第61話
陽羽が幸雄への恋心を自覚した数日後。
「ほらよ」
体育で擦りむいた腕を澪が手当してくれる。貼られた絆創膏をつん、と指で抑えていると、保健室の扉が開かれ、悠月が入ってきた。
「神無月先生〜ボール顔に当たって鼻血出た〜」
「今日は一組怪我人多いな…。待ってろ」
机に置かれていたティッシュを箱ごと悠月に渡し、救急箱から詰め物を取り出す。
「町田。神無月。相談がある」
鼻に詰め物を詰め終えた頃。なんの脈絡もなく、幸雄はそう言った。悠月と澪はきょとん、と首を傾げて、幸雄に向き直る。
「何事?」
「…町田には独占欲があるか?」
ピタッ、と悠月は静止して顔を引き攣らせた。
「な、なんだよ急に…」
「…一応町田の意見も聞いてみたいと思って」
「へぇ〜。そういう事ならこの町田悠月にお任せあれ!」
鼻声ではあったが、自慢げに胸を張って幸雄に笑いかけた。
「まずは独占欲はあるか。答えはイエスだ!」
「あるのか。具体的にどんな感じなんだ?」
「えっとね…中学の時に付き合ってた女の子がいたんだけど。その子が俺以外の男と話してた時とか…嫉妬しちゃってね…誰にも渡したくないな〜って」
結局別れたけどね、と軽快に笑い飛ばす。澪は何も言わずに苦笑いを浮かべる。幸雄はじっ、と悠月を見つめて問うた。
「…町田は…その女の子が好きだったのか?」
「う、うん…好きじゃなきゃ付き合わないっしょ?」
「その子が好きだから…嫉妬するのか?独占したいと思うのか?」
一瞬、呆気に取られたような表情で幸雄を見つめた。が、すぐにはにかんで頷いた。
「そうだと思うよ。長月も?」
「…分からない…好きかどうかも…」
「長月…」
澪がそっと呼びかけると、幸雄は顔を俯かせて続けた。
「苦しいけど…嫌じゃないんだ。ずっと触れていたい。でも…傷付けてしまうかもしれない…」
苦しげに伏せられた目を見て、悠月は頬を弛めた。
「なぁんだ。ベタ惚れじゃん」
「………」
悠月の言葉に幸雄ははっと目を見開いた。構わず悠月は幸雄の肩に手を置いて続ける。
「その子の事…大好きなんだな!」
「…大好き…」
しばらく、幸雄は黙り込んだ。やがて少しだけ頬を赤くして唇を一の字に結んだ。長年、幸雄と付き合いのある澪ですら、見た事のない表情だった。
「そ、うか……大好き…なんだ…」
「長月、応援してるぜ!なんか困った事あったら頼ってよ。ちょっとだけ経験はあるからさ」
頷きを返し、授業へ戻ろうと保健室を出ようと、扉に手をかけた時だった。
「長月」
澪は振り向いた幸雄の頭をわしゃわしゃと撫でて言った。
「…頑張れよ」
「……何を…?」
「色々。お兄さんから忠告」
手を離し、澪は目を細めた。
「きっと大丈夫だ。お前は一人じゃない」
「………分かった…」
「……。そんじゃ。町田君、一応安静にね」
「はーい!」
幸雄と悠月が去ってから、澪はやれやれと肩を竦めた。
「我が子が成長した気分だな…。息子じゃねぇけど」
口ではそう言いつつ、声色は嬉々としていた。静まり返った保健室で、澪は一人微笑んだ。
体育館に戻る途中。 悠月はパチン、と指を鳴らした。
「長月。お前の好きな奴、師走さんだろ?」
「!?な、何故!?」
若干焦りの色が見える声色に、悠月はにしし、と歯を見せる。
「超能力」
「何だと!?」
「嘘嘘。でも分かるわぁ…師走さん。超美少女転校生で話題になってたし」
なってたのか、と内心思いつつ、幸雄は相槌を打つ。
「それに優しいし可愛いし勉強も出来るし。…告白すんの?」
「…告白…?」
反芻して少し考える。正直、『好き』を自覚しただけで手一杯で、告白しようとは思い及ばなかった。
「………さぁ…」
「うーん…やっぱ難易度高いよなぁ」
「俺は…陽羽が笑っていてくれればそれで…」
悠月はその場に立ち止まり、首を傾げた。
「ホントに?」
「………」
「さっき、俺に独占欲あるかって聞いてきたよね?…いいの?師走さんが他の人のものになっちゃっても」
ざわっ、と心が騒ぐ音がした。幸雄は黙り込んで、そっと悠月から視線を逸らした。
「…ごめん。意地悪な言い方した…。無理強いはしないよ、お前の問題だし…。でも…言わなきゃ…後悔する」
「…言いたい…伝えたい。でも…怖い」
「…じゃあ、伝えられそうな時に、伝えよ。好きだ、って。心の準備してさ」
友人である幸雄に恋人が出来るのは、悠月にとっても嬉しい事であった。
明確なアドバイスが出来たとは思えないが、それでも悠月は微笑んだ。幸雄も納得したらしく、しっかりと頷いた。
「…あぁ…」
「…行こーぜ!」
走り出そうとした悠月を牽制し、並んで歩き体育館へ戻った。出入口の所に立っていた陽羽が、幸雄と悠月に気付き、軽く手を振った。
「あ、おかえりなさい」
「…ただいま」
自覚した幸雄の頬は、やはり少しだけ赤みを帯びていた。




