(1)おーい、アリシアちゃん
ここはとある国の繁華街。
商店が軒を連ね、飯屋からは食欲をそそる匂いが立ち込める。
プリっとしたソーセージを焼く匂い、新鮮な果物の爽やかで甘く芳醇な匂い、次々に焼きあがる香ばしいパンの匂い。また、ある店からは炊き上がるコメ・炭火で焼かれた魚・ダシの効いた味噌汁の香りがただよっていた。
露店では「美味いよ! ひとつどうだい!」と掛け声が飛び交い、顔見知り同士ではたがいの食物を交換している。あっちではホカホカの饅頭が蒸され、こっちでは豪快な肉の塊がジュージューと焼かれと、街は美味いものであふれていた。
また、ちらほら酒店あるいは酒場もある。食い物が美味けりゃ、それに合う酒も色々と集まる。喉を焼くような強い酒、キレイな金色の発泡酒、濃い香りと甘さの果実酒、水のように口当たりの良い酒。あらゆる酒が集まるこの街には、飲んべえも集まる。陽気に酔っては楽しそうに肩を組み、歌いだしている連中がたくさんいた。
街は活気と美味い飯と、さまざまな酒と、陽気な酔っ払いであふれていた。
——もちろん、飲みすぎてグロッキーな男達も。
◇
「おーい……アリシアちゃん、いるかい? 」
街の東側の一角に"ふわふわのヒツジ亭"という宿屋があった。酒と飯が美味いと評判の人気の店だ。更にその隣に小さい店がある。看板には"スズムシ薬局"とあり、そこへひとりのおっさんが訪ねて来た。時は早朝、おっさんの顔色は悪い。
「あー頭いてぇ……。おーい、アリシアちゃーん 」
おっさんがかすれた声をかけると、店の奥から一人の女性が出てきた。小柄だが成人を迎えたくらいの可愛らしい女の子だ。栗色の髪をゆるく三つ編みにしている。
「あら、ジンさんじゃないですか 」
おはようございますと挨拶する彼女は、実はこの店の主だ。と言っても小さな店で、傷薬や軟膏や痛み止めなどを扱う個人薬局だ。お客さんもそう多くはない。ひとりで充分賄える。つまるところ懐は常にさみしい。
「……うっぷ 」
ジンと呼ばれたおっさんは、顔を青くして口元を抑えた。ジンはふわふわのヒツジ亭の主人で、いつもの如く、店の客と陽気に飲み合い、見事に二日酔いになっていた。
「もう、懲りませんねぇジンさん 」
アリシアは呆れているようだ。この二日酔いのおっさんがアリシアの元に訪れるのは珍しいことではない。むしろ常連の1人だ。
「買い置きの薬切れました? いくつか見繕ってきましょうか 」
ジンと呼ばれたおっさんは顔をふるふると横に振る。しかしバッと頭を抱え低くうめいた。きっと頭が痛いのだろう。
「今日は今から大事な会合あるんだよ。 アレ、いっちょやってくんねーかな? 」
途端にアリシアの笑顔が引きつった。
「えー…… 」
とっても嫌そうだ。ジンが言う「アレ」とは、アリシアが持つ不思議な力のことだ。実は彼女、魔法が使える。そういう人は数が少なく、本来ならこの辺りを統べる貴族に召し上げられてもおかしくはない。しかし、アリシアはそれを嫌がる。むしろ魔法が使えることは頑なに隠そうとしていた。
「頼むよ、料金割り増しで払うから 」
こう言われたら断れないのがアリシアとその懐。彼女にとってはこれが生活の糧となっている部分があるのだ。細々とした薬局では充分な収入はない。時おり舞い込むこの手の収入はありがたかった。
アリシア自身が魔法を嫌がり、そして使えるのを隠すのには訳がある。ひとつめの理由として、実はアリシアが治せるものには制限があるのだ。
それは目の前にいるおっさんの症状のみ。
そう、アリシアは二日酔い専門のヒーラーだった。ヒーラーと名乗ってよいかすらも怪しい。
「すまんな、女房がかんかんに怒っちまっててよ…… 」
ジンはとっても辛そうだった。仕方ない。アリシアはこれも商売だと観念した。
