デビュー・オブ・ダンディ 02
「おい、ちょっと後ろを確認してくれ!」
突然、運転席の男が大声を上げた。バグズはその声に太い眉をしかめ、軽く舌打ちをして銃口をマリーの額から外す。
「ロードランナー? どうした?」
「何かが来てる!」
「何かって……なんだありゃ?」
リアウィンドウから後ろを確認したバグズが間抜けな声を上げた。同じように後ろを覗いたミサイルを撃った男――ドルーピーが不思議そうに続ける。
「ありゃあバイクか? ずいぶん変わった形だが……。もしかして俺たちを追いかけてきてんのか? たった一台で?」
マリーが耳を澄ますと、男たちの言う通り、ガタガタと激しい振動音にかぶさるようにバイクの甲高いイグゾースト音が響いているのがわかった。
「馬鹿が。ハチの巣だぜ」
ドルーピーがサブマシンガンを再び構え、後部ハッチを開ける。
助けへの期待を込めてそちらに目を向けたマリーの視界に映ったのは、有名な保険会社のロゴが入った巨大なバイク。そしてそれを駆る、小さくてひらひらとした――何者か。
マリーがその姿を確認した次の瞬間、サブマシンガンが銃弾を撒き散らした。九ミリ弾がバイクをめがけて殺到する。
だが弾丸は空中で火花を散らして弾き飛ばされた。
「スーパーパワー!? クソッ!! ヒーローか!?」
「ヒーローだろうが構わしねえ! とにかく撃て! 撃て!」
「なんでこんな時に!? せっかくここまで来て!!」
銀行強盗たちはあらん限りの銃弾を罵声と共にばら撒くが――結果は同じ。弾丸の悉くが空中で弾き飛ばされる。
銃弾恐れるに足らず、と判断したのかバイクはさらに加速してきた。バンも時速百二十マイルを超えているというのに、それ以上のスピードだ。見る見るうちにバイクは逃走中のバンに追いつき、並走する。
「おい! そこの犯人!! この俺が来たからには逃げ場なんてものはねえぞ! 無駄な抵抗はやめて、とっとと投降しやがれ!!」
「おい! ありゃ女、しかもガキだぞ! 何かの冗談か!?」
「クソッ! ふざけやがって! なめるんじゃねえ!!」
今まではカウルの向こう側に隠れていてよく見えなかったが、巨大なバイクにまたがり、バンを追跡してきていたのは少女だった。
栗色の髪を肩のあたりで切り揃えたローティーンの少女だ。大きな目に不敵な笑み。まったくふざけたことに、白くひらひらとしたアニメのキャラクターのようなフリル付きのドレスをまとっている。
そんなどうひいき目に見てもこの場にはそぐわない、コスプレした中学生にしか見えないような少女が、居丈高に、雨あられと降り注ぐ銃弾にも臆することなく強盗たちに抵抗をやめるように叫んだのだ。
その光景は強盗たちの言う通り、馬鹿げた冗談のようにしか思えなかった。
バンの運転手――ロードランナーはそんな少女を一瞥すると大きくハンドルを右に切った。バンの横腹をバイク、そしてクレイジーな少女に叩きつけるためだ。
だがそれをさらなる加速で辛うじて躱すバイク。
「やりやがったな!」
どこか楽しむかのように白服の少女は叫んだ。
そのまま彼女はバンの前に躍り出ると、強引にバイクの向きを変え、バンと相対する。
荒ぶる遠心力やタイヤのグリップ力不足などで車体ごと吹っ飛ぶかと思われたが、少女は何をどうやったかそれを強引にねじ伏せたらしい。彼女の人間離れした能力の一端が窺い知れた。
バイクはそのまま少女の意に従い、エンジンの回転数をさらに上げ、タイヤを軋らせ、スーパーチャージャーの音と共にバンをめがけて突っ込んでいく。
ロードランナーはその巨体の突進を無理にでも躱そうとしたが――間に合わない。
フロントに大型バイクがぶつかる。
その寸前。少女はバイクから飛び上がった。
直後。衝撃。
バンパー、ラジエーターグリル、そしてボンネットが大きくひしゃげ、ガラスが砕け散る。
