(3)そう見える?
ジンの襲撃事件から数日後。フードを目深にかぶった例の男が時おりアリシアの店を訪ねるようになった。格好からしてあの時の男だ。店の薬や軟膏をぽつぽつ買い、少しばかり言葉を交わす。
「ここの店はあなたしかいないのですか?」
「酒酔い止めの薬が欲しいのですが」
どこか品のある身のこなし、丁寧な言葉づかい、持ち物の上等さ。そしてふわりと香る甘い匂い。これは怪しい。確実に面倒臭がする。アリシアは極力お知り合いにならないようにと必要最低限で会話を切り上げていた。
◇
場所はヤタガラス亭の前。
アリシアはまたまたおめかししてマサキの店へ来ていた。合間を見てはワンピースのシワを伸ばし、髪を撫で付ける。最近はフードの男を含め客足が増えていたために財布に少々余裕ができたのだ。その余裕をアリシアはマサキに貢ぐ。おまかせ定食を頼む、という形で。マサキの顔も見られて、美味しいものも食べられて、お店の売り上げにも貢献できて、一石二鳥どころか三鳥である。
「こんばんは」
夕刻、といっても日が落ちるまで時期はまだある。さすがに完全に日が落ちてから女ひとりで道を歩くのは危険だが、この時間帯ならまだ大丈夫だろうとアリシアはそわそわとノレンをくぐり、定番の席に着いた。カウンターの隅席だ。いつも誰かしらお客がいるヤタガラス亭だが、今日はテーブル席に女の客が二人席に着いていた。どちらも美人で、ばっちりお洒落している。絶対マサキ目当てだとアリシアは思った。
「マサキさぁん、たまにはうちのお店に遊びにきてくださいねぇ。うんとサービスしちゃうからっ」
妖艶な美女Aが甘ったるい猫なで声をだす。美女Bもうんうんと頷き、胸を強調するように腕を組んだ。効果音がボイーンとつきそうなご立派な胸だった。何を食べたらそんなボリュームになるんだ。アリシアは自分の胸を見下ろした。もともと同年代の女子と比べて身長も顔も幼い。もちろん胸もしかり。自分の胸に手をやりモミモミしてみるが、あきらかに膨らみよりも手の方が大きかった。
「くっ」
完敗である。その事実にひとり悲しみに暮れながら、いつも通りおまかせ定食を注文したアリシアだったが返事をしたマサキに少し違和感を感じた。
(なんだかいつもの元気がない )
気になってチラ見すると顔色が良くないように思える。そういえば美女二人に色々話しかけられて相手をしている時も、いつものような快活さがなかった。笑顔もどことなく強張っているようだった。
(もしかして、具合悪い?)
相変わらず手際はよいので注文した料理は美味しかったし、今だってテキパキと店の仕事をこなしている。でもどうも表情にいつもの余裕さがないような気がするのだ。アリシアはマサキの様子を気持ち悪いぐらいチラチラと確認していた。
いつも通り米つぶをひとつも残すことなく平らげる。お腹も満たされてひと息ついたところで、アリシアはマサキに話しかけてみた。
「マサキさん、もしかして具合悪いですか」
「……あー、そう見える?」
低くて甘い声。下がった眉、流した視線。意識したワケじゃないと思うが、マサキのその気だるげな雰囲気が妙に艶めいていた。黒い瞳に見つめられてアリシアの心臓はドキンと跳ねる。
「なんとなく、ですけど。そう見えます」
「……実は昨日付き合いで少しお酒飲んだんだけど、それ引きずってるんだよ。俺あんまりお酒強くないんだ」
「あ、あの、よければうちの薬持ってきましょうか? 二日酔いに効く薬があるんです!」
「いいよいいよ、気にしないで。もうすぐ日も暮れちゃうから、あんまりウロウロしてたら危ないし」
「いえ、大丈夫です! ちょっと取ってきますね!」
そう言うや否や、アリシアはヤタガラス亭を飛び出した。
「ちょっ、アリシアちゃん!」
