第93話
屋敷の玄関ホールに獣の唸り声が響く。獅子のような見た目をした真っ黒な獣だ。
ギラりとした黄金の目で竜と宵を捉えている。その数は六匹だ。
階段の手すりには、足を組んで鞭をいじる魔物。興味なさげにも見えるが、その瞳は獣達と同じでギラついており、目を細めながら竜と宵を横目で見つめていた。
既に戦闘が始まってからそこそこ経っているが、獣は次から次へと現れる。深手を負う事はなかったものの、宵を庇いながら戦う竜は、爪で抉られた痕が幾多もあった。
宵の方も魔力切れが近く、この状況に顔を歪めるしかなかった。肩で息をする二人の耳に、鞭を持った魔物が耳障りな声を響かせた。
「キャハッ。どうするどうする?降参するぅ?」
「…うるさい女だ…うるさいのはレポート期限前の宵だけで充分だ」
「うるさくて悪かったですね」
キャハッ、と口の端を上げる。
「貴方達の事はそこそこ知ってるのよん。三番隊隊長の弥生竜。通称逃げの弥生。隣の女の子はその添人…夏木宵。奇襲作戦が得意だって事もね」
普段、竜と宵が用いる戦術は奇襲…待ち伏せだ。事前に情報を集め、宵の魔石を使って罠を張る。
捕縛した後竜が仕留めるのだが、今回、奇襲をしかけてきたのは魔物達の方だ。罠を張る時間等なく、攻撃を防ぐ事で手一杯であった。
「そういうお前は…魔界でも指名手配されている魔獣使い、ドンナーだな」
「そうよ。結構有名人なの…ヴォルケには劣るけど」
パチン、とドンナーが指を鳴らす。すると唸り声を上げていた獣達が、一斉に襲いかかってきた。
「宵!!」
「はい!」
黄色の魔石を三つ、宙に放り投げて発動させる。バチバチッと音を立てながら、魔石は小さな雷となって獣達を襲う。
獣達の姿が黒い靄となって消える。その間、竜はナイフを取り出しドンナー目掛けて振り下ろした。
しかし───
「はい残念」
ニタリ、と笑みを浮かべながら、ドンナーは自ら竜に距離を詰めた。竜の振り下ろしたナイフは、確かにドンナーの腹部に刺さっていた。
しかしどういう訳か、血は彼女からではなく、竜の腹部から流れ出したのだ。
「ごふっ…!?」
「竜さん!?」
体勢を崩し、階段から転げ落ちる竜。宵は慌てて駆け寄り、治癒の魔石を発動させた。
「どうして竜さんに…」
「特別に教えてあげるわん。私の得意な魔法は空間魔法。空間と空間を繋ぎ合わせる事が出来るの。私の腹に刺さったナイフを、彼の腹に繋いだのよ」
さて、とドンナーは指を鳴らした。ぐにゃり、と階段が揺れ、黒い穴が空いた。
「!!」
「お遊びはここまで。ルーン…食べちゃって♡」
今までの獣よりも二回り程大きい黒い獅子。ルーンと名付けられているそれは、ドンナーにとってのとっておきでもあるのだろう。
涎を滴らせながら、ルーンは低い唸り声を上げて口を開いた。バシュッ、と玄関ホールに血が飛び散る。
「んっふふ。………んん?」
ドンナーが目を見開く。飛び散った血は竜の物でも宵の物でもない。ルーンの物だった。
顎から舌を貫通して、一振りの槍が突き刺さっていた。痛みによりルーンは血を撒き散らしながら暴れる。が、当然突き刺さった槍を抜く事も出来ず、人の悲鳴のような低い叫びを上げながら、首を振った。
「…くくっ、アンタ…俺等を見縊りすぎ」
不敵な笑みを浮かべて、倒れたはずの竜が立ち上がった。隣に並び立つ宵も、分かりきっていた事のように表情を引きしめた。
「何っ…お前は確かに…」
