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リタイア・フロム・ダンディ

「言いにくいことなんですけどねえ。我がダンディ保険株式会社としては来シーズン以降の君との契約は考えていないんですよ」


 ミリオンタイムズ・シティの中心街にある高層ビルの一室で、ハスラーはやって来た男に挨拶もそこそこにそう言った。

 神妙な顔をしつつも慇懃無礼いんぎんぶれい。どこかねちっこい話し方だ。聞く人によってはかんさわるかもしれない。

 そしてハスラーは書類を相手にズイと突き出した。


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」


 書類を差し出された大柄な中年男は慌てて反論した。

 よくあるリストラ勧告の風景なのだが、少しだけ普通と違う点がある。

 中年男は顔の上半分を隠したマスク――いわゆるドミノマスクを着けているのだ。


 彼の名前はダニエル・ロス。ヒーローだ。

 ヒーローネームはマスク・ザ・ダンディ。長年ミリオンタイムズ・シティの平和を守ってきたベテランヒーローである。

 四十を超えているはずなのに筋骨隆々。灰色のジャケットの上からでもその肉体が鍛えこまれていることがわかる。


「今まで俺はヒーローとしての役目を果たしてきましたよ!? だのになんで急に……」

「ヒーローとしての役目……ですか。ええ大変、大変結構なことですねえ」


 ハスラーは落ち着いた声で言った。


「ボロアパートに侵入しようとしたコソ泥を捕まえたり、足腰の弱った老人をおぶって道を横断したり――結構なことです。……なんですけどねえ、我が社はそんな地方新聞の社会面に小さく出るようなことのためにヒーローを雇っているわけじゃあないんですよ。もっとスリリング、アンド、エキサイティングにヒーロー活動をやってもらいたいんです」

「エキサイティング? 凶悪な犯罪者やスーパーパワーを持ったヴィランなんかと戦えってことですか? それなら今までにも何度でも――」

「ええ、ダニエルさん。過去何度も戦ってらっしゃいますねえ。……そしてその度に莫大な賠償金請求が我がヒーロー事業部にやってくる。これはどういうことですか? ちょっとやそっとなら仕方がない、とも思えますが、毎度毎度、事業部の予算を圧迫するレベルだと困るんですよ」

「金のことを心配なんてしてたら平和なんて守れやしませんよ」

「この馬鹿!」


 ハスラーが思わず、といった様子で叫んだ。


「おっと失礼。……何度も言っていますけどねえ、我が社はヒーローを広告塔として雇っているんです。企業のイメージアップ、ブランドの確立。だというのに我が社のヒーローが破壊活動なんかしていちゃあいけないでしょう?」

「破壊活動って……それは人を助けるのに仕方なく……」

「お聞きしたいんですけど、ビルから落ちそうな人を助けるのにビルを壊す必要があります? 暴走バスを止めるのに一般市民の車をぶつける必要があります? むしろ派手に被害が広がったとは思いませんか?」

「結局みんな助かったんだからいいじゃ……」

「この馬鹿!」


 ハスラーが再び叫んだ。今度は額に青筋まで浮かべている。


「おっと失礼。……その結果として我が社は多額の賠償金を各方面に支払うことになりましたし、テロヒーローを雇っているなどの悪評も立って株価も大きく下がりました。損失額の総計、聞いてみます? あなたが一生かかっても払いきれやしないところまできてるんですよ? まったくこんな問題児の不人気、ロートル、ダメヒーローじゃあ宣伝における費用対効果はどん底を振り切ってマイナスです」

「ふ、不人気!? そんなことは……」

「あるんですよ」


 ダニエルの抗議をあっさりと切って捨て、ハスラーは席から立ち上がった。

 そして部屋に据え付けてある棚からパンフレットを取り出す。個人向けの保険のコースや掛け金のなんかの説明が載っている、よくあるような冊子だ。

 そのページの余白部分にデフォルメされたキャラクターが描かれていた。赤を基調とした全身タイツとマント、黒いドミノマスクを着けた筋肉男。――マスク・ザ・ダンディのイラストだ。筋肉を誇示してニッカリと笑っている。

 そのイラストを指し示しながらハスラーは続けた。


「これ、マスク・ザ・ダンディ。このデザインを見てごらんなさい」

「これが何か……?」

「ダサい」

「ダ、ダサ……!? え!? ええっ!?」

「今の世の中、ウケるヒーローというのはクール、ポップ、アーンド、スタイリッシュのCPSです。だというのになんです? これ? ダサい、暑苦しい、アーンド、古臭いのDAF。これじゃ人気も出やしない。わかります?」

「は、はあ……、クール……? ポップ……?」

「ま、というわけで、人気の出る要素の何一つないダメヒーローをこれ以上雇っていても会社の利益につながらない、ってなことで役員会でマスク・ザ・ダンディのクビが決定しました。今までご苦労様」