慌てるマサキを置いてアリシアは全力疾走した。夕陽は半分ほど街並みにのまれ、じきに夜が訪れるだろう。アリシアは急いだ。マサキの役に立ちたい一心からだった。ヤタガラス亭から走って二分くらいの位置に住居兼薬局はある。早くは走れないが長く走ることにさほど苦痛がないアリシアは、妙なフォームで街を駆け抜けた。それはそれは妙なフォームで。
到着するとすぐに店の鍵を開け、薬をひっつかみ、また外へ出る。辺りは闇夜が混じってきている。しかし陽が落ちてもこの時期は大きな月が二つ出るので見通しはきくはずだと考える。隣の宿屋からはガヤガヤと笑い声が聞こえてきて、なんとも楽しそうな雰囲気がこぼれていた。大丈夫。アリシアは乱れた髪を撫で付け、またヤタガラス亭へと走り出したのだった。
その後ろ姿をじっと見つめる人影に、アリシアが気づくことはなかった。
◇
「これ二日酔い用の粉薬です。ちょっと苦いですけど、水で服用してください」
そう言ってマサキへ薬包をひとつ渡した。
「ありがとう。わざわざ取りに行ってもらって悪い気がするよ。お代はいくらかな」
「あ、いえいえ! 今日は私が無理やり押し付けたようなもんですから! お代はもらえません!」
アリシアは両手をぶんぶんと振った。貢いだものにお金をもらうなんて、そんなこと絶対にできない。マサキは困った顔をして小さく唸る。納得がいかないようだ。
「あの、よく効くって評判がいいんです、その薬。お酒に弱かった父が考えたレシピで。だ、だから、もしそれが効いたようだったら、今度お店に買いに来てください!」
ね!? とだめ押しでお願いしてみる。マサキがもしスズムシ薬局に来てくれるようになったら、嬉しいどころの話ではない。業務時間にご褒美がもらえる。奇跡だ。
「そっか。じゃあありがたく、この薬はもらうね。その代わりと言ってはなんだけど、今日のお代は俺ももらえないな」
そう言われてアリシアは自分がまだ定食のお金を払っていない事に気づいた。しまった。お金を払わないまま店を飛び出すとか食い逃げじゃないか。一気に顔に熱が集まる。
「あ、やだ、忘れてた! だめです、ちゃんと払います! 」
慌てて自分の肩下げバッグをあさった。しかしマサキはそれを許さない。腕をそっと伸ばして、財布を取り出そうとするアリシアの手を優しくつかむ。ひんやりとした大きな手だった。触れている場所がジワリと熱をはらみ、不意の接触にアリシアは顔を真っ赤にさせて、口を魚のようにパクパクさせた。
「だーめ。アリシアちゃんが払うんだったら、俺も薬のお金払うから。今日は俺からのおごりだと思って。そのぶん、またここに食べに来てよ。ね?」
マサキにそう言われて、なおかつ可愛く懇願されて、アリシアが無事なわけがない。目がグルグルになって、ポッポーと顔から湯気が出そうだ。おんなじ「ね?」なのにこうも威力が違うとはどういう事か。アリシアがただチョロいだけかもしれない。
結局、互いのおごりという形で決着した。もう日が暮れているのでマサキはアリシアを家まで送ろうとしたのだが、ちょうどお客さん数人がヤタガラス亭に来たため、アリシアは断った。ヤタガラス亭は夜も店を開いていて、酒とつまみを堪能する客や、大盛りの飯をガッツリ食べる客で人が絶えない。とてもじゃないが大事な営業を邪魔することはできない。走って帰るから大丈夫だと言いはり、アリシアは店の外を出た。
外はもう暗くなっていた。走って往復した疲れもあったし、マサキの小悪魔な行動もあったし、アリシアはその場でへたり込んだ。真っ赤な顔を両手で覆って「うぅ……」と声にならない声で喚く。もちろん顔はにやにやとだらしが無い。
そのアリシアの背後に忍び寄る、大きな影があった。
「…………」
その影はうずくまるアリシアの様子を、じっと見つめていた。