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(4)ただのエドワードです

 さあ帰ろう、と立ち上がったところで誰かに腕を掴まれた。アリシアはひっ、と息をのむ。突然の事でうまく言葉が出ない。辺りは暗く、いくら治安が良い方だとしても、女ひとりウロウロするのはさすがに危ない。酔っ払い、ナンパ野郎、客引き、たかりに強請(ゆす)り。この街には夜になるとそんな輩がうようよ湧く。


(どうしよう、どうしよう! 怖い!)


 アリシアは青ざめた。さっきまでのいい気分が台無しだ。大声を出せば、店の中のマサキが気付いてくれるかもしれない。だけど恐怖のためか、口はピタリとくっついて、どうやっても声が出せそうに無かった。


 せめて相手をば確認! と振り向いて、腕をつかまれた方に目をやると、そいつは背の高い男の様だった。周りに他の人間がいないからきっと一人だ。フードを目深にかぶっているので顔が分からない。声にならない恐怖が全身にめぐり、アリシアの瞳には涙が浮かんだ。カタカタと足が震え出した。しかしそこでふわりといい匂いがした。どこかで嗅いだ覚えがある。香水の甘い、匂い。


(あれ、この匂いって……)


「こんな暗くに、女性ひとりで出歩くのは危ないですよ。スズムシ薬局の方でしょう? 店までお送りします」


 アリシアの頭の上から声が降って来た。思いのほか優しい声音だ。アリシアはようやくこの男が、以前店に来たことがあるあのフード男だと分かった。でも分かったところで目的が見えない。アリシアを危ない目に合わせようとするのだったら警戒を解くわけにはいかない。アリシアはくっと唇を噛んだ。


 フードの男はアリシアが小さく震えているのに気付いた。目に涙をたくさん溜めている。男はしまった、と思った。


「あ、あ、あの、すみませんっ。もしかして怖がらせましたか? 」


 男は慌ててフードを取り去った。髪が揺れ、また甘い匂いがふわりと香る。そして即座に地面に膝をつけ、アリシアを下から伺う様に身をかがめた。掴んでいた腕を離して、今度は柔らかく手を握ってみた。敵意は何も無いと言わんばかりだ。


 太陽の代わりに空に出てきた月が、その男の風貌を淡く照らし出した。サラリとした髪、彫刻の様な整った目鼻立ち、長いまつ毛の下から覗く、不安げに揺れる瞳。夜なので髪も瞳も色は分からない。だけどその造形だけでもキレイな人だなと思った。


 その人はへにゃりと眉を下げた。


「知らない男が急に話しかけたら怖いですよね。申し訳ない」


 男はシュンと肩を落とした。まるで叱られた大きな犬のようだ。犬耳と尻尾が見える気がする。相手の顔が見えると不思議と恐怖が遠のいていった。自分を落ち着かせる為に、アリシアは二、三度深く呼吸をする。目元に溜まった涙をこしこしと拭って、恐る恐る男に声をかけた。


「……あの、最近よくお店に来てくれる方ですよね?」


 うつむいていた男は顔をすっと上げ、途端にぱあっと表情を明るくした。


「あ、そう、そうです! エドワードと言います。ただの、エドワードです!」


 ただのエドワードとはなんぞ、と思いもしたが、本人がそう言っているのだから深くは突っ込むまい。男はゆっくり立ち上がり、アリシアは向き直った。手は握ったままだ。怖がらせないように、ビックリさせないように、優しく穏やかに言葉を紡いだ。


「……店まで送らせてください。女性が夜道をひとりで歩くのは、心配です」



 ◇



 ただのエドワードと名乗った男とアリシアは、連なっててくてくと夜道を歩いていた。月も出ているから暗がりでも辺りは見える。冷たい風が吹き抜けた。


「あの、エドワードさん。送ってくれてありがとうございます。でもどうして……?」


 アリシアはまだ警戒心を解いてはいない。距離を取り、相手の様子をチラチラと伺っている。エドワードはまたフードをかぶり直していた。アリシアはちょっと勿体ないなとか思ってたりする。


「実は『ふわふわのヒツジ亭』に部屋を取っているのですが、さっき日が暮れそうなのに貴女が慌てた様子で店を飛び出していったのが見えて。その、心配で様子を見てたんです」


 照れたように首を傾げてぽりぽりと頭をかいた。


「……そうデスカ」


 え、なんかそれって怖くね? 怖くね? と心の中で必死に突っ込んだ。互いによく知っている者同士なら分かる。しかしアリシアとエドワードは店主と買い物客以上の関わりはない。よく知らない人からグイグイこられても困る。


