第101話
父と母に連れられ、陽羽はとある建物へやって来た。中世ヨーロッパを連想させるゴシック調の屋敷だ。
(おしろみたい…)
五歳の陽羽の何倍の高さもある門を潜り、薔薇の花が咲き乱れた庭を歩く。
「…おかあさん…ここはどこなの?」
手を繋いでいる母を見上げて、陽羽は問うた。母はにっこりと笑って答えた。
「お母さんの職場!ここでお仕事してたのよ」
「そうなの?」
「えぇ。あなた、空君を呼んでくるわね」
「うん。行ってらっしゃい」
母は陽羽の手を離して建物の中へと入って行ってしまった。行き場をなくした手をぷらぷらと揺らして、陽羽は父を見上げた。
「おかあさんは?」
「すぐ帰ってくるよ。お父さんと一緒に待っていようね」
優しく、頭を撫でてくれる。はにかみながら頷いた。
改めて、陽羽は屋敷を見上げてみる。絵本で見たお城その物だ。豪勢な外観を前にしても、所詮子どもの感想というのはそんなものだ。
小さな口を開けてはぅ、と感嘆のため息を漏らす。と、屋敷の扉から母が出てきた。
姿を見つけ、駆け寄ろうとすると、母の後ろに知らない男性が出てきたので躊躇ってしまう。
茶色い髪に切れ長の目。鋭い目付きを隠すかのようにかけられた丸眼鏡を押し上げて、男性は笑った。
「…!」
思わず父の手を握った。怖い、という訳ではないのだが、どう反応すればいいのか分からず、小さく頭を下げるしか出来なかった。
「陽羽〜。このお兄さんはね、お母さんの友達なの。くぅちゃん、って呼んであげて」
「くぅちゃんって呼ぶのは陸ちゃんだけで充分だよ」
陽羽は男性を見上げる。視線に気付いた空はにこりと笑って陽羽と目線を合わせてくれた。
「やぁ陽羽ちゃん。僕の名前は空」
「くぅ…?」
おかしな名前だ、と首を傾げる。うん、と空は頷き、手を陽羽に差し出した。
「よろしくね?」
「………よ、よろしく…おねがいします…」
おずおずと手を差し出し、握手する。
「わ〜手ちっちゃい。それに可愛い」
「へっへーん!自慢の娘だもの。嫁になんかやるもんですか」
胸を張って母が言う。父は隣で苦笑いを浮かべていて、空も肩を竦めていた。
「それはディ…満さんの台詞では?」
「いいのよいいのよ!そうだ、あの子達は?」
前のめりになって、母は聞いた。心做しか陽羽もわくわくとした表情で空を見上げていた。
「お昼寝中。あ、幸雄君だけ起きてるよ」
「あの子全然寝てなくない?大丈夫?」
「必要な分の睡眠時間は摂ってるよ。まぁ、中に入ってお話しよう」
空の後に続いて、父と手を繋いで屋敷の中へ入る。赤い絨毯が敷かれた玄関を歩き、ふと天井を見上げるとキラキラとしたシャンデリアがあった。
「あわっ…キラキラ…」
「綺麗だね」
「うん…!」
「あ、いたいた。幸雄くーん」
空が呼びかけると、一人の男の子が立ち止まった。穏やかな青色の髪に、美しい黄色の瞳。しかし、右の瞳は赤色と、左右で色が違った変わった目だった。
「………」
男の子は陽羽を無言で見つめた後、空の元へ駆け寄った。
「陽羽ちゃん、この子は幸雄君。仲良くしてあげて」
「は、はい…?」
「ふふっ。いい子にしててね。すぐ戻るから。あなた、頼んだわね」
「うん」
そう言い残して、父と、陽羽と、幸雄を残して母と空は去って行ってしまう。陽羽はスカートの裾を掴んで、幸雄を見つめた。
「し、しわす…ひわです…」
「…幸雄…」
「…よ、よろしくね…ゆきおくん」
「うん」
