腹に押しつけ、おしりを撫でられた。
あたしを引き寄せ、よっこいせとばかり、ふたりごろんと寝転んで。
彼の肩越しにベランダの鯉のぼりが泳ぐのが見えた、のは一瞬。彼に覆い被され、見えなくなって・・
その後も言いたい事は7割は言うようにした。
『あまり追いつめちゃダメだぞ、弟は少しへなちょこだから』と、彼の姉さんに言われたので。
こらー、お姉さんに相談したなー?
少しは気をつけるようになった彼に免じ、あたしも言われた欠点に気をつけまーーす。
最近転生物が多いので、現代のお話にした。
恋のぼり。ふふふ。