フェイス・トゥー・フェイシィズ 01
先日引退したマスク・ザ・ダンディの後を継いだニューヒーロー――魔法少女ダンディ。その正体を知るものは少ない。
そしてその数少ないうちの一人、ハスラー・インクラインは頭を抱えていた。大企業のヒーロー事業部部長という肩書きのエリートには少し似つかわしくない姿だ。
彼の執務机の前にはその悩みの種がむっつりと立っている。がっしりとした四〇過ぎの大柄な男だ。
やるせなさをすべて体中から吐き尽くすかのようなため息をつくと、ハスラーは彼に対して落ち着いた声で話しかけた。だがこめかみに浮き出た血管をひくつかせている。機嫌の悪さを隠しきれていない。
「あのですね、ダニエル君……。君、クビになったんじゃあないんですかねえ?」
「や、やだな~、部長……」
ははは、と引き攣った笑みを浮かべながら大男は答えた。
彼の名前はダニエル・ロス。先代ダンディ保険会社の看板ヒーロー、マスク・ザ・ダンディの正体だ。そして――現看板ヒーロー、魔法少女ダンディの正体でもある。
そんな彼をうんざりと見つめるハスラーにダニエルは身振り手振りを交えながら説明する。
「クビになったのはあくまで『マスク・ザ・ダンディ』であって『ダニエル・ロス』ではない……と、社長ですよ? 社長がそう言ったんですよ?」
ハスラーの鋭い視線に射抜かれてダニエルは慌てて付け足した。
この高層階の窓から放り投げてやるぞ、とでも言いたげな殺気をハスラーが放っていたのだ。荒事とはまるで縁のなさそうな痩せぎすの男だというのにこの迫力。正直に言って昨日の武装強盗たちなんかよりもよっぽど怖い。
ハスラーはしばらくダニエルをじっと睨みつけた後、ため息をもう一つつき「またですか……」と零した。
「社長のヒーロー道楽にも困ったものです。無茶を通すにも程がある。物事には決まり事ってものがあるでしょうに」
「明文化されていない以上、違反もクソもない! ……ってこれも社長が言ってました。俺は悪くないです」
剣呑さを増したハスラーの眼差しに、またダニエルは慌てて付け足した。当事者かつ脱法ヒーローの就任に自分も一枚噛んでいるというのにこの言い草。この態度。はっきり言ってセコい。お茶の間のヒーローファンの前には出せない姿だ。
そんなダニエルの姿を苛正しげに睨みつけながらも、ハスラーは「ま、仕方ないですけどね」と言った。
「そ、そうですか~。いや、そうですよね! さすが部長! 話がわかる。よっ、色男!」
「別に社長とあなたの屁理屈を認めたわけじゃないですよ。ただ私には社長の決定を覆す権限がない、と言うだけです。たぶん役員会にもっていけば一発アウトですよ」
「いやいやいや、そうじゃなくて……。えーと……そう! 柔軟な対応力、起きてしまったことに対してウダウダ言ったりしない器の大きさ。まったくもって素晴らしい! もしかして部長、ヒーローに向いてるんじゃないですかー、なんちゃったり……」
「無理に褒めていただかなくても結構ですよ、ダニエル君。私は君の言うような人間じゃあありませんしねえ。なんていったって君のしでかしたことで言いたいことが山ほどあるんですから」
ハスラーはゴマを擦ろうと身を乗り出してくるダニエルを押しとどめてそう言った。大柄な体がハスラーの視界いっぱいに広がって非常にうっとうしい。
「い、言いたいこと……とは?」
「私は何度も君に我が社のヒーローは広告塔だ、と言いましたよね? 言っていましたよねえ!?」
「え、ええ……まあ……」
激しい剣幕に押されて曖昧な返事をすることしかできないダニエルに、ハスラーは何社もの新聞の束をズイと突き出した。すべて彼が街の売店で買ってきた今朝の朝刊だ。そのほとんどの一面に昨日のドーフィン銀行強盗逮捕の見出しがある。サウスコースト新聞やミリオンタイムズ・ポストなどといった大手新聞社も取り上げていた。
だがそこには「ヒーロー活躍」の文字はない。いくつかの新聞の片隅に小さく「謎のヒーロー登場か?」と書かれている程度だ。
ハスラーはそれらの記事を指し示しながらまくしたてた。
「本来ならここに『ダンディ保険会社所属のヒーロー・魔法少女ダンディ』の文字が入っていたはずですよねえ? どうして昨日の強盗を捕まえた後、警察や報道陣が到着する前に帰ってしまったんです? ヒーローデビューとしては申し分のない舞台だったはずですよねえ? 絶好の企業イメージのアピールチャンスだったはずですよねえ?」