無機質なロボットのようだった。終始無表情で、短く返事をする幸雄に戸惑いを覚えつつ、陽羽は視線を彷徨わせた。
「…あぅ…えっと…」
「……本、すき?」
ふと、幸雄がそう聞いてきた。陽羽は呆気にとられたがすぐにこくこく、と頷いた。
「…こっち…」
ぎゅっ、と手を掴んで、どこかに向かって歩き始めた。後ろから父が着いてきてくれているので、不安感はない。幸雄の後ろ姿を見つめつつ、手を強く握り返した。
幸雄に連れられやって来たのは、沢山の本が並べられている部屋だった。分厚い本が多いものの、絵本も置かれていた。
「わっ…」
「いっしょに、よもう…?」
返答に困り、思わず父を見上げた。父は小さく笑った。
「いいよ。ここで待ってるから、好きなだけ遊んでおいで」
「う…うん…。いいよ…」
幸雄と共に、絵本が並べられている棚へ移動する。
「すきなの、よんでいいよ」
「いいの?」
「うん」
「…ありがとう…!」
陽羽は一番近くにあった絵本を手に取った。その場に座り込んだ幸雄の隣に並ぶようにして座り、ページを開いた。
「…ゆきおくんは…よまないの?」
「陽羽ちゃんといっしょにみる」
「…そっかぁ…じゃあわたしがよむね…。むかーしむかし、あるところに─」
適当に本を手に取り、満は陽羽の声に耳を傾けていた。姿は見えないが、読み聞かせしているらしい。
(微笑ましいな…)
「あなた」
そこそこの時間が経っていたらしい。本から視線を外し、宇宙を見上げた。
「終わったのかい?」
「えぇ。子ども達の体調も、悪影響は出ていないみたいだし…」
「それは良かった」
「でもやっぱり幸雄君は…」
宇宙の目が悲しげに伏せられる。
詳しい事は満にも分からないが、幸雄は魔力の埋め込みに失敗したらしい。そのせいでか感情の起伏が乏しい、と聞かされている。
「…大丈夫だよ。なんとかなる」
「…えぇ。ありがとう。二人は?」
そういえばさっきまで聞こえていた声が聞こえない。陽羽達がいるはずの絵本の棚へ歩み寄る。
「!…宇宙。おいで」
小声で手招きする。不思議そうに首を傾げながら覗き見た宇宙も、それを見て頬を弛めた。
「まぁ。ふふっ」
お互いに寄りかかるようにして、陽羽と幸雄は眠っていた。満はそっと陽羽の手から絵本を抜き取り、棚に戻した。
「寝てるね」
「可愛いわね」
パシャリ、と宇宙が携帯で写真を一枚撮る。
「幸雄君を空君の所へ連れていきましょう。あなたは陽羽を連れて玄関で待っていて」
「分かったよ」
満は陽羽を抱き上げて。宇宙は幸雄を抱き上げて。それぞれ別れた。
後に目が覚めた陽羽が目元を潤ませたのは、この時点では満も宇宙もまだ知らない。
幸雄の姿を探して、陽羽は書庫を訪れていた。
(なんだろう…懐かしい感じがする…)
そう抱いたものの、詳しくは思い出せない。思い違いだろうと首を振って、幸雄を探す。
ふと、小説が置かれている棚へ視線を移す。
「…あ、いた…」
棚にもたれかかって、幸雄は目を閉じていた。開かれていた本がパタリと閉じてしまう。
(寝てる…?)
隣に座り、幸雄の顔を覗き込んでみる。
「…おーい…」
小さく、呟くように呼びかけてみる。それでも幸雄が起きる様子はない。
「………」
幸雄が手にしていた本を手に取ると、がくん、と幸雄が倒れかかってきた。
「わっ」
肩が一気に重くなる。しかし不愉快ではない。むしろ嬉しくて頬が緩む。
「ふふっ…」
幸雄が目覚めるまでそのままの体勢で、陽羽は寄りかかる彼の髪を優しく撫でた。




