第108話
朝六時。
身支度を整えた朝は、朝食も食べずに駆け足気味で地下の訓練所へ向かっていた。
(やっぱり落としちゃったのかな…大切な物なのに…!)
父と母からもらったお守り。
頑張りなさいと、大丈夫だと、そう言って贈ってくれたプレゼントを、早速どこかに落としてしまった事に気付いたのは、朝起きてすぐの事であった。
昨日はずっとカーディガンのポケットに入れていた。陽羽との手合せの際、落としてしまったらしい。
地下へと続く階段を二弾飛ばしで降り、訓練所の扉の前に立った。
早朝にもかかわらず、もう誰かが中にいるらしい。薄暗い階段に訓練所からの光が漏れていた。
(誰だろ…知らない人だったらヤダなぁ…)
恐る恐る、中を覗いてみる。
空を切る音と少し乱れた呼吸音。淡い桃色のグラデーションがかった銀髪を高い位置でまとめ、エメラルドのような瞳を細めて、陽羽が竹刀を振るっていた。
(嘘っ…先輩!?)
声を掛けるべきか迷っていると、陽羽がその場に転んでしまった。竹刀を振り下ろした際、踏み止まれなかったらしい。
「きゃっ!!」
「だ、大丈夫ですか先輩!?」
気が付けは声を掛けていた。陽羽も肩を震わせ、朝の方を振り返った。
その表情に先程までの緊迫感はなく、昨日の穏やかな表情に戻っていた。
「あ、朝ちゃん…!?おはよう…」
「おはようございます…!」
「こんな時間にどうしたの?」
覗き込むようにしていた朝は、陽羽の元へ駆け寄り、竹刀を見つめた。まだ真新しく、新品に近い状態だった。
「実は…落し物しちゃいまして…」
「…もしかして、これ?」
近くのテーブルの上に置かれていた赤い袋を朝に差し出す。白い糸で『無病息災』と刺繍されていて、少しの厚みがある。
それを見るなり朝は顔を明るくさせ、勢いよく頷いた。
「はい!やっぱりここだったんですね…!ありがとうございます!!」
「私は拾っただけだよ…大切な物?」
陽羽の問いに、朝はもう一度頷いた。
「添人になるって…親と離れてここで暮らすって事でしょう?私、一人っ子なので…余程心配だったらしく、お守り貰ったんです」
赤い袋と文字は母が繕って。中には父が撮った家族写真が。大切な両親から貰った、大切なお守り。
それを優しく握りしめ、朝は顔を綻ばせた。
「よかった…。あ、先輩は一体何を…」
昨日聞いた限りでは、陽羽は隊長達のように前衛に立つ事はない。それなのに何故、こんな早朝に竹刀を持って訓練所にいるのか。
陽羽は照れくさそうに苦笑いを浮かべた後、竹刀を竹刀袋にしまいながら、ぽつぽつと話し始めた。
「元々私…母から剣道教えられてたの。『暴漢の一人や二人は撃退出来るように』って。中学も剣道部だったし…」
「へぇ…意外です…」
「でも私…結構鈍臭くて…。よく怪我もするし、力はつかなかったし…止められちゃった」
先程の出来事を見てしまった朝は苦笑いを浮かべるしかなかった。
しかし何故、また竹刀を手に取ったのだろう。
ましてや、陽羽の魔石の扱いはかなり上手い。自ら危険に飛び込むような事をする必要はないと思うのに。
朝の疑問を、まるで分かっていたかのように陽羽は続けた。
「前の事件、知ってるかな…。街がテロリストに襲われたっていう」
「あぁ…でもあれ、魔物の仕業だったんですよね?」
魔人である父から、その件については聞かされていた。そして蓮からも。
「長月君も怪我しちゃって、しばらく刀を握れなかった…。だから私決めたの。もし万が一、長月君が戦えなくなったら、私が…時間稼ぎ位は出来るようにならないと、って」
「…でも…」
「似合わないのは分かってるの…。でも、何もしないよりかはいいでしょう?」
自嘲的に、それでいて柔らかに微笑んだ。その笑みに、朝は出かけた言葉を飲み込むしかなかった。
(師走先輩は…怖くないのかな…)
明るく振る舞う朝にも、恐怖感はある。今まで遠巻きにしてきた魔物との戦いなど、未だに実感も湧かなければ想像もつかない。
それは陽羽も同じだと思っていた。
けれども、今自身の目の前に立つ彼女はまっすぐに、迷いのない目で決意している。
それは愚かな事なのか、素晴らしい事なのか。よく分からなかった。
(アタシには…)
「私は…長月君を守りたいから」
その言葉に、朝はハッと俯きかけていた顔を上げた。
「ただ…それだけだよ…」
「………」
それは添人としての発言なのだろうか。他の意味も含まれているように聞こえたが、真っ直ぐとしたその声色と言葉は、朝の胸に深く響き渡った。
「…あ、…私は…師走先輩みたいに…誰かのために何かを実行するってのは…まだ出来るか分かりません…。でも、私も…皐月君を守りたいと思います…!無力な私でも…大丈夫でしょうか!?」
「…うん。勿論…大丈夫だよ」
ホッ、と肩の力が抜けた。両親から貰ったお守りを握りしめ、にこりと笑った。
「…朝ご飯、食べに行きましょう」
「はい!」
(アタシも…皐月君の力になれるように頑張らなきゃ…)
改めて決意を固め、朝と陽羽は訓練所を後にしたのだった。