「その……すみません……」
「謝罪よりも『どうして帰ってしまったのか』を教えてくれませんかねえ? 腐っても、一応は、百歩譲って、とりあえずは、ベテランヒーローなんですから我が社の名前を売ることの重要性はもちれろんとっくにご存知だと思うんですけれども?」
「散々な言われようだな、俺……」
ダニエルは軽く頬を掻きながらそうぼやく。そのまま彼はどうハスラーに答えたものか少し迷ったが――下手に誤魔化しても事態が好転するようなことなどないのだ。結局、正直に答えることにした。決して冗談や言い訳を並べてハスラーに殺されるのが怖かったわけではない。ない。
「恥ずかしかったんです」
「は?」
「恥ずかしかったんです」
「恥ずかしい? 何が?」
「俺、女の子の恰好だったわけじゃないですか。男の俺がそんな姿をしているってのはちょっと――」
「仕事でしょう? それに前のマスク・ザ・ダンディの恰好だって恥ずかしさならいい勝負ですよ」
「アンタ、ダサいとか恥ずかしいとか、ホント俺に対して遠慮ないよな。俺に対して恨みでもあるのか」
「ま、過ぎてしまった頃は仕方ないです。『謎のヒーロー』の姿と名前はいずれ大々的に発表するので、以後このようなことはないように」
ダニエルの抗議を含んだぼやきを無視してハスラーは新聞を片づけてしまった。この話について『は』これでおしまい、ということらしい。
――ところでダニエルの姿は目立つ。二メートル近い巨体にスーツの上からでもわかる盛り上がった筋肉。それに加えて特徴的なモミアゲとくっきりと割れた顎。たとえド派手なヒーロースーツを着ていなくてもダニエルの姿は個性的で記憶に残りやすい。人混みに紛れたウォーリーよりもよっぽど見つけやすいのだ。
そんなダニエルの姿を頭のてっぺんからつま先までじろじろと見ながら、ハスラーは「それとダニエル君――」と続けた。
「社長の屁理屈はともかく、他の人は君がこの会社を、ヒーローをやめたと思ってるんです。なのにそんな恰好のままここに来て……いいと思ってるんですか?」
「それはどういう意味……なんですか?」
「言葉通りですよ。君はここにいちゃいけない人間なんです。――君がうちの新しいヒーローになったという事情を知らない人間にとっては。そして事情を知っている人間が増えることは我が社にとって好ましくない」
「つまり……?」
ハスラーが何を言おうとしているのか薄々予想はついたが、ダニエルは聞き返さずにいられなかった。万が一、と言うこともある。もしも予想が外れていたのならば万々歳だ。
だが。
「変身して出社してください、と言っているんですよ。もちろん業務時間中も変身を維持してください」
ハスラーの言葉はダニエルの予想通りで残酷だった。当然、ダニエルは口から唾を飛ばす勢いで反論する。
「冗談じゃない。部長、あの姿に変身するときにどれだけ辛いのかわかります? 昨日、強盗を捕まえた後、変身を解除するときにもまた気絶しかけたんですよ? 痛くて! それを毎朝毎夕、繰り返せって言うんですか?」
「言いますよ。当然じゃないですか。もっと言えば、ヒーロー業務は対症療法的なものですから何かあれば深夜にでも変身してもらいますけれど」
「非道い! まさにこの字面がぴったりだ! ひでえ! 俺に痛みで悶絶死しろとでも!?」
「そんなこと一言も言ってないじゃないですか。別にずっと変身したままだっていいんですよ。むしろそっちの方が都合がいい。うちのヒーローが変態女装ヒーローだ、なんて悪評が立つこともないでしょうし」
「部長、全然違いますよ! 俺が自分から女の子の恰好をしているって言うんですか? 喜んでるって言うんですか? そんなわけないでしょう!? 俺のは変身! 決して変態でも女装でもないです! 悪いのはあの技術部のクソ主任のせいだ! あいつにハメられたんですよ! 俺はあんな恰好じゃなくてメタリックなスーツに包まれたニッポンの特撮ヒーローみたいになれると思っていたのに! 部長、アンタの言ってたクール、ポップ、アンド、スタイリッシュなCPSにさあ! だってそうだろ!? こんな変身ベルトを渡されたら誰だってそう思うに決まってる!」
ダニエルは吠えた。あらん限りに吠えた。
彼にとっては譲れない一線だ。ダニエル自身が好き好んで、いたいけな女の子の恰好をしているように言われるのは我慢がならない。
