(5)めんぼくない……
朝一番でスズムシ薬局の戸を開けたのは、アリシアの大好きなマサキだった。
「おはよう、アリシアちゃん。昨日はありがとね」
「マサキさん! あの、わっぷ、おはようございます!」
カウンターから慌てて出てこようとしてあちこちにつまずく。その様子をマサキは可笑しそうに見つめていた。
「昨日もらった薬がよく効いてさ。買いたいなと思って来ちゃった」
「それはよかったです。父が聞いたら喜びます」
にこりと笑ったアリシアは、続けて酒酔い関連の薬を説明していった。
「これは『ノムマーエ』。水薬で、お酒を飲む前に服用すると、悪酔いを防いでくれます。ちょっと苦いんですけど、少量をクッといってもらえれば大丈夫です。容器を持って来てくれれば、量り売りします」
薬の名前は生みの親であるアリシアの父がつけた。テキトーすぎるだろというツッコミはこの薬が命名された瞬間すでになされているので安心してほしい。
「隣のふわふわのヒツジ亭にも卸しているんで、夜間はそちらをどうぞ」
アリシアの説明にマサキはふむふむと相づちをうつ。いつも自分の店で幸せそうに飯を食ってる姿しか知らなかったが、商品を前にすらすらと説明をする姿は新鮮だった。小さいのにすごいもんだ、とマサキは感心した。
「こっちの薬が『ノンダート』。二日酔いを抑える薬です。マサキさん昨日にお渡ししたのがこれです。粉薬と丸薬があるので飲みやすい方をどうぞ。服用は食前がいいですね」
「なんだかスゴいなぁ」
くるりと店全体を見まして呟いた。
「ただし、これらはあくまで症状を軽くするものです。効能は個人差もありますし、これを飲めば絶対大丈夫という訳じゃありません。お酒の飲み過ぎには注意して下さいね」
「ふふ、分かったよ。でもこの薬があったら、今まで断ってた酒も飲めるようになるかな。店に来てくれるお客さんが『うちにも来てよ』って誘われるんだけど、お酒がメインのとこが多くてさ。今まで行けてなかったんだ」
アリシアはマサキの店にいた美女二人組を思い出した。ボイーンでバイーンなお姉さん達だ。あの人たち「ああん、うちの店にも来てねぇん、あはん」とか言ってなかっただろうか。ま、まさか、マサキは綺麗なお姉さんと一緒にお酒を呑むような店に行くんだろうか。アリシアはさーっと血の気が引いた。
「お酒は飲めた方がいいんだけどね。こればっかりは体質だからしょうがないよ」
アリシアの頭の中はすでに、美女を侍らせるマサキの姿を想像していた。ボイーンなお姉さんが両脇からマサキにすり寄っている。さらにパッと映像が切り替わった。酔い潰れたマサキ。どう猛な目をしたお姉さんたちがマサキの洋服をひん剥いている。やばい。マサキが食われる。
「あの、この前の美人なお姉さんたちがいるお店、とかですか?」
極力明るく、なんでもない風に装うもヒクヒクと口の端がひきつる。その様子を見たマサキは片眉をひょいとあげて、面白そうににやりと笑った。
「気になる? んじゃ、ひとまずこっちの粉薬をひとつ頂こうかな。ノムマーエは機会があったら寄らせてもらうよ」
「はい、ありがとうございます……」
はぐらかされた。なぜだろう、マサキの役に立ったハズなのに。父レシピの薬が評価されたハズなのに、この余計なことしちまった感。 わざわざ綺麗なお姉さんのもとにマサキを送り込むなんて、猛獣の檻にウサギを放つようなもんだ。
「マサキさん、酔い潰れるまで飲んじゃダメですよ! 」
鼻息を荒くして叫ぶアリシア。「ほんとそうだね」とマサキは笑いながら同調したが、おそらくアリシアの思いは伝わっていないだろう。
◇
「ううっぷ……アリシアちゃんよぉ、いるかい……」
もうすぐ昼になろうかとする頃。これまたひどい二日酔い客が来た。ジンと同じにように、例のアレを頼みに来た昔からのお客さんだ。痩せた人の良さそうなおじさんが顔を真っ青にして戸にもたれかかっている。ちょっと突つくとおろろろろぉっとやってしまいそうな勢いだ。これはスズムシ薬局の看板薬、『ノンダート』でも効果は見込めないだろう。
「ロンさん、酒くさい。昨日は何時まで飲んだんですか。まったくもう」
「めんぼくない……」
酒が大好きでおおらかなジンに比べて、ロンと呼ばれたおじさんはしっかりした御仁だった。そんな彼がここまで具合悪そうなのは珍しい。仕方がないなぁと、アリシアは準備をはじめた。といっても引き出しのマラカスを取り出すだけだ。ロンを椅子に進め、手慣らしにマラカスをしゃんしゃんと振ってみる。うん、悪くない。
この時アリシアは抜かっていた。マサキのことがあったせいなのか、いつもなら鍵をかける店の戸を、開けたままにしていたのだ。
かしゃ、かしゃ。
マラカスが不器用に響き、悪魔召喚でもしていそうな禍々しさを放ちながらアリシアは踊る。もちろん、素晴らしいくらいにハツラツとした笑顔だ。そうじゃないと効果はない。幸い、ロンはそれどころじゃないくらいグロッキーなので、いつもなら聞こえてくる堪え笑いがない。下手だけど、アリシアは踊るのは好きだ。笑われないのを良いことに、少々のアレンジを加えながら踊った。鼻唄も混じってかなりご機嫌だった。要所要所でキメ顔を入れるのは正直やめてほしい。
フィニッシュにマラカスを持った両手をかしゃりと天にあげた時だった。サイドから視線を感じた。目の前にいるロンは淡い光に絶賛包まれ中なので、彼ではない。しかし、確実に誰かからみられている。ドアは閉まっているはずなのになぜ……。そこでアリシアは自分が鍵を閉め忘れたことを思い出した。
(やばい!)
