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フェイス・オフ・ノーマン

 ノーマン・ウェスティンは白い部屋の中で目を覚ました。壁も白。天井も白。シーツも白。清潔感のある部屋だ。

 首を動かしてみれば、自分の横には点滴のスタンド。規則正しく電子音を立てる機械。酸素タンクに吸入器。まるで病室のようだ。彼はまだ麻酔の残る朦朧もうろうとした頭の片隅でそんなことを考えた。

 実際のところは、ようだも何も、ブライトン総合病院の病室そのものである。


 頭を振り回されているかのような浮遊感と頭痛の中で、ノーマンはどうして自分がこんなところにいるのかを思い出そうとした。


 自分は家路につくためにハイウェイを運転していたはずだ。

 いつも通りのはずの道。違うところといえば行く手の先に黒煙が上がっていたことか。

 始めのうちは「火事かな」と考えていた。

 だが消防車など一度も見なかった。見たのは慌ただしく追い抜いていくパトカーばかり。

 そしてまたすぐに黒煙が上がった。そしてまた一本。一本、一本、また一本。だんだんと近づいてくる。


 嫌な予感がするな、と思っていたところに、反対車線からパトカーの一団が走ってくるのが見えた。そしてその少し先には暴走する黒いバン。

「カーチェイスだ!」そう気づいた時にはもう遅かった。

 再びパッとパトカーの一団から炎が上がり、次の瞬間には自分の車の目の前に一台のパトカーが吹き飛ばされてきていたのだ。――今思えば、おそらくバズーカか何かでも撃ち込まれたのだろうけれども。

 しかしその時のノーマンには何が起こったのかわからなかった。ハンドルを切ることもブレーキペダルを踏むことも間に合わず、ノーマンは為す術もなく――。


 そこから先の記憶はない。だがどうやら病院に担ぎ込まれ、一命はとりとめたらしい。

 ノーマンはゆっくりと手足を動かしてみた。

 右手、右足。左手、左足。それぞれの指先。

 動く。下に移した視線の先で、薄手のシーツが自分の意志に合わせてもぞもぞと動いている。

 どうやらひどい事故に巻き込まれたにもかかわらず、五体満足ではあるらしい。神経も問題ないようだ。

 ノーマンはほっと溜息をついた。


 麻酔が薄れてきているのか、それとも生きていることに安堵したせいなのか、ノーマンの体に感覚が少しずつ戻ってきていた。

 全身が包帯で巻かれているが、痛みはほとんどない。もしかすると重症ではないのかもしれない。ただ心臓の鼓動と共に押し寄せてくるむずがゆさがあるだけだ。


 徐々に意識がはっきりしてくる。それに合わせて感覚も。

 真っ白な部屋の壁をぼんやりと見つめながら、ノーマンは一つのことが気になって仕方なかった。


『地獄のような苦しみ』という比喩がある。これまでノーマンはそのようなものは痛みや、火に焼かれることだと思っていた。しかし今ここに至ってノーマンは考えを改めるに至った。

 彼が思うに、地獄のような苦しみとは『かゆさ』だ。包帯の下の顔が耐えきれないほどに痒い。耐えきれないので掻きたいのだが、分厚く覆われた包帯の上からではいくら掻きむしってみても痒みはまるで治まらない。

 痛みならまだ我慢できる。最悪――患者である彼自身が自由に使うことはままならないが――、モルヒネを使うという選択肢もあるだろう。

 だが痒いのは――気が狂いそうだ。


 痒い。

 包帯を外して、顔を外気に当てることができたのならどんなに気持ちいいだろう。

 痒い。

 包帯を外して、指先で優しく刺激することができたならどんなに気持ちいだろう。

 痒い。

 痒い痒い。

 痒い痒い痒い。なんとかしてくれ――。


 ノーマンはおっかなびっくりベッドから降りた。少々筋肉が引き攣るような感覚があるが、問題となるようなほどではない。フラつくこともなく、むしろ体が軽く感じられ調子がいいくらいだ。相も変わらず襲い来る痒み以外は。