もちろん他人に迷惑をかけない限りにおいて性癖に偏見を持っているわけではないが、アブノーマルな性癖を容認することと、自分がアブノーマルな性癖持ち――いわゆる変態――とみなされることを容認することは大違いだ。
事実無根の誹謗中傷。だから吠えた。ついでに誇りと愛着を持っていたマスク・ザ・ダンディをクビにされたことについての不満も、ヒーローデザインをリブートしてのテコ入れが失敗したことについての落胆も併せて吠えた。
「ダニエル君、落ち着いて」
取り乱してまくしたてるダニエルの様子に気勢を削がれたのか、幾分と柔らかい口調でハスラーが言った。
「だから変態だと思われないように変身するんじゃないですか」
「へ……あれ……? なるほど……? いや、でも――」
ぽかんとした間抜け面を晒し、どこか納得いかないような顔をするダニエルに対し、ハスラーはさらに言葉を畳みかける。
「そうですとも。誰も君を変態扱いなんかしてませんよ。だから泣かないでください」
「泣いてねえよ」
「半泣きじゃないですか……。それにダニエル君、何事にもふさわしい恰好と言うものがあるでしょう。会社にパジャマで通勤してくる人がいます? ホテルの晩餐会にビーチサンダルで参加する人がいます? 着替えと似たようなものだと思えばいいじゃないですか」
「普通は着替えるのに激痛なんか感じませんけどね」
「君は普通なんかじゃない。『特別』なヒーローじゃないですか」
「え……? 確かに……、あい、いや、誤魔化されませんよ? そんな言葉で丸め込もうたって、子供じゃないんだから……」
そうは言いながらもダニエルは口元の緩みを抑えきれていない。彼はいい歳こいてヒーローなどという不安定な職業にしがみついているのだ。人助けがしたいという崇高・美麗な目的の他に、人から感謝されたい、褒められたい、特別扱いされたい、という気持ちを持ってないと言えば嘘になる。
そんなダニエルの様子を目の端で捉え、内心「ちょろい奴め」との感想を抱きながらもハスラーは言葉を続ける。
「ま、とにかく『魔法少女ダンディ』。――相変わらずふざけたネーミングですね」
「文句は社長に言ってくださいよ」
「ダンディの正体がバレないように細心の注意を払ってください。あなたの正体がバレたときの損失額を考えるだけでも恐ろしいので」
「どうしても変身はしていなくちゃいけませんか……」
「プライベートならダニエル・ロスとして過ごしていただいても構いませんよ。ただしヒーロー関連の仕事とそのために必要な準備をしているときは魔法少女ダンディでお願いします、と言う話です。それとわかっていると思いますが変身は――」
「人前でしない。公共の場所でしない。ヒーロー三原則のうちの一つ『ヒーローは正体を明かしてはいけない』でしょう? わかってますよ。……それでも部長……なんとかなりませんかね……」
そうダニエルが未練がましくハスラーに訴えかけようとしたところで電子音が響いた。ダニエルの左腕に腕時計代わりに巻いてあるブレスレット型の通信機からだ。同時にポケットの中のスマートフォンやハスラーのスマートフォン、執務机の上の電話も一斉に鳴り出す。
緊急事態。ヒーローの出動要請だ。
「ま、言いたいことは色々とあるんでしょうけれど……何はともあれ仕事が優先です。出番ですよ、『ヒーロー』」
受話器を取り上げたハスラーはそう言いながら視線を上げた。だがそこにはもうダニエルの姿はなく、ちょうど乱暴に扉が閉まるところだった。
「まったく……ブリーフィングもあるというのに……」
ハスラーは呆れたように吐き捨てながらも、口の端をほんの少し持ち上げるようにしてうっすらと笑みを浮かべた。
ダニエルは見返りを求めてヒーロー活動をする俗物ではあるが――、同時に心の底から人のために戦うヒーローでもある。そして脳まで筋肉でできているような単純馬鹿だが、それ故に一つのことを考えている間は他のことを考えることができない。つまりはこの瞬間、その精神において純粋に人を助けることしか考えないヒーローの鑑のような男である。実力のほどはさて置く。ついでにヒーロー『魔法少女ダンディ』に変身すれば男でもなくなるのだがそれもさて置く。重要ではない。
要はマスク・ザ・ダンディ、ひいては魔法少女ダンディはハスラーがなんだかんだ言いながらも応援したくなるようなヒーローだということである。
だが脳筋なのでサポートがいる。だからすぐにハスラーは『ダンディ』がヒーローとして活躍できるよう、通報元からの事件の概要を聴取、整理、まとめる作業に入った。