レベルアップボタン
気分も足取りも軽やかに町はずれの教会を目指していると、
『あれってパンドラじゃないですか?』
女神が声に出す。
見ると前方にひときわ背の高いごつい女が歩いていた。
相変わらず面積の小さいビキニのような鎧を着ている。
そして隣にはキャットともう一人男もいた。
この先には教会しかないはずだからあいつらも教会に向かっているのだろうか。
俺は前の三人を追い越して教会にたどり着くと敷地内の裏手に回った。
「おっ、これかお前の言ってた井戸って?」
『まあ、そうです』
俺の目の前にあったのはなんの変哲もない井戸。
俺は井戸の中を覗いてみた。
水がたっぷりと入っている。
「おい、どこにボタンなんかあるんだ? 見えないぞ」
『井戸の底にありますよ』
「底かよっ」
潜らないと駄目そうだな。
不法侵入だから誰かにみつからないうちに入らないと……。
俺は滑車にかかっていたロープに掴まると少しずつ井戸の中に下りていった。
「冷てっ!」
井戸の中に俺の声が響く。
靴の中に水が入ってきたので思わず声が出てしまった。
くそ……めちゃくちゃ冷たいじゃねぇか。なんだこの水、氷水みたいに冷たいぞ。
俺は既に肩まで井戸の水に浸かっていた。
これで井戸の底にボタンがなかったらぶっ飛ばしてやるからな、くそ女神。
「はぁーっ」と大きく息を吸い込むと俺はどぷんと水中に潜った。
水の音しか聞こえなくなる。
それにしても冷てー。心臓がぎゅっと縮まる感じがする……これじゃ息がそう長くは持ちそうにないぞ。
そんなことを考えながらも井戸の底目指して必死に水をかいていく。
水をかくこと約十秒。
ん?
井戸の底が見えてきた。と同時にクイズ番組の早押しボタンのような赤いボタンが井戸の底にあるのをみつけた。
俺はそれを拾い上げようとする。が……底に張り付いていて動かない。
んだこれっ。
やべっ、そろそろ息が限界に近いぞ。
氷水のような冷たさの水のせいでいつもより息が続かない。
おい、女神っ。ボタンがとれないぞっ。
『横にスライドさせるように動かせばとれますよ』
スライドっ?
女神の言う通りにぐいっと横にずらしながら引くと今度は簡単に外れた。
やった!
でも息が苦しいっ!
俺はボタンを片手に持ちながら水面に向かって必死にもがき進む。
そして、
「ぶはぁーっ……はぁっ、はぁっ……」
なんとか二度目の溺死は免れることが出来た。
かじかんだ手でロープを握りよじ登っていく。
ボタンが邪魔だ。
井戸の縁に手と足をかけ最後の力を振り絞ってどうにか井戸から出ることに成功した。
運がいいことにその様子を誰にも見られることはなかった。
びしょびしょの恰好で教会の表に回ろうとするとそこにはパンドラとキャットと知らない男がいて、マリアを引き連れて出ていくところだった。
『パンドラたち、新しい仲間をみつけたようですね』
「はぁ、はぁ。そうみたいだな……」
四人がいなくなるのを待ってから、俺は背の高い草が生い茂った荒れ地に足を踏み入れると着ていた服と靴を脱いで絞った。
「ふぅ……」
『ナナオさんは裸でいることが好きなのですか?』
「そんなわけないだろ。濡れたままでいたら風邪ひくから仕方なく脱いだんだよ。お前は目閉じてろ」
草を踏みつけ座る場所を確保すると俺はそこにあぐらをかいて座りボタンを手に取った。
「このボタンを押すとレベルが1上がるんだったな」
『そうですけど』
「ふふふ、なるほどなるほど。それなら……こうしてやるっ」
俺はボタンを連打した。
連打しまくってやった。
『あ~、そんなに押したらゲームバランスがおかしなことになってしまいます』
「知るかっ。この世界はもとからおかしいんだよ」
俺は親の仇のようにボタンを一心不乱に連打し続けた。
腱鞘炎になることもいとわず必死に押して押して押しまくった。
『ナナオさんっ……』
女神が何か言っているがボタンを押すことに集中しきっている俺にはもう何も聞こえない。
俺はRPGゲームをする時はボス戦の前にこれでもかというくらいレベルを上げてから挑む。
昔からそういう性格なのだ。
だから俺はボタンを体力の続く限り押し続けた。
すると、
バキッ!
ボタンが突然壊れた。
「はぁ、はぁ。どうなったんだ……?」
『ナナオさんが壊したのですよ』
「はぁ、そんな……」
まだ押したかったのに……。
『ナナオさんにはどうせもう必要ありませんでしたよ』
呆れたように言う。
「どういうことだ……?」
『はぁ~あ、も~……』
女神はため息を一つもらすとこう言った。
『ナナオさんはとっくにこの世界の限界レベルであるレベル999に到達してしまっています』
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