そして無理に切ろうとしたハンドル操作がたたって、バンはそのまま中央分離帯に突っ込んだ。バランスを崩して横転し、宙に浮いてまた着地。コマのように回転しながら中央分離帯の土の上を滑っていく。
傍から見ると、とんでもない大事故のようにも思えたが、中央分離帯の土砂が衝撃をうまく和らげたのだろう。軽い打ち身や擦り傷はできていたが、シートベルトも何もない荷台に転がされていたにもかかわらず、マリーは奇跡的に無事だった。
しかしそれは強盗たちも同様のようだ。
「クソッ! 見た目通りイカれてやがる!!」
「おい無事か!?」
「なんとかな……」
「よし、色々あったがまだ終わっちゃいねえ。気合を入れろよ!」
口々に罵りの声を上げながら、黒煙と湯気を上げる車から這い出すと、ひっくり返ったバンに向かって歩み寄ってくる少女に銃撃を再開した。事故の衝撃でフラフラになりながらも、冷静に的確に、少女に銃弾を集中させる彼らの練度には目を見張るものがある。
「撃ち殺せ!!」
バグズの怒声が銃声と共に谺した。
だが。やはり。
少女に着弾する寸前、火花。
彼女に命中するはずの弾丸は全てが空中で見えない壁にでも阻まれたかのように、あらぬ方向へと弾け飛んでいく。
――スーパーパワーによる防御障壁。いわゆるバリア。
それが白服の少女の持つ能力だ。
先ほど見せた事故一歩手前の乱暴なターンを可能にさせたのもこの能力の一助だ。
防御障壁をバイクそのものに展開、衝撃を吸収させ、また障壁そのものの圧で吹き飛びそうな車体を抑え込み、無理やりタイヤのグリップをアスファルトに喰らいつかせたのだ。
少女は一歩、また一歩と大股で強盗たちに近寄っていく。
スーパーパワーも無限に使えるわけではない。バイクのコントロール、そして身を守る障壁。ここに至るまでに随分と消費してしまっていた。
そろそろケリをつける時間だ。
だが彼女は焦らない。
焦らず、急がず、落ち着いて。
「お前たちを逮捕する」
正義の味方としての決め台詞を唱えた。
「お前たちには黙秘権がある。あらゆる発言は裁判で不利になる可能性がある――」
イカれたドレス姿とは対照的な、少女の口から厳粛に紡がれた言葉にほんの一瞬、奇妙な間が生まれた。
その嵐のように撃ち込まれる弾丸が途絶えた刹那にも満たないわずかな時間、白い少女は残りのスーパーパワーを足の裏へと集中させた。
右足でアスファルトを蹴立てて、砲弾のように十数メートルもの距離を三足で詰める。
地面を舐めるほどに身を低くして。我に返った強盗たちの放つ九ミリ弾を潜り抜けて。
ちゅん、と空気を切り裂く音と共に少女の栗色の髪が数条、宙に舞った。
しかしギリギリで頭を掠めていった銃弾にも少女は臆することなく、最後の踏み込みでさらに体を加速させる。
頭を男たちの足元に投げ入れるようにして、少女は彼らの懐へと飛び込んだ。そのまま流れるような動作で、片手で倒立するように体を支える。
颶風のような鋭い動き、それに併せてスカートがたなびき、捲れるだが彼女はそれを気にする素振りすら見せなかった。
少女は飛び込んだ勢いを殺さずにジェリーと呼ばれた男に踵落としを決める。そして腕と体をバネのように伸ばし、腰をひねり、逆さまのまま、左足、右足の順で回し蹴り。それぞれ鳩尾、顎に鋭い蹴りを喰らい、さらに二人の強盗がノックアウトさせられる。
「このっ……!」
ドルーピーと呼ばれた男が一矢報いようと小型のロケットランチャーの砲口を向けた。
この距離で爆発すればお互い無事で済まないことや、そもそも近すぎて信管が作動しないなどということも頭から抜け落ちているようだ。
引き金が引かれた。
しゅたん、という小気味よい音と共にロケット弾が少女に迫り、着弾。――しなかった。
少女が体を跳ね起こしざまに手刀を縦に一閃。ロケット弾を綺麗に二枚におろしたのだ。