話は変わるが、アリシアは運動が苦手だ。走る、飛ぶ、跳ねる、何をとっても様にならない。スキップなぞしようものなら町中から笑いが漏れること間違いだろう。手と足が同時に出て、軽やかなはずの足どりはドタンバタンとぎこちない。なのにジャンプをしようと奮闘するから、一歩進んでジャンプ二歩進んでジャンプ、という何とも真似をするのが難しい出来栄えになるのだ。
そしてこれが彼女が自身の魔法を隠したがる理由の二つ目だった。
ふうっと小さなため息をついたアリシア。具合が悪そうなジンを椅子に座るよう勧め、準備にとりかかった。とは言ってもそんなに大したものではない。アリシアの使う魔法に魔法陣を描いたり、呪文の様なものを唱える必要はないのだ。カシャカシャと振れば音のなる楽器、マラカスのような物を両手にそれぞれ持っただけ。
アリシアは気合いを入れた。
◇
時はさかのぼってアリシアの幼少時代、まだいたいけな五歳児の頃。彼女はその当時から運動が苦手で笑われていた。それを不憫に思った両親が娘に先生をあてがった。街に駐在していた大道芸人の女性ダンサーだ。
ダンサーは、それは懸命に教えた。時に励まし、檄を飛ばし、笑いをこらえながら。アリシアは運動もさることながら、リズム感も全くなかった。ちなみにマラカスの様な楽器はその女性ダンサーからもらったものだ。
一ヶ月が経ちダンサーを含めた大道芸人たちは次の街へと移動することとなった。お別れだ。教えていたダンスはまだ壊滅的だったが、一応ひと通りは教えた。楽器でリズムを取りながら手や腰を振り、ステップを踏む。ダンサーはアリシアへ、毎日練習するように言った。アリシアはその言いつけを守り、毎日懸命に練習した。……だがこれがいけなかった。一人で踊るアリシアの動きは日に日にコーチのそれとはかけ離れていった。両親はそれを複雑な想いで見守ってしまったのだ。
ある日、小さなアリシアが自慢気に父の元へ駆け寄った。
「おとーさん、みてて! おどれるようになったの!」
小さな薬局を営む父親は、テーブルに突っ伏していた。なにやら体調が悪そうだ。
「……アリシアか。すまない、お父さん今具合が悪くて…… 」
しかし、興奮した五歳児は親の言うことなんか聞きやしない。体調が悪いと言う父をガン無視して、アリシアは踊りはじめた。
カシャカシャ、カシャシャ。
一定ではないリズムをマラカスで打ち鳴らす。変拍子なのだろうか。というか同時に鳴らしてるはずの右と左でも微妙にズレている。
アリシアがステップを踏む。
カシャ、カシャカシャ。
軽やかな舞のはずがどうしてそうなる。なんでそこで肘が曲がる。なんでそんなにカクカクなんだ。
カシャカシャ、シャ。
ぎこちなく踏みしめるステップ。そんなに膝を上げなくてもいいんじゃないか。首が前にでている様はまるでニワトリだ。華麗な踊りはどこいった。だが笑顔だけが最高に輝いている。
父親は思わず吹き出してしまった。いけない、娘が一生懸命踊っているというのに、笑ってはいけない。でもこらようとすればするほど、笑いがこみ上げてくる。これはなんて拷問だ。父親は娘に悟られまいと、必死で口元を抑えた。
アリシアは両手を大きく天に掲げ、満面の笑みを浮かべ、動きを止めた。フィニッシュだ。
その瞬間、前日に酒を飲みすぎて具合が悪かった父が、ポワッと光に包まれた。一瞬のことだ。そして光が消えたと同時に、自身の体調の変化に驚いた。さっきまで感じていた二日酔いの症状がなくなっているのだ。気分は爽快、頭はさっぱり、胃は美味い飯を求めている。その時父親は、何が起こったのか分からなかった。
◇