(こいつチョロそうだから手篭めにしようとか。店についたら押し入って金目のモノ奪っちゃおうとか。脅して言うこと聞かせようとか。最悪はそんな感じなのかな。うん、送ってくれるのはありがたいけど、油断しちゃダメだ)


 それ以降ふたりとも喋らなかった。互いに緊張しているようだった。アリシアの一歩後ろを歩くエドワードは、側から見るとお嬢様を守ろうとする護衛のようだ。もちろんアリシアはお嬢様なんて柄じゃない。ただの平民、町娘だ。何か話題を振った方がいいんだろうか、そこまでしなくていいかな。アリシアがそんな事を悶々と考えているうちに、何事もなく店の前についた。エドワードの登場時は肝を冷やしたし、動機を聞いてもちょっと怖かった。でも道中特に何をするでもなく、店の前まで送ってくれた。紳士というか、本当にタダの親切な人なのかもしれない。


「では」と言って別れようとするエドワードを引き止めた。送ってくれたお礼を渡したいと言って、店の中から小さな包みを持ってくる。


「……今夜はありがとうございました。これよかったらもらって下さい。試作中のクッキーなんですけど」

「もらって、いいんですか? 」


 声音に驚きと喜びが孕んでいた。フードで隠れているので表情はよく見ない。しかしあるはずのない尻尾は嬉しさのあまりばたばたと振れている気がする。


「……はい、美味しくないかもシレマセン」

「お気持ちだけでもとても嬉しいです。ありがとうございます。大事に食べます」


 そう言うとエドワードは宝物のように包みを受け取った。本当に嬉しそうだ。アリシアは心臓がドキリと鳴った。——しかしこれはトキメキとかそんなものではない。主に罪悪感でだ。エドワードに渡したクッキー、あれは薬草を練りこんだ実験品で、味は正真正銘クソ不味い。雨の日の便所のような匂いがして、えぐみ苦みが凄まじい。それらをごまかそうと砂糖やらスパイスを多めに入れている。どうポジティブに受け取っても美味しくない。


 不味いと分かってて、エドワードに差し出したのだ。アリシアなりの意趣返しのつもりだった。登場が怖かったし、動機もちょっと怖い。だからちょっとだけ仕返ししてやろうと思ったのだ。私はそんなチョロい女じゃないのよ、という主張だ。でもあの喜びように胸が痛んだ。よく考えたら彼はアリシアに対して不利益な事は一切していない。むしろ自分の為に労力を割いてくれた。感謝こそすれ、便所の匂いがするクッキーを渡すなんて仕打ちをする必要は一切ない。


 やっぱ待ってそれ返して、と声をかけようと思ったが、上機嫌なエドワードにそれ以上何も言えなかった。背後に花が咲き乱れているかのごとき雰囲気だ。アリシアは笑顔をヒクヒクさせながらも、一応『美味しくないかも』と警告はしたし、と諦める。粉末にした薬草をブレンドしたクッキーな訳だから身体にはいいハズ。不味いとはいえ、体調を悪くするモノではないだろう。たぶん。きっと。メンタルは知らん。


「それじゃあこれで失礼しますね。おやすみなさい。良い夢を」

「……はい。エドワードさんも良い夢を。おやすみなさい、です」


 おやすみ、という言葉にじわりと心が動いた。罪悪感は横に置いて、久しぶりに人と交わしたこの言葉に胸が暖かくなったのだ。就寝の挨拶だなんて両親が亡くなって以来かもしれない。


(そっか、家の中はひとりだもんな)


 彼の背中と共に、甘い匂いが夜の中に消えていく。それがなんだか切なくて、引き止めてしまいたい衝動に駆られた。


(だめだめ、しっかりして私)


 エドワードに恋をした、という訳じゃない。単純に人が恋しいのだ。ただただ寂しいだけなのだ。


(大丈夫、頑張れる)


 グッとこぶしを握って、店の中に戻った。寝支度をし、アリシアは眠る前に寝室の天井を見上げた。今日は色々あったなぁと考える。そしてマサキを思い浮かべニヤニヤし、エドワードを思い出して居心地が悪くなり、ようやく目を閉じた。小さく「おやすみなさい」とつぶやいて、アリシアは眠りについたのであった。



 ——一方、隣の宿屋『ふわふわのヒツジ亭』ではちょっとした騒ぎが起こっていた。


「くっさ! エドさん何なのコレくっさ!!」

「こいつぁ人間の食いモンじゃねぇっすよ! エドさん、大事そうに抱えてないで捨ててくだせぇ! イヤイヤじゃねぇっす!」

「うっぷ……おえっぷ……」

「お前ら窓あけろ! 換気だ!」

「俺しばらくクッキー食えねえ……」


 もちろんアリシアは知るよしもない。


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