「ちょ、ちょっと! 俺が辞めたらこの街の平和は誰が守るんですか!?」

「ニューヒーローを雇いますよ。今度は問題児じゃない、人気の出るヒーローをね」

「お、俺はどうしたら……?」

「そんなの知りませんよ。失業保険でのんびりしながら次の仕事でも探したらどうです?」

「そっ……」

「さ、お帰りはあちらから」


 ハスラーが右手で出口を指し示す。それ以上ダニエルには口答えをする気力はなかった。

 彼は退職勧告の書類を半ば思考停止の状態で受け取ると、のろのろとヒーロー事業部を後にした。


 確かにハスラーの言う通りなのだろう。

 力が全盛期の頃より衰えてきていることは自分でも痛切に感じていた。それを補おうとして無茶な行動を起こしたりしたのだ。

 ダニエルはもう四十二歳だ。これから先、肉体も能力も衰えていく一方だろう。


(引退する時期なのかもしれねえなあ……)


 そんなことを考えながらエレベーターへと向かう。

 彼がヒーローとして活動を始めたのはもう二十年以上も前のことだ。その頃は他のヒーローもまだおらず、自分がミリオンタイムズ・シティの平和を守っているという自負と誇り、そして市民の声援があった。

 だが今は違う。若手のヒーローたちが育っており、自分がいなくても街の平和は守られるだろう。

 ダニエル――マスク・ザ・ダンディの代わりはいくらでもいるということだ。

 それでも――。


「おや、ダニエル(ダン)じゃないか」


 うつむいたまま降りてきたエレベーターに乗り込むと、先客に声をかけられた。

 ダニエルが顔を上げると、黒ぶちメガネの恰幅のいい老人が穏やかに微笑みながら立っていた。ダンディ保険会社社長のニコラス・ナドラックだ。


「おわっ、社長。どうしたんですか、こんなところで? えーと……お一人で?」

「ちょっとした息抜きでも、と思ってね。抜け出してきたんだ」


 茶目っ気たっぷりに言うニコラス社長にダニエルは苦笑した。


「ははは、いいんですか? そんなことして?」

「なぁに、ちょっとくらいうなら構わんさ。君は?」

「えー……あー……いや、その……ついさっきクビになってきたところでして……」

「ああ、そうか……」


 ニコラスはダニエルの答えに軽くため息をつくと階数表示をぼんやりと見上げた。しばしの間、気まずい空気が流れる。

 やがてニコラスが再び口を開いた。


「すまないな、役員会の決定は私にもどうすることもできない」

「ああ、いや、そんな……。社長に謝ってもらう必要なんかないですよ。それに実際、最近調子もあまり良くなかったし……、まあ仕方ないですね」

「君はこれからどうするんだ?」

「まだ何も考えてないんですけど……。ヒーローとして活動することは……難しいんじゃないですかね。リストラされたヒーローを雇う企業なんてないでしょうし」

「残念だよ。私は君のファンだったんだが……」

「ま、衰えてきたのは事実ですし、街の平和を守ってくれる頼もしい後輩ヒーローたちもいますから――」


 内心の気持ちを気取られないようにダニエルはつとめて明るく答えた。

 これまでヒーロー稼業一本でやってきたのだ。それだというのにクビになり、将来への不安がないと言えば嘘になる。


 だがそれよりも何よりも、やりたいことがやれなくなることが辛かった。

 ダニエルは困っている人を助けるのが好きだったのだ。その欲求を満たすためにヒーローという職業は天職だった。そんなヒーロー活動をやめたくないというのが本音だ。


 だが大富豪でもない限り、個人でヒーロー活動をすることは難しい。政府への許可の申請もロクに通らないだろう。

 無認可ヒーロー――ヴィジランテとしての活動。それは違法だ。

 結論。ダニエルにはもうヒーロー活動はできない。マスク・ザ・ダンディはもう終わりだ。


「――だから俺なんかがいなくたって……」

「ダン、君は本当にそう思っているのか?」

「あ――、いや、それは――、もちろん」


 ニコラスの問いにもダニエルはなんとか平静を装って答えることができた。だが苦しさで胸が締め付けられるような想いだった。

 なんで自分は笑顔で噓をついているんだろう、と情けなくなる。余計なことを考えずに人々を助けたり、悪人をぶちのめすことのなんと楽なことか。

 そんなダニエルをニコラスはじっと見つめた。


 ダニエルとダンディ保険会社社長のニコラスとは、彼がマスク・ザ・ダンディとしてヒーローデビューをした当時からの付き合いだ。

 ヒーロー黎明れいめい期を二人三脚で乗り越えてきた間柄であり、お互いかけがえのない友人であり、また信頼できるパートナーであり続けた。

 そんな二人の間に隠し事をするのは難しい。


 全てを見透かしたようにニコラスは短く「そうか」とだけ答えた。

 再びエレベーター内に気まずい沈黙が訪れた。


 どれだけそうしていたのだろうか。

 ほんの十数秒の間だったのだろうが、ダニエルにとっては一時間にも二時間にも思える時が流れた。


「もう一度、君がヒーローに復帰する方法は――ないこともない」


 階数表示を見上げながらニコラスがぽつりと言った。

 その言葉に思わずダニエルはニコラスに詰め寄った。


「ええっ!? マジすか!? それどんな方法です!?」

「君は生まれ変わるんだ。新しいヒーローとしてね」


 そう答えるとニコラスは少しイタズラっぽく微笑んだ。

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