第44話
夏季休暇に入ってからしばらく。数日前に虹乃を見掛け目が合ったが、お互いに声をかける事はなかった。
彼女の方も色々と落ち着いたのだろう。どこかすっきりしたような表情をしていた。
それからさらに数日後。
洋子の誘いで陽羽と宵は休日のショッピングモールに訪れていた。
夏季休暇の半ばに、陽羽は幸雄達と海に行く約束をしていたので、その日のための水着を買いに来たのだ。
休日のショッピングモールは普段、学校帰りに寄る時よりも人に溢れていて、妙に蒸し暑かった。
店内のクーラーは効いているはずなのに、汗が滲み出て少し気持ち悪く感じられる。
それは陽羽の隣にいる洋子も同様で、鞄から取り出した扇子を使ってぱたぱたと扇いでいた。たまに陽羽と宵に向けて風を送ってくれた。
さて、水着を選ぶに当たって、少しの問題があった。"テンションの違い"である。
陽羽が選ぶ露出控えめなワンピースタイプの水着は尽く却下されてしまっていた。洋子と宵が選ぶ候補は全てビキニタイプであった。
水着とはいえ男子のいる中、それは無理だ。と陽羽は困惑した。
「や、やっぱり…もう少し控えめな方が…」
「勿体ないよ〜。押せ押せの意気だよ!」
洋子が揚々と言うが、陽羽にとっては何を押すのかすら分からずじまいであった。
「でも、陽羽ちゃんが着るんだし…私達が選んでもですよね…」
宵の仲裁案に賛成して、事なきを得るかに思えた。が、ある程度の露出はいるべき、と宵は言い張った。
三十分以上も談義した結果、白のホルターネックのビキニにフリルがついたスカートのセットになった。
お互いがお互いに妥協した結果でもある。
会計を済ませ、モール内にある喫茶店で一息つく。そういえば、と洋子はコーヒーに砂糖を混ぜながら陽羽に問うた。
「陽羽ちゃんは…どうして添人になったの?」
「……居場所が無くなって…その時に助けてくれたのが長月君でした。私は…彼に恩返しがしたくて…」
洋子は砂糖を混ぜる手をピタリと止めた。
「…居場所が無くなった?」
「あ…それはですね…」
思い出すのも今となっては懐かしい、両親を亡くしてからの日々を洋子と宵に語った。
家を追い出された辺りで、洋子は陽羽の肩をそっと抱き寄せた。戸惑って目を瞬かせる陽羽の頭を撫でる。
「…初めに会ってたのが…長月君じゃなくて私だったら良かったのにね……」
「……え?」
「そうだったら…こんな…辛い運命に関わらなくて良かったかもしれない…」
洋子は魔物殲滅隊二番隊隊長という役職の傍ら、
弁護士としても働いている。
弁護士としては、本来ならば他の職を持つ事は禁止されているが、洋子の場合、殲滅隊は強制的な義務でもあるため、特別に認められているのだ。
陽羽と初めに出会ったのが幸雄でなく洋子であれば、家を追い出された時点で法的解決策を講じてくれただろう。
少なくとも "魔物と戦う"、"添人になる"といった過酷な運命に巻き込まれる事は無かったはずだ。
陽羽の向かいに座っている宵も、複雑そうに眉根を寄せた。
「…ありがとうございます。でも…辛くはないですよ…。…自分でも出来る事があるんだって…」
「陽羽ちゃん…」
ぎゅっ、と陽羽を抱きしめる腕に力を込める。
「けれど…やっぱり辛いですね…身内の人に捨てられたって事実は…私の中ではまだ受け入れきれていなくて…」
ぽつり、と心の内に秘めていたものが洩れた。洋子の抱擁で生まれた安心感からか。それは自然と口から零れた。
宵が口を開きかけた、その時だった。
「…陽羽ちゃん…?」
少し低めの男性の声。陽羽が声の主を見上げると、白髪混じりの黒髪をした男性が立っていた。優しそうなたれ目を見開いて、陽羽を見つめている。
「!…叔父さん…」
陽羽の叔父。陽羽の母の妹の夫だ。
「陽羽ちゃん…大丈夫かい?ちゃんとご飯食べてる?」
「…はい」
そっと頷きを返す。叔父は安心したようにほっと息を吐く。
そんな陽羽と叔父の間に割るようにして洋子が立つ。叔父の表情が少しだけ引き締まる。
「失礼、陽羽さんの叔父様ですね?」
「は、はい…」
「……如月です。こんにちは」
「…あ、夏木宵です!」
慌てて宵も頭を下げる。叔父は落ち着いた様子で洋子と宵に会釈する。
「こんにちは…。…陽羽ちゃん、時間あるかい?今、家に妻がいないから…渡したい物があって…」
「…渡したい物…」
叔父の言葉を反芻し、洋子と宵を交互に見つめる。洋子が頷いたのを確認してから返事をした。
「…はい。大丈夫です…」
喫茶店を出て、叔父に連れられて家に向かう。懐かしい道のりに、陽羽は何も抱く事はなく、ただ叔父の背を見つめて歩くだけだった。
陽羽の数歩後ろから洋子と宵も無言で歩いた。
二人には介入出来ない、陽羽の問題だと分かっていたからだ。
黒い屋根の家の玄関で待つように言われ、やっと宵が重い口を開いた。
「…大丈夫?陽羽ちゃん…」
「…はい。元々、そんなに親しい仲でもないので…。年明けやお盆に会う程度で…」
何でもない事なように言う口振りに反して、陽羽の表情は暗かった。喫茶店でも言っていた『身内に捨てられた』という事実が引っかかっていた。
かける言葉を探していると、叔父が小さな紙袋を持って出てきた。それを陽羽に差し出す。
「陽羽ちゃんの荷物はね…処分しちゃったけど…これだけは残してた。君にあげるよ」
「………本、…あれ…アルバム…?」
一冊取り出してみると『NO.1』と書かれたアルバムだった。目だけで見てもかなりの数がある。
「陽羽ちゃんの写真だよ」
「!」
「それとね…」
叔父は人目も顧みず頭を深く下げた。陽羽は驚いて、思わず一歩後退りした。
「ごめん」
「………」
何も湧き上がってこなかった。驚く程に陽羽の心は静かだった。表情を一切変えずに口を開く。
「頭を上げてください。今…私は元気に生きています。叔父さんが謝る事は…」
「いや、謝らせてくれ。妻を止めなかった僕にも責任がある」
断固として叔父は頭を上げなかった。半ば呆れるかのようにため息をついた。
「…では、私はその謝罪を受け止めますね…」
「…本当にすまない」
陽羽が背を向けて歩き出しても、叔父は何も言わなかった。そんな叔父を一瞥して洋子も陽羽の後を追った。
「……陽羽ちゃん…」
宵が名を呼ぶと、陽羽はゆっくりと宵の方に振り向いた。
「ありがとうございます。着いてきていただいて…」
「気にしないで。心配だったから…」
「………不思議ですね」
陽羽は自身の胸に手を当てる。
「謝罪されても…何も思わなかったんです…。納得したのかすらも分かりません…」
「……陽羽ちゃんの中で、優先順位が変わったのかもね」
洋子は陽羽の肩に手を置いた。
「優先順位…?」
「…きっと、前に進めたのよ」
宵も陽羽に微笑みかける。陽羽は目を細めて静かに頷いた。
今度は、家だった場所を振り返る事なく、三人並んで屋敷に戻る。宵はほんの少しだけ、陽羽の顔が明るくなった事ように感じていた。