空中で真っ二つになったロケット弾はコントロールを失い、白煙をたなびかせながらあらぬ方向へと飛んで行った。
防御障壁の応用。スーパーパワーを手に集中させ、ナイフよりも切れ味の鋭い刃物としたのだ。
「なっ……!」
「ふっ――」
信じられない、といった表情を浮かべたドルーピーの顔面に少女の額がめり込む。
ヘッドバット。ドルーピーは白目を剥き、天を仰ぐようにして膝から頽れた。
「さてと……これで残りは――」
「動くな!」
あっという間に四人を片付け、バグズの方へと浮き直った少女に彼の怒鳴り声がかけられた。
彼はマリーを盾にするように立ち、彼女に拳銃を突き付けている。
「動くとどうなるかわかっているんだろうな!?」
「おいおい、馬鹿な真似はよせよ。お前にもう逃げ場なんてねーんだ。これ以上罪を重ねる、なんてことは――」
「うるせえ! 人の計画を無茶苦茶にしやがって! いったいどれだけ手間暇かけたと思ってやがる!? 俺の老後はどうすりゃいいんだ!!」
「……引退資金を犯罪で稼ぐなよ……。馬鹿なことを言ってないでその女の人を離すんだ」
「離せと言われて人質をホイホイ解放する馬鹿がどこにいる?」
「……どうしたら解放してくれる?」
「まずお前は俺の目の前から消えろ! それから――」
バグズと白い少女のやり取り。それをマリーを恐怖に震えながら聞いていた。
依然、混乱して頭の中が朦朧としている状況だが、感覚の一部は驚くほどに鋭敏だ。二人の会話がいやにはっきりと聞き取れる。少しずつこの場に近づいてきているサイレンの音も。
そして――。何か鋭い空気を切り裂くような音も。
少女がどこかのんびりとしたような声で言った。
「あー……。言いたいことは大体わかった。だけどその前に……」
「てめえ! 頼みごとをできるような立場だと思ってんのか? こいつを殺すぞ!?」
「いや、上に注意を――」
彼女の言葉が終わる前に、バグズの後方で突然の爆発。
マリーはバグズの体が盾になり奇跡的にかすり傷一つなかったが、バグズは違った。猛烈な炎と衝撃が彼を襲ったのだ。
「さっき真っ二つにしたミサイルが落ちてくるから気を付けろ――って、もう遅いか」
爆炎にあおられ白目を剥いて気絶しているバグズに向かって、少女は同情半分、呆れ半分の口調で語りかけた。
そして地面に倒れ込んだマリーを助け起こす。
「よっと……。大丈夫か?」
「……」
先ほどまでのどこか余裕のある居丈高な様子はなりを潜め、少女は心配そうにマリーに問いかけた。その声は思いのほか、優しい。
戒めを解かれながらマリーはうなずいた。
「よかった。もっと安全で良い方法もあったのかもしれないけれど……俺にはアレしか思いつかなかったから……ごめんな」
手早くマリーの体に異常がないことを確認しながら彼女はそう言った。
サイレンの音が随分と近づいてきている。回転灯の光も確認できた。きっと警察に伸びている強盗たちは逮捕され、マリーは保護されるだろう。
それを確信したのか、少女は半壊したバイクにまたがった。
「んじゃな」
「待って」
エンジンをかけ、その場を後にしようとする少女にマリーは問いかけた。
「あなたは……何者なの?」
マリーの乞うような問いに、少女は間髪入れず「正義の味方だ」と答えた。
「この街を守るヒーロー……いやヒロイン? どう言えばいいんだ? ま、とにかく正義の味方だ」
そしてボロボロのバイクの横腹を叩いてみせた。
そこには保険会社のロゴが描かれている。ダンディ保険株式会社。ヒーローに疎いマリーでも知っているヒーロー事業のパイオニアだ。
彼女はそこに所属しているのだろう。
「名前は?」
「ダンディ――。魔法少女ダンディだ――」
そう照れくさそうに答えると白服の少女――魔法少女ダンディは、バイクのタイヤを軋らせ、風のように去っていった。