第72話
「魔物や部下に"逃げの弥生"なんて言われて…恥ずかしくないんですか!?」
気づいた時にはもう遅かった。青年の表情は変わらないままだったが、反して宵の表情は青ざめる一方であった。
(や、やらかしてしまった…)
青年がゆっくりと口を開く。暴言でも吐かれるのだろうか。嘲笑われるのだろうか。それでも自分の落ち度だ。真っ直ぐに目を見つめ、発せられる言葉を待った。
「…アンタ…誰?」
…まぁ、そうだろうとは思った。
初対面の人に対しての第一声が怒声とは、自分でも恥ずかしい事この上ない。
「四番隊に配属になりました。夏木宵です…」
「夏木宵…ねぇ…。俺は弥生竜」
「弥生隊長…」
「長い。竜でいい」
「い、いきなり失礼では…」
「…じゃあ隊長取ってよ」
「……弥生…さん?」
「…ん」
不思議な人だ。眠そうな目を揺らして、竜は宵を見つめる。何故かその視線を逸らす事が出来なかった。
気恥しさが生まれつつも、ぼんやりとその目を見つめる。やがて竜が視線を外し、踵を返して歩き始めた。
「ど、どこ行くんですか!?」
「散歩。アンタもどう?」
「……結構です…」
これ以上、ここにいたくなかった。
「さっきは…すみませんでした」
「別に。怒ってないし。謝らなくていいぜ」
一礼して宵はその場を去る。解散も自由なのが助かった。名札を受付に返し、暗くなった道のりを歩む。
「変な人だったな…。はぁ…すぐにイラつく癖直さなきゃ…」
人より真面目なせいか、宵は人の素行や態度にかなり口うるさい。それはほぼ無自覚なのだが、色んな人に言われてきているので、抑えるようにはしているのだ。
それでもやはり先に口が動いてしまう。悪い癖だ。魔物殲滅隊という、学校とはまた違った環境において、宵のこの癖は枷でしかない。
「大丈夫。私だって頑張れば───」
「何ヲ頑張ルノォ?」
宵のすぐ耳元で、声がした。気配もなく、音もなく現れたそれは、人ではない異形の者。尖った耳にギラりと光る目。宵達の敵、魔物がそこに現れた。
「っ!!!」
一瞬で寒気が襲いかかる。ポケットに忍ばせた魔石を取り出し、魔物に投げつける。煙を上げて爆発したそれらを視認し、魔物から距離をとる。
「ゲホッ。コレガ魔石…僕ノ同胞ノ魂…」
怪しく光る瞳が宵を捉える。宵はその瞬間に悟る。自身の命がこの魔物の掌にある事。そうさせられている事。
(まだ会場から近い…騒ぎを大きくして気付いてもらえれば…!)
魔石を握りしめ、魔力を流し込んだその時だった。宵の耳に、宵の声でも、魔物の声でもない、幼い少女のような声がした。
「ふんふふーん。お母さん!お父さん喜んでくれるかな?」
「そうねぇ…きっと喜んでくれるわ」
少女と母親か。すぐ近くを歩いているのだろう。足音も鮮明に聞こえてきた。
(そんな…今魔石を発動させたら…巻き込んじゃう。魔物があの人達の元へ向かうかも…どうしよう)
ぐるぐる、と焦りが宵の頭の中を支配する。その間にも魔物は武器を構えてこちらに向かってきているのだ。
早く判断しないと。自分の命も親子の命もない。
「…っ…!」
「ツマンナイノ…ジャアネ」
結局。何も出来なかった。試験に合格したのなんてきっと間違いだったのだろう。まだ仕事も何一つとしてしていないのに。
帰りに殺されたなんて知ったら親は悲しむだろうか。美里も悲しんでくれるだろうか。
恐怖と痛みが、宵を蝕む。
否、訪れたのは恐怖だけで、実際の所痛みはなかった。目の前に立っていたはずの魔物の姿は緑色の靄に包まれて、今にも消えそうだったのだから。
治まる事を知らない心臓の音に耳を傾けつつ、その様子を呆然と見つめていた。
「ったく…。この場合は屈折の魔石を発動させて、一般人から見られないようにしつつ早急に仕留める。
もしくは幻影魔石、影の魔石という手もある。そういった事は…アンタの方が詳しいと思ってたんだけど」
「…弥生…さん…?」
眠そうな目で宵を見下ろし、腕を引っ張って立たせてくれる。はっとして振り返ると、親子は何事もなく歩いていた。
地面に落ちた魔石を拾い上げた竜は、何も言わずに宵から背を向けた。
「あ、あの…!どうして…」
「…散歩してたら…たまたまアンタが襲われてた。それだけ」
「本当ですか?」
「…散歩っていうのは嘘。魔物の気配がしたから来たらアンタがいた」
余り変わらないような気がするが、経緯が少し違ったらしい。
「…大丈夫?」
「えっ」
「…手、震えてるから」
竜に言われて初めて気がついた。焦りと恐怖で震えている手を見下ろし、ふぅ、と息を吐いた。それでも治まる様子はない。
「じきに治まると思います…ありがとうございます」
それでは、と去ろうとする宵の腕を引き、竜は宵の頭を優しく撫でた。
「頑張ったな…それだけは褒めてやるよ…」
何故そんなに上から目線なのか。いや、上司なのだから上からで構わないのだが…。妙に安心する竜の手に目を細める。
「そういや…質問に答えてなかったな」
「え?」
「たしかに俺は…隊長の中では一番弱い。だからこそ相手は油断してくれる。その油断を利用して…俺は魔物を狩る。
実力が足りないのなら頭脳で。頭脳が足りないのなら…情報を集め、相手の弱点を掴む。真っ向勝負なんてごめんだ。
自分が負けると分かってる勝負をして死ぬのは嫌だしね」
「……じゃあ…あの二つ名は…」
「さぁ?気にしてねぇし。むしろ…余計に相手が油断してくれるから…願ったり叶ったりなんじゃね?」
ニッ、と笑ってみせる竜。気怠そうな表情からは見られないような、年相応な、いたずらっ子のような、そんな笑みだった。
「…変なの…」
「いいんだよ。俺が良ければ。ほら、帰るんだろ?途中まで送ってやるよ」
「!いいんですか?」
「ここで見捨てたら卯月に呪われる」
冗談めかして言う竜の隣を歩く。慣れない感覚に戸惑いながらも、宵はその一時に頬を緩ませた。
そして半年後。宵は竜に告白され、恋人になり、同時に添人になったのだ。
必然的に美里の隊から離れ、竜の傍に控えるようになった。
初めの頃は違和感があってそわそわしていたが、今となってはそれが普通だ。竜と出会って二年経っても、二人は変わる事なく日々を過ごしている。
竜も変わらず"逃げの弥生"の名で通っている。それでも宵は知っている。
彼は弱くない。確かなる強さを持っている、と。




