第104話
(暇だなぁ…)
学校の課題を終え、陽羽は机に突っ伏した。
海から一ヶ月の休養を貰ったのはいいものの、陽羽にとっては長すぎる期間で、する事が何もなかった。
「長月君は訓練所かぁ…邪魔するのも申し訳ないし…どうしよう」
ぼんやりと考えたものの、答えは出るはずもない。
のんびりと屋敷の庭を散歩しようかな、と上着を羽織って部屋を出た。玄関に続く曲がり角を曲がった瞬間、誰かにぶつかってしまった。
後ろに倒れそうになるが、ぐいっ、と腕を引かれて前のめりになる。
「きゃっ!?」
引っ張られた勢いでその人の胸に飛び込む形になり、二人して体勢を崩してしまった。
その人を押し倒すようにして倒れ込んだ陽羽は、慌てて身体を起こす。
ぴょこん、とアホ毛が立っている少年。ゲームをしながら歩いていたらしい、侑が陽羽の下敷きになっていた。
「み、水無月先輩!?す、すみません!」
「う、うぅ…」
水色のさらりとした髪を揺らして、薄らと目を開けた。鮮やかなピンク色の瞳に大きなたれ目。初めて見たその顔に陽羽は目を見開いた。
「…美里先輩…?」
まるで鏡に写したかのように、侑の顔は美里の顔とそっくりだったのだ。侑は倒れ込んだまま目を瞬かせ、あぁ、と長い前髪で目元を隠した。
「師走さんごめんね〜。びっくりしたでしょ」
ぶつかった事を言っているのか、はたまたそのそっくりな顔の事を言っているのか。陽羽には分からなかったが、とりあえず首を振る。
「い、いえ…。お怪我はありませんか?」
「大丈夫〜。そっちも?」
「は、はい。大丈夫です」
ポンポン、と服についた埃を払い、侑は立ち上がった。
侑が倒れた拍子に落としたゲーム機を拾い上げるのを見ていると、聞いた事のない声が陽羽の耳に届いた。
「侑。またゲームなんぞしているのか」
「あ?」
侑の知り合いらしい。心底鬱陶しそうに口元を歪めて、声の主を見上げた。釣られて陽羽もその視線を追う。
白髪の交じった黒髪を清楚に短く切りそろえ、キリッとした目付きのスーツを着こなした男性。
歳は四十半ば程だろうか。黒縁の眼鏡を押し上げて、ため息をついた。
「前髪を切れと何度言わせるつもりだ。いい加減にしなさい」
「アンタに言われる筋合いないんだわ。つか何でここにいる訳?とっとと消えてくんない?このハゲ」
ビシッと中指を立てて舌を出す侑。どうするべきかと侑と男性を交互に見つめるも、お互いがお互いを睨んでいて、陽羽が介入する余地は少しもなかった。
「口調を改めなさい。ゲームの女なぞに現を抜かしている暇があるなら、少しは勉強をしたらどうなんだ」
「まぁたこじつける。趣味を楽しんで何が悪いの?それに、二股した野郎が偉そうに騙ってんじゃねぇよ」
「私はお前の将来を考えて言っているんだ。いつまでも画面に向き合っていると、現実との境目が分からなくなるぞ」
「うっせ。こちとら毎日毎日大変なんだよ。アンタと違ってな。少し位逃避したっていいじゃん」
「自分だけが苦労していると思うなよ。限度を考えろと言っている。人生において役に立たない娯楽に金を使うのも愚かしい」
「ハッ。勝手に言ってろ」
「侑。少しは美里を見習ったらどうだ。成績もかなりの差があるじゃないか」
「僕と美里は違うんだから差があって当然じゃん」
「仮にも姉弟だろう。少しは見習おうとは思わないのか」
「姉弟は姉弟でも腹違いじゃん。アンタが浮気して出来た女の息子と、アンタと結婚した優秀な女の娘と。違って何がおかしいの?そんなに僕の事嫌いなら捨てればよかったじゃん」
「水無月先輩!」
今まで黙っていた陽羽が、侑の肩を掴んだ。それでも構わずに侑は続ける。
「僕の事、どうせ恥だとでも思ってんでしょ?なら関わってくんなよ。僕はアンタを父親と思った事なんて一度もない。さっさと消えろよ。アンタなんかさっさと死ねば───」
パァンッ、と侑の言葉を遮って、乾いた音が廊下に響き渡った。
じん、と痛む陽羽の右手と、侑の頬。呆気に取られたような表情を浮かべ、侑は視線を陽羽に移した。
「やめてください!いくらなんでも、言っていい事と悪い事があります!」
陽羽の悲鳴にも近い怒声が、廊下に響き渡る。しん、とそれまでの口論が嘘のように静まり返る。
侑は無言で、背を向けて去っていってしまった。廊下に陽羽と男性が取り残される。が、すぐに他の声が廊下に響く。
「パパ。また喧嘩してたの?」
「美里。…なんでもない。お前からも侑に言ってやってくれ」
美里は犬のぬいぐるみを抱きしめ、うーんと曖昧な返事を返した。
「ママは元気にしてる?」
「あぁ。たまには帰ってこい」
「うむ」
「それじゃあ、またな。……お嬢さん」
「は、はい…?」
男性は眼鏡越しに陽羽を見つめ、軽く頭を下げた。
「愚息が失礼した。申し訳ない」
「い、いえ…私も…息子さんの事、叩いてごめんなさい…」
「気にする事はないよ。お嬢さんが正しい」
では、ともう一度頭を下げて去っていく。呆然とその背を見つめていると、くいっ、と陽羽の袖が引っ張られた。
「あ、美里先輩…」
「ごめんね。侑くんとパパ。会うといつもあぁなの。お詫びに紅茶とお菓子を用意するから、部屋にいらっしゃいな」
「あ、…ありがとうございます…」