ぎぎぎ、と軋む音を出しながらアリシアは扉の方に顔を向けた。誰かいる。そこにいる人を目に止めた瞬間、アリシアは膝から崩れ、床に座り込んだ。
(おぉ……神よ……)
そこにいたのは、目をキラッキラに輝かせたエドワードだった。いつものようにフードは被っているものの、その麗しいご尊顔はよく見えていて、ぱあーっと神々しいほどの笑顔がそこにあった。無いはずの尻尾がブンブン回転しているのが見える。
「アリシア殿、すごい……!」
アリシアの乙女心が、粉塵をあげ崩れていった瞬間だった。
◇
エドワードは大層興奮した様子で、先程のアリシアの勇姿を褒めちぎっている。面倒な匂いを嗅ぎ取ったロンはアリシアの手にそっと金を握らせると風のように去っていく。
(見られた……最悪だ……)
これでもアリシアは花も恥じらう年頃の女の子。自身のヘンテコな踊りを顔を知った相手に見られるなんて、羞恥以外の何物でもなかった。アリシアは顔を青くしながらエドワードを外へ押しやり、そして静かに扉を閉めた。
ぱたん……
だがすぐさま開けられた。
茫然と見上げるとエドワードのキラッキラの笑顔がアリシアを覗き込む。
「アリシア殿は魔法が使えるんですね!」
悪気はないのだろう。しかしその無邪気さに腹が立った。自分の過失とはいえ乙女の秘密を知られ、あまつさえ興味津々に首を突っ込もうとしている。
「…………にして」
「え、なんですか?」
「秘密にして。絶対に誰にも言わないで!」
「それは、かまいませんが、」
なぜそう言われるのか不思議だと言わんばかりのエドワードに、アリシアの中の何かがキレた。プッチンだ。怒りや悲しみ、恋心や葛藤などいろんな感情が爆発し、そこから何をどうしたのか、アリシアは気付けば金を握りしめて街中を走っていた。それは妙なフォームで。動作が大きいわりに全然前に進んでいないその姿を見た通行人はそっと口元を隠した。
「うわーん、マサキさんの店でやけ食いしてやるー!」
まさしく自暴自棄である。それでもマサキに貢ぐことは忘れない。単にお腹が減っているのもあるだろうが、今はマサキの笑顔に癒されたかった。あのアルカイックスマイルで現実を忘れさせてほしかった。あわよくば相思相愛になってめくるめく官能の日々を——
「アリシア殿、待って! 詳しく話を聞かせて!」
せっかく現実逃避していたのに、エドワードが声をかけたせいでまた腹が立ってきた。どったんばったん走る彼女を追いかけるエドワード。さっきのアリシアの魔法がどうやら琴線に引っ掛かったらしい。「着いてこないでー!」という彼女の絶叫が、街に響いていったのだった。
こうしてアリシアは片想いしているマサキと、いきなり現れた出処が怪しいエドワードとの間に色々やらかすことになる。長期連載の少女漫画並に波乱万丈は展開の末、アリシアは一人の男と結ばれるのだが……ここでは割愛しよう。
なぜならこれはコメディである。
本格的なラブストーリーがここで開幕してもらっても困るのだ。しかるべき方が筆をとってこそ盛り上がることだろう。
「いやぁああ、マサキさーーん!」
「アリシア殿、走る姿も興味深いですね」
「おまかせ定食とスマイルお願いしまーーす!」
さあ、三角関係の土台は整った。
我らがアリシアに幸あれ!