第142話
陽羽と昼が通されたのは悠月の部屋だった。
黒い壁紙に、バンドグループのポスターが貼られている。
勉強していたのか、机の上は参考書が散らばっていた。
十九の青年の部屋にしては、少し殺風景な印象を受ける。
「ごめんめっちゃ部屋汚い!」
「期待してないから大丈夫よ」
「うぐっ…ま、まぁ適当に座って!」
昼がその場に座ったのを見て、陽羽もそれに倣った。悠月は机の横にある簡易冷蔵庫からジュースを二本取り出す。
「ごめん、こんなものしかなかった。今ちょっとゴタついてて…」
「何かあったの…?」
恐る恐る聞くと、悠月は真剣な面持ちで話し始めた。
「長月が…魔物側に寝返ったった連絡が回された」
言葉を失ってしまった。表面だけ見ればそうだろう。
魔物と行動を共にしている時点で、幸雄は隊律違反を犯している事になるのだから。
けれど違う。
幸雄は、言ってしまえば操られているのだ。アルターの魔力を受け入れなくては、死んでしまうのだから。
「…違う…違うよ…」
「分かってる…。でも、隊員の人が、長月が隊長四人を切りつけて重傷を負わせたって…」
どっと身体が重くなるのを感じた。
嘘だ。嘘だ。嘘だ。
幸雄がそんな事をするはずがない。
きっと何かの間違いだ。そう信じたい。
けれども陽羽は知ってしまっているのだ。
幸雄は陽羽をも殺そうとした。
その実感は未だ受け入れられずとも、脳裏に焼き付いている。
だから心のどこかで、「あの幸雄ならやりかねない」と思ってしまった自分がいるのが、一番苦しかった。
事情を知っている陽羽だけは、何があっても幸雄を信じなくてはならないのに。
おもむろに立ち上がり、ぼんやりとした瞳で歩き始める。
「………早く…早く説明しないと…」
「待って、もう遅いし、今動くのは危険だよ!」
「でも…」
「私も町田の意見に賛成。幸い屋敷まで近いし、陽羽ちゃんも疲れてるでしょ?とりあえずゆっくり休んで───」
「でも長月君が!殺されたら…どうしよう…違うの…長月君は悪くないの……長月君は…!」
言葉が上手くまとまらない。
私がなんとかしないと。
私が彼を救ってあげないと。
責任が重くのしかかる。早く、屋敷に戻って説明しないと。引き止められた腕を振り払って、屋敷まで行かないと。
「陽羽ちゃん…!」
昼に、後ろから抱き締められる。これ以上進ませないといったふうに、しっかりと。
「辛いよね、助けたいよね。でも、一人で動こうとしないで…。外にはラヴィーネ達がいるかもしれない…。陽羽ちゃんが死んだら…それこそ長月は一人になっちゃう。
陽羽ちゃんお願い。私は絶対に…絶対に貴方を裏切らない。私も陽羽ちゃんと一緒に、長月を救うって約束する…!」
「俺も!大した力は持ってないけど…友達じゃん!この家には結界が張られてるから、居場所がバレる事はないよ。今日は状況を整理して、明日の朝イチに屋敷に行こう」
「……………」
今度は陽羽の目から、涙が零れた。
張り詰めていた糸がぷつりと切れたかのように。重圧から解き放たれたかのように。
一人で、幸雄を助けなければならないと思い込んでいた。
けれど、傍にいてくれる友人がいたのだ。それだけで、とても心強く感じられる。
幸雄を助けるために実行するのは、確かに陽羽しかいないのかもしれない。
しかし、幸雄を助けたいと願う人は陽羽以外にもいたのだ。
きっと、陽羽や昼、悠月だけではない。殲滅隊の仲間もそうだろう。
「……うん……ごめん、なさい……ありがとう…っ…」
一人じゃなくて、よかった。安心感が陽羽の包み込む。
そうだ、陽羽も幸雄も一人じゃないんだ。
だから、必ず助けてあげられる。