「早く早く」とく心をなだめながら、部屋に備え付けられていた鏡の前に立つ。

そしてノーマンは包帯を外していった。今すぐにでも顔を掻きむしりたい衝動を抑えつつ、ゆっくりと、だが最大限に急いで。


 包帯がすっかりと取れた。薄いガーゼ越しに軽く爪を立てる。

 瞬間、ノーマンは電流に打たれたかのように小さく体を跳ねさせた。

 気持ちいい。まるで快感が弾けながら体中を駆け巡るかのようだ。

 ノーマンは夢中になって顔を掻き散らした。

 気持ちいい。気持ちいい――。


 ここでやめておけばよかったのかもしれない。

 だが我慢に我慢を重ねたところに与えられた『掻く』という快感。そしていくら掻いても掻いても解放されない『痒さ』という苦痛。

 この二つの相乗効果によりノーマンの手は止まることはなかった。


 そして――執拗に掻きむしられる動きにガーゼが耐えきれず、ハラリと顔から剥がれ落ちた。

 ガーゼの下から出てきたのは――ぐちゃぐちゃになったモノ。


 最初、ノーマンはそれが何かわからなかった。わからないでいたかった。

 だが。

 削り落とされたような鼻。唇がなくなり、剥き出しとなった歯茎。まるで髑髏どくろに生肉を適当に貼り付けたかのようなモノ。

 それは――どうやら自分の顔であるらしい――。


 がしゃん、と静かな病室内に鏡の割れる音が響いた。あまりのおぞましさに、ノーマンは思わず鏡に拳を叩きつけてしまっていたのだ。

 だが、それで鏡像がすべて消えるはずもない。床に散らばった鏡の破片には相変わらず醜く赤黒い顔が映り込んでおり――、何より鏡を叩き割った時に拳を切ってしまったのだろう、流れ出る地と共に伝わってくる痛みが「これは夢ではない」とノーマンに伝えてくる。


 痛い。

 夢じゃない。

 痛い。

 痛い痒い。

 痒い。痒い痒い痒い。


「あら。ノーマンさん、目が覚め――、ひっ!」


 病室の扉を開けて入って来た年かさの看護師の女性が、怪物のような素顔を掻きむしっているノーマンを見て軽く息を呑んだ。

 だがさすがにプロだ。すぐに呼吸を整え、笑顔を浮かべると「ダメですよ、ノーマンさん。ちゃんと包帯を巻いていないと治るものも治りませんよ」と言った。


「先生ももうすぐいらっしゃいますからね? 少し待っていてください。ほら、顔をそんなに掻かないで。家族の方ももうすぐ――」


 彼女は何かを言っていたが、既にノーマンの頭には入ってこなかった。

 こいつは何を言ってるんだ? まず俺の顔をどうしたのか説明するべきだろう? なんで俺の顔がないんだ痒いんだ? 説明できない、痒い、理由でもあるのか? 痒い。そうか、わかったぞ――。


「――たな?」

「はい?」

「――やがったな?」

「どうかしました? 大丈夫ですから、ほら、横になって少し待っていてくださいね」

「俺の顔を盗みやがったな!?」


 ノーマンは右手で素早く床の鏡の破片を拾い、振り上げざまに看護師に斬りつけた。

 顎の先に切っ先がさくりと吸い込まれるように入った。


「俺の顔を返せ!!」


 不幸なことに彼女はノーマンの声を聴こうと体を乗り出していたので――顎の先から前頭部にかけてをすっぱりと斬り飛ばされた。

 凶器と怒りでリミッターが外されたのか、理外の能力が働いたのか、常人では為しえない動きと力だ。

 そのままノーマンは斬り飛ばした彼女の顔を空中で左手で器用にキャッチすると、それを自身の顔に押し当てた。


「――チッ」


 ノーマンは舌打ちを零した。

 ――馴染まない。彼女が顔を盗んだのではなかったのか。

 ノーマンが切り取った顔を床に放り捨てると、それに合わせるかのように看護師の体が床に倒れ込んだ。

 それが少し面白くてノーマンは少し笑ってしまった。


「ざまあみろ。お前が俺の顔を盗んだんじゃなかったようだけどな、真犯人を教えないんなら同罪だ。少しそこで反省していろよ」


 しかし――。

 ノーマンは手元を見やながら、ぐちゃぐちゃの顔を歪めて困ったような表情――らしきものを浮かべた。


 手がべっとりと血で汚れてしまった。こんな手で顔を掻いたら症状が悪化してしまいそうだ。

 そう俺は顔を掻きたいんだ。相お変わらず顔が痒い。気が狂ってしまいそうだ。

 俺の顔を取り戻せたのなら、この痒みも治まるのだろうか。治まるはずだ。


 狂った頭で狂気についての笑えない冗談のような心配をしながら、ノーマンは手を洗うためにトイレへと歩く。

 そこへ彼の背中越しに絹を裂くような悲鳴が聞こえた。ノーマンが振り向いた先には、白衣の男と子連れの女が一人。


 きっと俺の顔を盗んだ奴の仲間に違いない。

 ノーマンは十メートルの距離を一瞬で詰めながらそんなことを考えた。


 ――だって。

 こいつらの連れているガキの顔は俺の顔によく似ている――。


 のちに連続猟奇殺人犯として指名手配される顔なし(ノーマン)ウェスティンはほくそ笑み、右手の鏡の破片を振り下ろした。

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