「さっき自分で言ってたじゃないか。『奇襲作戦が得意だ』って」
「奇襲ですって…?馬鹿な!そんな余裕与えたはずは…」
顔を引き攣らせるドンナーの見つめ、宵は眼鏡を押し上げた。
「奇襲作戦をするにあたって、一番大切なのは『情報』。貴方がドンナーって名前で、魔界で指名手配されてる魔獣使いで、空間魔法が得意って事も…全部調べてあるわ」
「くっ…!でも…それでも私が優位には変わりない!!ルーン!」
ドンナーが空間魔法を発動させ、ルーンの口に突き刺さった槍を消し去った。
「そいつらを殺せ!!!」
ぐおっ、とルーンが駆ける。しかし竜と宵は表情を変えぬまま、静かに頷きあった。
「宵」
「はい」
宵が指先をルーンに向ける。その瞬間、どこからともなく光が現れ、ルーンに無数の武器が突き刺さる。
剣、槍、矢。様々な刃に貫かれて、ルーンは静かに姿を消した。黒い靄を見つめつつ、ドンナーは歯を食いしばった。
「くそ…くそっ、くそっくそがぁぁあ!!!」
耳の奥に直接届くような怒声を上げ、ドンナーは地を蹴った。
「…終わりだ」
ドンナーの足元を狙って竜はナイフを投げる。それは彼女の足を掠める事もなかったが、床に刺さった瞬間、先程と同じように無数の光が現れた。
「!!!」
身の危険を感じて一歩退いたが、遅かった。胸に、腕に、足に。剣がドンナーの身体を貫いていく。
「あっ、が、はぁっ…!?」
大量の血を吐き出して、ドンナーは意識を失った。大量の血で汚された玄関ホールに静寂が訪れる。
「…終わった…の?」
緊張が抜けきらぬまま、宵が口を開く。
「…多分な。コイツは…気絶してるのか?」
「トドメをさして、他の方と合流しましょう!」
宵がドンナーから視線を外し、竜の方へと顔を向けた、一瞬の出来事だった。
どこかに潜んでいたのだろうか。ドンナーの獣が宵を喰らおうと口を開き迫ってきた。
「っ宵!!!」
ドンッ、と身体を押され、宵はその場に尻もちをついた。ビシャッ、と宵の顔に竜の血が飛び散った。
「チッ…離しやがれっ…!!」
「竜さんじっとしてて!!」
偶然、手元に落ちていた剣を握りしめた、宵は獣を力の限り切りつけた。肉が裂け、血が溢れ出ると、獣は黒い靄となって消えた。
「くそっ…仕留め…損ねた、か…」
そう呟くとドンナーもまた、姿を消した。彼女がいた場所には、黄色の魔石が落ちている。
宵はドンナーには目もくれず、竜に駆け寄った。
竜の左腕から夥しい量の血が溢れる。左腕を、完全に喰われていた。片腕の体重をなくし、重心が傾いていく。
宵は竜の身体を支えて、ゆっくりとその場に座らせた。
「竜さん!竜さんしっかり!!」
ナイフを使ってスカートの裾を切る。それを肩口にきつく巻いた後、上着を脱いで上から更に巻き付ける。
「っ…宵…」
一気に出血して視界がぼやけているのか、虚ろな目で竜は宵の肩を掴んだ。
「急いで…四季さんを呼んで、こい…」
「そんな!この屋敷には…まだ魔物がいます!竜さんを置いてなんて」
「行けって言ってるんだ!!」
初めてだった。宵が初めて聞いた、竜の大声だった。呆気にとられていると、竜がふっ、と目を細めた。
「俺は大丈夫だ…逃げの弥生だぜ?死んでも逃げて…逃げて…生きてやる」
「…竜、さん…」
「な?四季さんに…伝えろ。俺の事は後回しでいい…」
目に浮かんだ涙を拭い、宵はしっかりと頷いた。それを見た竜は安心したかのように笑った。
宵は防御魔法の魔石を発動させ、全速力で空の元へ向かった。




