第20話
放課後になっても陽羽は帰ってこなかった。朝から顔色は良くなかったが、心配で仕方がない。
(神無月がいるとなれば…別の心配もある)
正直の所、澪の女性関係に関する粗相は計り知れない。そういう知識に疎い幸雄でも、それは分かっていたし、若干の軽蔑も覚えていた。
陽羽の教科書と筆箱を彼女の鞄にしまい、荷物を持って保健室へ向かう。自然と早足になり、すれ違った後輩にも気付かずに歩いていく。
「長月先輩」
ふと声をかけられ立ち止まる。蓮が、怪訝そうな顔をして立っていた。そこで初めて、蓮とすれ違ったと認識した。
「そんなに急いでどこ行くんスか。鞄も二つ持って」
「皐月…。陽羽を迎えに」
「へぇ。どうかしたんスか?」
「体調が悪いらしい」
「神無月先輩っスからね。担当が」
今頃澪はくしゃみでもしているだろうか。
幸雄は蓮にじゃあ、と踵を返して急いだ。その後ろ姿を見つめていた蓮は「………珍し」と小さく呟いた。
蓮の呟きには気付く事なく、保健室に着いた。一応ノックをしてから入る。
「あ、お迎え?」
「変な事してないだろうな?」
「第一声がそれ〜?なぁんも?」
さらりと嘘を付く澪だが、幸雄は澪が陽羽に何をしていたかなんて知る由もない。そうか、と短く返事をして荷物を椅子に置いた。
「調子は?」
「表向きは貧血って事にしてる。魔力の操作の訓練してるんだって?そりゃ疲労も溜まるさ。十六年動かしてなかった魔力を動かすんだからね」
澪は幸雄を陽羽が寝ているベッドまで案内する。先程よりかは顔色も戻っていて、静かな寝息が微かに聞こえ、幸雄はほっと息を吐く。
「霜月に連絡して迎えに来てもらう。傍にいてやりな」
それと、と澪は幸雄の耳に口を近づけた。
「お前、陽羽ちゃんとどんな関係?」
「異人と添人」
即答だった。澪が期待していた反応はなく、ふっと肩を竦めた。
「………そうかよ」
幸雄の肩を叩いて保健室を去った。幸雄は陽羽の顔を眺め、そっと頬に触れた。
「………」
「………ん…」
違和感を覚えたのか、陽羽は顔を動かした。そしてきゅっ、と幸雄の手を握る。
(何故…陽羽の事が放っておけないんだろう…)
そんな疑問が脳裏をよぎるが、答えは出ないと分かっていたのですぐにかき消した。
「長月…くん…」
寝言か、陽羽は幸雄の名を呼んだ。幸雄は返事はせず、手を強く握り返した。
「ん……」
陽羽がゆっくりと目を開ける。何度か瞬きを繰り返した後、幸雄を見上げた。
「長月君…」
「少しは休めたか?」
「う、うん…だいぶ楽になったよ…」
幸雄と握っていた手を離し、身体を起こす。陽羽はベッドから下りようとして足をもつれさせた。
「きゃっ」
「…!」
幸雄が身体を支えてくれたおかげで、倒れる事態は免れたが、幸雄に抱き着く形となってしまう。
「ご、ごめんなさい…!」
「まだふらついてるじゃないか。寝ておけ」
身体を支えられてベッドに戻される。
(す、すっごく近かった…)
ドキドキ、と早鐘を打っている胸を落ち着かせようと、深く息をはく。幸雄はベッドに浅く腰掛け、陽羽を見つめた。
「……まだ顔色が悪いな…」
そっと頬を撫でられ、くすぐったい気持ちになる。
「………」
落ち着けた鼓動が再び早くなるのを気付かれないように、幸雄から視線を逸らす。
(今思ったけど…長月君に触れられても嫌じゃない…)
勿論、恥ずかしいという気持ちはあるが、嫌悪感は全くない。冷たい幸雄の手にむしろ安心感を覚えた。
「…長月君。迷惑かけるよね…ごめんね」
「疲れが出たんだ。気にするな」
そう言って優しく頭を撫でてくれる。
(やっぱり嫌じゃない…)
懐かしい感覚を覚えた所で、扉が開く音がした。
「お二人さーん。霜月が来たって。車乗って帰りな」
「あぁ。陽羽、歩けそうか?」
「うん…大丈夫」
「ほら」
差し出された手に掴まり、ゆっくりと立ち上がる。ふらつくとすぐに幸雄が支えてくれ、倒れる事はなかった。
車に乗り、背もたれに持たれて軽く目を閉じる。すると再び眠気がやって来る。
(あ…ねむ…)
隣に座っている幸雄の肩にもたれ掛かり、静かに寝息を立て始めた。
「………」
「毛布をお出ししますね」
運転してきた使用人の霜月舞夜がトランクから毛布を持ってくる。
「……幸雄様」
「?」
「幸雄様…嬉しそうですね」
「………嬉しい?何故」
自分の中では全くそうは思わない。しかし舞夜から見るとそう見えるらしい。
「さぁ?陽羽様に寄りかかられて嬉しいのでは?頼られてる…的な」
「嬉しい…のか」
言われてみれば、何とも言えない温かさが胸の奥にある。 舞夜から渡された毛布を陽羽にそっとかけ、顔を覗き込む。
屋敷に着くまでの間、幸雄はずっと陽羽の寝顔を眺めていた。
───胸が温かい。自然と口元が緩む。
(これが…嬉しい、なのか)
陽羽が倒れてこんな事を思うのは不謹慎だと思う。しかし少しの間、幸雄は胸の温かさに浸っていた。