二日酔いのおっさん、ジンの体が一瞬光に包まれる。顔は懸命に笑いをこらえていた。アリシアは両手を天に掲げ、苦笑いを浮かべている。ああ、恥ずか死ぬ。アリシアはそう思いながらも、ジンに回復魔法をかけたのだった。
幼少の頃に起こった出来事がきっかけで、アリシアには回魔法が使えると判明した。しかしそれには条件がいくつかある。これらは検証していった結果だ。
1、マラカスを鳴らすこと。
2、笑顔で踊ること。
3、全力で踊ること。
4、回復できるのは二日酔いのみ。
テキトーに踊ってはダメ、ふくれっ面で踊ってもダメ。つまりみんなから笑われると分かっていながらも全力で笑顔で踊らないと魔法は発動しないのだ。魔法とくくっているが、もしかしたら神への奉納の舞いかもしれない。アリシアの健気な踊りを見た神が、褒美として、二日酔いを直してくれているのかもしれないのだ。この不思議な魔法の真相は全く分からない。
両親はアリシアのこの力を公言せず、ごく親しい友人にとどめた。効果はすごいが、なんせアレだ。娘が笑い者になったり、見せものになることは避けたかったのだ。最初は大人が喜んでくれるので、よく分からないまま踊っていたアリシア。しかし年齢と共に羞恥心のみが育っていった。
最初は家族にだけ、主に酒に弱かった父親の為に踊っていた。たまに家族以外の人、にも魔法をかけたが、みな必死に笑いをこらえている事に気付き、もしかして自分の踊りは凄く変なのかもと知った。やがて思春期を迎えて踊りも封印。アリシアに二日酔いを治してもらった事がある人にとってはとても残念な事だった。それからまた幾年か経ち、両親は亡くなる。移動中の事故だった。アリシアは店を継ぎ、細々ながら生活を営んでいくことにした。ひとりきりの慣れない経営は、けっして楽なものではなかった。
ある日、ジンが二日酔いが酷いと店にやって来た。あまりに辛そうなので、アリシアは考えた。まだ、アレは使えるのか。そしてマラカスを引っ張りだし、試しに踊ってあげたのだ。上手く治ったら駄賃をくれと約束して。
結果、魔法は上手くいった。しかも二日酔いだけじゃなく、いつも抱えているような腰痛も頭痛も憂鬱な気持ちも、少しだけ軽くなるのだ。妙齢の女性が恥を忍んで変な踊りを踊ることも加算して、アリシアは料金を高めに設定した。そしてジンに昔からの付き合いの人だけならば、商売としてこの魔法を施してもいいと告げた。ただし、むやみに事が広がるのは困る。馴染みの客だけの裏メニューとして言い含めたのだった。
ジンや、馴染みの客くらいならいい。アリシアの小さい時から知っている人たちで、みんな優しい。つい笑いそうになるのも我慢してくれるし、踊りが下手なアリシアのことを決してバカにしなかった。しかしその他の知らない人の前で踊るなんて絶対嫌だった。特に若い男の前では。アリシアはこの特技が広がらないように、客には絶対漏らすなと釘を刺した。
「あー、スッキリした!!」
先ほどとはうって変わって、顔色のいいジンがぐっと腕を伸ばす。それから財布を取り出し、いつもより少し多めに出した。心なしか顔の肌ツヤが良い。
「ありがとなーアリシアちゃん、助かったよ。これ、女房から預かって来たんだ。食べな 」
お金と共にもらったのは、料理上手なジンの奥さん作のアップルパイだった。条件反射で思わずよだれが出るアリシア。
「いいんですか? ありがとうございます! 」
ふわふわのヒツジ亭の名物、奥さん特製アップルパイはアリシアの大好物だ。それだけを目的に店に通うやつもいる。パイはさくさく、中身はジューシー。バターの良い匂いに鼻をくすぐり、手に持ったそれはまだ暖かった。
ジンは手を振り、店を出て行った。1カットのアップルパイに、多めの駄賃。両親が共に他界した自分を多少気づかっての頼みだろうなと、アリシアは胸を暖かくした。