第62話
物心着いた時には、何も無かった。空っぽだった。
周りの子達は皆笑っている。しかし自分は笑っていない。そもそも笑うとは何だ。
しかし、転んだ時には涙が出た。痛み。感覚は生きているらしい。けれど、それ以外は何も無かった。
普通の人には『嬉しい』時に『笑う』。
『痛い』時に『泣く』。という、何かがあるらしい。
頑張って練習して口の端が上げられるようにはなった。けれどもやはり何も無い。
心の中は真っ赤で何も無かった。一度だけ薄くなった事があったけど、常に真っ赤だ。
───俺には何も無い。
「……よし」
机の上に置かれた、綺麗に包装された箱を見て、うんうんと陽羽は満足気に頷いた。箱に赤いリボンを付けて、にっこりと笑った。
本日、九月十八日。幸雄の誕生日である。
先週からつい昨日まで、陽羽は幸雄への誕生日プレゼントをあれやこれやと悩んでいた。
他の皆が何をあげるのか。事前にリサーチして結果、ハンカチをプレゼントする事にしたのだ。
ハンカチといってもただ市販で購入したのではない。『幸雄』と刺繍を入れたのだ。赤、青、黒のチェック柄ハンカチ、三枚セットである。
(喜んでくれる…かな)
不安混じりの期待を抱えて、箱を両手で持った。幸雄を探して、とりあえず初めに居間へ向かう。運良くそこには幸雄がいた。隣に美里と侑もいる。
「長月君」
「あ、陽羽」
幸雄の手元を見ると、美里達に貰ったらしい。ラッピングされた袋を持っていた。美里と侑は顔を見合わせて、手を振った。
「じゃ、美里達はこれで」
「じゃね〜」
足早に去って行った二人を見送りつつ、陽羽は顔を強ばらせた。
「あ、あのね…えっと…」
咄嗟に箱を後ろに隠したので、幸雄からは何も見えていない。首を傾げながら陽羽の言葉を待った。
「その…お、お誕生日、おめでとう…」
すっ、と箱を差し出す。幸雄は少しだけ頬を緩めて箱を受け取った。
「ありがとう。開けてもいいか?」
「こ、ここで…!?」
自分がいる前で見られるのは少し恥ずかしい。しかし、期待の眼差しを向けられては断れない。陽羽はゆっくりと頷いて、視線を幸雄の手元に向けた。
リボンを丁寧に解き、箱が破れないようにそっと中を見る。
「……ハンカチか?」
「う、うん…皆と被らないようにって…」
「…あ、名前…」
一番上に入れられていた赤いハンカチを手に取って、『幸雄』と刺繍が施された所をまじまじと見つめる。
「あ…い、いらなかったら…捨ててくれていいから…!」
恥ずかしさが相まって、つい早口に言ってしまう。幸雄は静かに首を振った。
「陽羽から貰ったものは何でも嬉しい。大切に使わせてもらう」
「!…あ、…うん…。…良かった…」
ほっ、と安堵のため息をつく。その柔らかい表情に幸雄はそっと触れた。柔らかい頬を優しく撫でる。
「…ん……?」
幸雄はプレゼントの袋と箱を机に置いて、陽羽の手を取った。
「?」
ぎゅ、と陽羽の手を包み込むかのように握り、幸雄は目を閉じる。
(温かい…。なんだか…落ち着くな…)
───こうして手を取っている時も。抱きしめている時も。傍にいるだけで、触れるだけで、何かが込み上げてくる。
「…空っぽじゃない…」
「え?」
不意に手を引かれた。ぽすん、と幸雄の身体に包み込まれる。顔に熱が集まり、心臓が早鐘を打つ。
「な、長月君っ…!」
「少しだけ…このまま…」
(ずっと…こうしていたい…)
じんわりと、幸雄の胸に熱がこもっていく。今となっては、少し。ほんの少しだけ。『嬉しい』から『笑う』というのが分かる気がする。
陽羽に見えないように、抱きしめる腕に力を込めて、いつもよりも自然に笑みを浮かべたのだった。




