第78話
──痛い。
痛い苦しい痛い痛い、助けて誰か嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ!!
ハッ、と目が覚める。景色は昨日と変わらず、ベッドの上から見えるシャンデリアが初めに目に入った。
汗で服が張り付いて気持ち悪い。シーツをぎゅっ、と握り歯を食いしばる。
(痛い…痛いよ…)
自然と涙が零れる。
身体中が痛くて痛くて動けない。唇には噛んだ痕が残り、血が滲んでいる。
爪もそうだった。引っ掻いた時についた血が残っていて、爪も割れていた。
扉がノックされ、身体が一気に強ばる。中に入ってきたのはアルターでもヤーレスツァイトでもなく、金色の髪をした魔物の女性だった。
どことなく落ち着いた雰囲気も持っていて、一礼してからティーワゴンを押して入ってきた。
ベッドの横にティーワゴンを止め、横になっている陽羽と目線を合わせるようにしゃがんだ。
「お身体の調子はどうですか?」
「………」
女性は眉尻を下げ、紅茶を淹れた。ほんのりと懐かしい香りが漂い、緊張感が少し解れる。
「どうぞ。起き上がれますか?」
「…はい…」
身体を起こすと激痛が走る。それを女性に悟られないように隠し、カップを受け取った。
しかし上手く力が入らずカップを落としてしまう。
幸い身体には掛からなかったが、音を立ててカップは割れ、紅茶も床に零れてしまった。
「あっ、ご、ごめんなさい…!片付けますので…」
ベッドから下りようと立ち上がると再び激痛が襲いかかり、その場に崩れ落ちてしまう。
「…人間って…脆いんですね」
女性が呟いた言葉はそれだった。
「え…?」
「弱いくせに下手に強がって…馬鹿みたい」
カップの欠片を手に集め、やれやれとため息をつく。割れてバラバラになっていたカップがひとりでに揺れ、元の形を成していく。
やがて元通りになったそれはティーワゴンに戻され、新しいカップに紅茶が注がれる。。
「飲めそうですか?」
「………だ…。もぅ…嫌…っ」
床に大粒の涙が零れ落ちる。声を押し殺すが肩が震える。自身を抱き締めるように腕を組む。
「…何故、泣くのですか?」
女性は心底不思議そうに首を傾げた。俯いたまま陽羽は答えた。
「…こんな…汚れた身体で…っ、長月君に会えない…会いたくない…」
「でも貴方。寝ている間、ずっとその方の名を呼んでいましたよ」
「……助けに、来て欲しいんです…」
「なら何故」
「嫌なの…!!好きな人に…こんな私見られたくないの!!」
心からの叫びだった。陽羽もあまり感情を露わにする方ではない。普段淑やな陽羽が悲鳴に近い声色で振り立てた。
「あぁ…貴方、処女だったんですね」
真顔で言われて、カッと顔が熱くなる。
「確かに、魔力を持つ者は童貞処女を失うと、相手の魔力に感化されますしね…。汚れたも同然か。事実、貴方の魔力にアルター様の黒が混じってます」
「…そんな…じゃあ私…死ぬまでずっと…?」
(ずっとあの人に囚われるの…?)
底知れない絶望感に溺れそうになる。自身の両手を見下ろし、込み上がる吐き気をぐっと堪える。
「…私には分かりません。そんなに初めてが大事ですか?」
「大事に決まってる…本当なら…私だって初めては好きな人が良かった…」
「…生きていて良かった、とは思わないんですか?」
女性の言葉にハッと顔を上げる。
「生きていれば、次は想い人と交接出来るやもしれないのに。命があるのですから、それでいいのでは?」
「………」
「そんなに大事ですか?」
二度、女性は問うた。
陽羽には答えられなかった。生きていて良かった、とは思う。しかし何故生きている、とも思う。混ざり合って頭が痛くなる。
女性はベッドの横に置かれておるテーブルの上に、紅茶を淹れたカップを置き、陽羽を抱き上げベッドに戻した。
「あ、ありがとうございます…」
「食事を用意します。暫しお待ちを」
一礼して女性は去って行った。涙を拭い、手に力を集中させて紅茶を口に運ぶ。
「…美味しい…。…長月君…」
紅茶を飲むと思い出す幸雄の姿。カップをテーブルに戻し、目に浮かぶ涙を服の袖で擦った。




