第105話
美里に腕を引っ張られ、部屋に押し込まれるようにして入る。陽羽とは違う、黒い壁紙が貼られていて、全体的にゴシック風の雰囲気の部屋だった。
「そこ座ってて」
「は、はい…」
白い椅子に腰を下ろし、美里がやって来るのを待つ。
やがて、薔薇の花がプリントされたティーカップと、クッキーがのせられた皿をテーブルの上に置いた。
ほんのりと香る紅茶の匂いに心を弾ませ、美里が向かいに座ってからカップに口をつけた。
「…美味しい…」
「長月くんには劣ると思うけど…私も紅茶は好きなの」
「そんな事ないですよ。凄く美味しいです」
「ふふっ、陽羽ちゃんは優しいのね。ありがとう」
ところで、と陽羽はカップを置いて話を切り出した。
「美里先輩と水無月先輩って…姉弟なんですか?」
「…うん。腹違いのね」
やはりそうか、と軽く息を吐いた。侑も言っていたが、美里と侑の顔がそっくりだったのも納得がいった。
「侑くんは…みりのパパが浮気して出来た子なんだって」
「え…」
「つい最近の事なんだけど…侑くんと侑くんのお母さんは二人で暮らしてたの。でも侑くんのお母さんが亡くなっちゃって…一緒に暮らす事になったの」
美里にとっては腹違いの姉弟だが、彼女達の父にとったら息子だ。施設に入れるよりも、引き取る事を選んだのだろう。
「でも…それって水無月先輩の立場とか…」
「うーん…ママは息子も欲しかったらしいから喜んでたよ」
「えぇ…?」
普通、夫の浮気相手の息子を引き取って喜ぶだろうか。疑問に思いつつ、そこは陽羽が心配する事でもないと首を振る。
「みりは弟が出来て嬉しかったし、お姉ちゃんになれて嬉しいよ。ギスギスしてるのはパパと侑くんだけ…」
ぎゅっ、と犬のぬいぐるみを抱きしめる。かける言葉が見つからず、あたふたしていると不意に陽羽の口にクッキーが押し込まれた。
「むぐっ!?」
「陽羽ちゃんが暗い顔しないで?私は知ってるの。パパが侑くんの事大切に思ってるって事。侑くんも素直になれないだけでパパに当たってる事。だから私からは何も言うつもりはないし、悩む必要もないと思ってる」
「……そうですか…」
でも、と陽羽から離れ、美里は申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「侑くんが言った言葉…陽羽ちゃんにとっては辛かったよね。ごめんね」
両親を亡くした陽羽の前で、侑は「死ねばいい」と言ってしまった。
もしも陽羽の両親が生きていれば、頬を叩く事まではしなかっただろう。それ程までに陽羽は怒りを覚えたし、侑を叩いた事を後悔していなかった。
「い、いえ…」
「そこはキツく言っておくから…許してあげて欲しいな?」
「き、気にしてませんので…大丈夫ですよ」
「…ありがとう」
それでも晴れない表情の美里に、陽羽は先程彼女がしたようにクッキーを一つ摘み、彼女の口へ押し込んだ。
「ぅむっ!?」
「…ふふっ」
「…いつか…私と侑くんと…ママとパパと…仲良く出来るから」
「…そうですね」
朗らかに笑うと美里も釣られて笑った。
陽羽には何も出来ない。他人の家族関係に口を出す権利はないと分かっているから。それは美里も分かっていたはずだ。
それでもこうして陽羽を部屋に招き、話してくれたのは、少なからず未来に対する希望を共有したかったのかもしれない。
美里の部屋を後にし、一度自室へ戻ろうと廊下を歩いていると、侑と美里の父親と鉢合わせた。
「あ、どうも…」
「失礼。また会ったね」
男性の手元には、先程までは持っていなかった封筒があった。自然とそれに目を向けていると、男性はあぁ、と口を開いた。
「これは侑と美里の成績表だよ。月に一度貰いに来るんだ」
「そ、そうだったんですね…」
話す話題もなく、気まずい空気が流れる。頭を下げて去ろうとすると、男性が唐突に問うた。
「侑は…ここではどうしてる?」
「…え…」
少々照れ臭そうに、そう聞いてきたのだ。
「…いつも…ゲームをしていて…でもよく話しかけてきてくれて…美里先輩とも仲良くしてらっしゃいますよ」
上手く言えなかったが、陽羽がそう伝えると男性は嬉しそうに微笑んだ。
「そうか。ありがとう」
それだけ聞くと男性は足早に去って行ってしまう。男性はきっと、侑と美里が仲良くしている。その事実だけでも嬉しかったのだろう。
(やっぱり…お父さんなんだ…)
改めて、その事を実感させられる。どんなに悪態をついていても、あの父親は侑に対して嫌いだとか、引き取らねばよかっただとかは言わなかった。
言う気配すらなかったのだから、やはり美里の言っていた通り、素直になれないだけなのだろう。
「………」
男性の姿が見えなくなってから、再び歩き始めると、曲がり角から黒猫のパペットが陽羽をじっと見つめていた。
(………え…なんだろう…あれ……)
つぶらな瞳でこちらを見つめるパペットだが、誰が手に填めているのか分からない。ふと、パペットの手が動かされた。
「…ご、め、ん、ね」
口の動きに合わせて、声がした。一瞬呆気にとられたものの、陽羽はすぐに頬を弛めてその人物と向き合った。
「水無月先輩…何してるんですか」
「わぁぁあ恥ずかしいからこっち見ないでよ…!!」
フードを深く被り、慌てて顔を隠す侑。侑の手から黒猫のパペットを抜き取り、自身の右手に填める。そして、同じく壁に隠れてパペットを動かした。
「こ、ち、ら、こ、そ。ご、め、ん、な、さ、い」
チラッと壁から侑を覗き見てみる。すると同じくこちらを見ていた侑と目が合い、同時に吹き出してしまった。
「ぷっ…あっはははは…!」
「ふふふっ」
パペットを侑に返し、彼の頬を見つめた。
「本当に大丈夫でした?腫れてませんか?」
「大丈夫だよ〜でも、正直言うと魔物の一撃より痛かったかもね〜」
「えぇっ!?」
「冗談」
ニッ、と歯を見せて侑は笑った。はぁ、とみじかくため息をついて、陽羽も微笑んだ。
「…あの、水無月先輩…」
「何?」
一瞬、言うのを躊躇ったが、陽羽は真っ直ぐに侑を見上げた。
「貴方のお父さんは…貴方を大切に思っていますよ…」
「………」
侑は黙って、フードを被り直して陽羽から背を向けてしまった。
やはり、触れられたくない内容だったか、と言ってしまったのを後悔していると、小さく呟かれた侑の声が耳に入ってきた。
「…知ってる…」
「………!」
「……じゃ、じゃあ…!」
そのまま、足早に去って行ってしまう。その後ろ姿は、心做しか彼の父親に似ていたのだった。




